神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

本ズワイガニの季節がやってきた

2017年12月16日 08時07分40秒 | 料理を作る・食べる

ズワイガニと言ったら福井の越前ガニが超ブランド、何年か前に敦賀気比の松原を見てから、半島の民宿に

泊まった。 正味6畳の狭い部屋に2人というありふれた民宿ではあったが、その料金たるや一流旅館並み

越前かにコースは1泊45000円、予算が足りないので30000円のフグコースで妥協した

このようにブランド品ともなれば、ご覧の通りで結構なお値段になるので、平生はオホーツクのロシア産を使ったりする

ロシア産と言ったって、北海道からすぐ目の前の固有の我が国の領土で獲れている蟹なのだが・・・・

 

そして、いよいよ冬となると、我が町の近海でも本ズワイガニ漁が始まる。 1kgを超える立派なカニも獲れる

日によってセリ値は変わるが、一番立派なカニで高い日であっても1匹2万円を超える事はまずないだろう

大体の場合5000円~1万円で福井並みのカニが買える

ここ数年、私も川崎の親しい人に頼まれて、年末年始用に大ぶりのカニを茹でて送っているが、

「東京で買ったら何倍もするわよ」と喜んでもらっている

ただ、カニ専門の漁業者も高齢で少なくなっているから、市場規模がとても小さい、それに悪天候が重なるから

なかなか安定したブランド化が出来ないのだ

私が食べるときは、少し身が少なめのカニを買う、身が詰まっていれば1万円くらいになるサイズでも、2000円程度で

買うことが出来た、でも今年の状況を見ていると、都会の景気上昇傾向で産地のカニも高騰気味

今年は安く食べることが出来ないかも・・・・・・。

 

雪国の冬は嫌いだが、アンコウにしろ、鱈にしろ、カニにしろ、寒ブリにしろ美味しい魚を安値でいただけることには

喜びを感じる身勝手なyottinです。


太陽と雪の世界

2017年12月15日 08時33分26秒 | 昭和という時代

今朝は、この冬一番の冷え込みで、道路も降り積もった雪も凍っています

そのかわり海上の灰色の雪雲以外は晴れ渡り青空、南には低い太陽が久しぶりに輝いています

八百八万の神様が住むと言われる我が国、その中でも天照大神(アマテラスオオミノカミ)は

太陽の化身でしょう。 外国でも太陽をあがめる宗教や人種は多い

太陽、水と共に人間が生きていくためになくてはならない存在

そして太陽は暖かい、冷え切った人間を、冷え切った心を温め包み込んでくれる

一年の四分の一を暗い世界で暮らす雪国の人間にとって、表日本の人々以上に太陽への

あるいは青空への憧れは強い

同じ日本に住み、同じ時間を過ごしていても冬中、晴れわたる表日本と湿った日本海側

雪にロマンを求める人たち、雪と格闘して時には命を落とす人たち、雪のとらえ方も違う

太陽への憧れは、温もりへの憧れでもある、弱った父を夜ごと見る度に思いは強くなる

関東で生まれ育った人間が、なぜ雪深いこちらに来たのか、今の私にはおかしな行動としか思えない

当然、戦争が父の人生計画を変更させてしまった事は知っている、それにしたって・・・・

 

私と同世代の近所のお嫁さんは山梨から嫁に来たが、冬になって1m以上の雪にすっぽり埋まる

この地域の景色を見て泣いていた

今はたくましく生きているけれど、本当に驚いたのだろう・・・・あの大雪は今ではこの地域でも見られない

雪国にいながら、雪への対応が出来ない若者が増えている、それは生活環境や機械類の進歩によるものだ

私たちが20代頃までは、かんじき、そり、タイヤチェーン、スコップ、やかんの湯、長靴と荒縄などは必需品

タイヤチェーンなどお手の物で大雪になれば「さっさのさ」と取り付けて走り出した

ところが調子に乗って深い雪の中に入ると「かめ」になって動けなくなる、するとスコップの出番で雪をかく

自力が無理ならロープで牽引してもらって脱出、近くの人が後押しをしたものだ

今は四駆にABS、チェーンも入らないし、凍った道でブレーキを踏んでも車が回転することもない

昔は凍った道路でブレーキを踏んでスケート状態になって、車が三回転したこともある、どこへ行くかは

車に聞いてくれだ。 今ほど車も無い時代だったから事故にもならず済んだが、いまなら多重事故まちがいない

 

今でも新潟県の十日町地区、あるいは東北地方や信越、北陸の山沿いでは一晩で1m近く積もる日がある

かっては私たちも経験したことがある、降るばかりでやまず、五日間降り続けた年があった

朝六時前から1m近い積雪を除雪して車を出し、市場へ行って駐車場に戻るともう50cm積もっているという

状態だった、あの年は1階がすっぽり埋まり、道路もその高さで踏み固められて歩道になっていた

雁木の地域では、真ん中の通りが2階の高さで、そこから掘って雪の階段を作り、雁木の下の普通の通りに

下っていくなどという事もあった。 まさに雪の下に町があります状態

雪はイヤだが、なぜか懐かしい、それは雪が友達だった子供時代、青春時代の記憶だからだ

今は雪はまっぴらだし、何の益も無い弊害ばかりの雪国の暗い生活にうんざりしている。

 


仲間と旅行以来の飲み会

2017年12月14日 08時14分25秒 | ライフスタイル

一週間後には例の「京都旅行」の「はばきぬぎ」(打ち上げ+反省会の飲み会)だ

だが、それまでは待てないという虫が起きてきて、世話人5人で一足先の飲み会を夕べやった

町中は、歩道と車道の間に雪が30cmほど積もっていたが、なんとなくクリスマスっぽい

この町では、こぎれいな飲食店で男3女2での飲み会

あんこう鍋から初めて、ゲンゲの干物、天ぷら、チーズの燻製、なんだかよくわからない物を

女性陣が進めるまま食べて飲んで・・・・・この店で生ビールをジョッキ3杯飲んで、面倒なので

今度はピッチャーでもらって、それを3杯お代わりした

それから、火事小さな飲み屋さんを焼け出されたママが、路地裏の小さなスナックを開業したので

その店に励ましも兼ねて2次会、ママは75歳?72歳?とか

この店は仮店で、来年には元の場所に自宅兼スナックを建てると言って張り切っている

閉店まで、われわれ5人以外客は無し、寒い雪の平日故、田舎の飲み屋街はこんなもの

LINEでバカ盛り上がり、名古屋の友達まで巻き込んで大騒ぎ、次々と「もう寝るよ」の書き込み

30分くらい大笑いしながら他愛ない遊びに熱中する60代でした。

 

今朝は6時にぱっちりとお目覚め、心配していた二日酔いもなくさっぱりと朝飯作り

本当に今朝はすっきりしています。


いまどきの姥捨て山

2017年12月13日 09時53分15秒 | 老人介護

今朝「迷ってる」という女性から相談された

彼女は1歳年上で、旦那さんは地元大手の管理職だったが退職間もなく60歳そこそこで

急死して、彼女は寡婦となった

少し認知が入ってきた90歳の実母と暮らしている、足腰が衰えて移動は車いすだ

食欲旺盛で健康面はまったく大丈夫と言うことだ

今はショートスティを利用しているが、進められるままに応募した特養入所に当選

あまりにも急で何の準備もしてなかったので動揺しているとのこと

明日にでも入所OKだが、とりあえず一週間のばしてもらい、母親の説得もしなければという

彼女の決断を鈍らせているのは「姥捨て山」だという自己嫌悪

今は、さほどの問題も無く、平和な親子生活をしているつもりだという、そんな時、母を家から

追い出すことに自責の念を持つのではないかと迷っている

 

だが私に言わせれば贅沢な悩みだ、特養を望む市民は数百人も待機している、わが家もそうだった

その中で運良く当選をして悩んでいる、ならばなぜ応募したんだろう

それは、数年後を見据えて応募したのだと思う、それが突然「今」になってびっくりしたのだ

私の考えでは、今はいいだろう、だが一年ごとに親の認知は進んで行き、予測もつかない事態が起こる

可能性は高い、また体だっていつ骨折したり、肺炎になったりするかわからない

自分だってやがて70歳を超えて高齢者の仲間入りだ、好きな海外旅行だって出来なくなる

それを思えば、親と別れるのは辛いなどと泣いているほど悠長な問題ではない

今は仏の気持ちでいても、仏の影に鬼が住んでいる、思いどおりにならない事態になったとき鬼が出てくる

何年も妻を介護していた夫が高齢になって妻を絞め殺したり、心中したなんて話しはザラにある

高齢の親を介護していた孝行息子が認知の親を同じように殺した例も数多ある

姥捨て山と言ったって、信州の山奥に親を放り捨ててくるのではない、介護の人たちに囲まれ、同年代の

人たちと話したり、お茶を飲んだりして過ごす

家でたまにヒステリーを起こす孝行娘と二人暮らしの生活と比較したって遜色ないはず

しかも車で15分足らずの場所にある、ダメだったら退所すれば良いだけのこと、強制収容所に入れるわけ

ではない。

「ちょっと贅沢な悩みですよ」と言ってやった、「ダメなら連れて帰れば良いだけでしょ」とも

当選したのは神様の意志だと思って素直に受け入れてみたら・・・・・・。

私の考え方はおかしいでしょうかね?  相談されるととことん親身になってしまう、お人好しです。

 


今年の冬は早いのか

2017年12月12日 10時44分35秒 | 季節と自然/花

西高東低、今年最大の寒波だとか

昨夜から雪下ろしの雷鳴が響いています(雪下ろし=こんな季節、海上にとどろく雷が鳴ると

それから大雪が降るという合図、雪国の人間は大雪に備える)

この海岸部でも今日は10cm以上の積雪になっています、そしてまだまだ積もりそう

12月に、こんなに荒れた毎日が続くのは久しぶりです

昭和60年頃の3年間、二階にまで達する大雪が続いて以降、降雪量はどんどん減っていき

10~5年前くらいには、我が地方もいよいよ温暖化で無雪地域になるのかなと思うほど雪が

降らなくなりました、しかし最近の3年間は駐車場や玄関先の除雪をシーズンに数回する程度は

積もるようになりました。

今は路地裏の小径まで消雪パイプが通って、道路上の雪は減りました、それでも雪国のハンディは

太平洋側に比べて大きすぎます


孫悟空

2017年12月11日 08時27分49秒 | 映画/ドラマ/アニメ

テレビ録画で中国映画「西遊記」を見た

特殊撮影を駆使してスピード感と迫力ある映画だった、「三国史」などもそうだが

中国は共産主義で面白みの無い国という印象があったが、なかなかに面白い

タブーと思っていた、セクシー的な場面もあるし、なにしろ美人女優が多い

最近まで見ていた「武則天」も素晴らしい美人女優であった

この三藏法師も女性的な美しい男優だ、最初は臆病で情けない三藏法師だったが

困難に会い続けるうちに、逞しさを身につけていき、最後に仏法の極みを会得する物語

 

孫悟空が面白い、いかにもサルという細かな動きが面白い、強いがひょうきんだ、まことによく出来ている

白骨夫人という妖怪が敵なのだが、前世では村人によって惨い死に方をしたため人間を恨み

妖怪として転生して、町の子供をさらって生き血をすすると怖がられている

実はそれは無実であった、子供をさらって生き血をすすっているのは業病に冒されていた国王だった

しかし妖怪は妖怪、ご飯を食べて生きているわけではない

白骨婦人は永遠に無敵の妖怪として生きるため、三蔵法師の生気を吸い取って永遠の命を得ようと企む

それは孫悟空によって打ち砕かれてしまうのだが、呪いの言葉を残して200年の命を終えようとする

だが三蔵法師は、輪廻転生においてこの妖怪を人間界に、愛ある人として、生まれ変わらせようと願う

だが妖怪を人間に生まれ変わらせるためには、自らの命をも絶たなければならない

ここで人間への恨みに満ちたまま死んでいく白骨夫人をほおって天竺への旅を続け

ありがたい経典を得たとしても、それは本当の喜びではない

彷徨う魂一つ救えないで、経典を得たとて何の役にも立たない、何の救いにもならない

その時、三藏法師は真理に目覚めたのだった

三蔵法師はためらいもせず、孫悟空に自分を撃ち殺すように命ずる

涙ながらに孫悟空は師匠を如意棒で撃ち殺してしまう

魂の世界に入った三蔵法師は、その熱い愛で白骨婦人の恨みに満ちた魂を浄化するのだった

白骨婦人の恨み、怨念が消えて清浄された魂となり、その恐ろしい表情は安らぎに満ちた穏やかな

顔に変わった、そして彼女は微笑みながら人間界へ転生して行くのだった

中国や韓国にはこうした輪廻思想が日本より多く見受けられる、テレビドラマでもそれは多い

 

阿弥陀仏の救いによって、三蔵法師の彷徨う魂も、孫悟空に背負われている石仏となった三藏の

亡骸に戻ってくるだろう

それを信じて、孫悟空、猪八戒、沙悟浄、白馬の白龍の4妖怪は天竺に向かって歩き続ける

よく考えたら、この妖怪達は人間並みの姓をもっていたんだ

孫は私の知り合いの中国人留学生の姓だ(スンと発音する)

猪、とか沙という姓もありそうだ

それはともあれ、こんな娯楽映画だがいろいろ考えさせられる

*いかに軟弱な人生を無為におくっていても、人にはここ一番の勝負どきがあるということ

*いかなる悪人にも情状酌量はある、汝の敵を愛せよ

*人を変えたければ、まず自ら変わらなければならない

*得意技の一つも身につけておけ、芸は身を守る

そうそう、私が仲良しだった30歳年上のおじいさんKさん(故人)は建具屋さんだった

小学校卒業と共に職人の世界に入った、戦争が始まり兵隊にとられた

終戦と共にソ連軍に連行されてシベリアへ抑留され強制労働

みんなろくな食事も与えられず、マイナス30度40度の酷寒の氷の世界で重労働させられて

6万人以上も戦後に関わらず殺された

そんな中、このKさんは建具職人という特技があったため、暖もとれる屋根の下で建具作りを

命じられ、外勤の重労働を免れた、まさにこれこそ芸が身を助けた例である

*地位ある人間が最も正しく見えるけれど、その裏で悪事を働くこともままある、人を地位や権力で

正義だと鵜呑みにしてはならない

 

 

 

 


スマホ購入・・・・・そしてどうなった?

2017年12月09日 07時59分11秒 | yottin日記

事の起こりは、個人ネットバンキングで送金しようと思ったら、銀行がワンタイムパスワードを導入

それが今の携帯の機種では対象外だった

その携帯は会社の親子形態のボス携帯で、これをスマホに入れ替えようと思ってDOCOMOへ行ったけど

お化粧は上手だけど、法人対応が全くダメなおねえちゃん相手に1時間、貴重な時間のムダだった

翌週、法人専門のお兄さんと会って5分で解決、思った通り現状の携帯セットはそのままで新規に

スマホ購入、携帯は残ることになって電話とメールとスケジュールに関しては携帯の方がずっと

使いかってが良いので、電話機能の無い10.5インチのタブレットに変更

ところがワンタイムパスワード、携帯の時には5分で出来たのに、このタブレット、次から次から

初期登録、ID、パスワード、認証、規約に同意、プライバシー**に同意、クラウド、DOCOMO**

GOOGLE**、出てくる出てくる、一向にワンタイムパスワード設定に到着しない

銀行のワンタイムパスワード担当者に2度、DOCOMOの例の兄ちゃんに一度、電話しながら5時間後に

ようやく設定完了

その間にd**というサービスとグーグルアカウントサービス?とかにも入れさせられてしまったし

余計な使い方は必要ないと思いながら否応なしに、有料サイトに引き釣り込まれていくくだらなさ

このあともツィターとかFBとかにも結局登録になるんだろうな

「プライバシーポリシー」「同意」しなけりゃ何も出来ない様になっている、もうプライバシー丸裸だね

タブレットで潜伏先が誰からもわかるようでは何も出来なくなるよ。

 


走り食いで470km走行

2017年12月08日 07時28分28秒 | ドライブ

朝5時頃だったろうか、新聞を取りに玄関に出でたら、今年初の雪景色

水っぽい冷たい雪が地面に張り付いて、車もドア、ウィンドウ、タイヤ、ボンネット、ライト、屋根

かまうのも嫌な程張り付いている

とりあえず家の中に退散だ、長靴は店に置いてあるし、手袋はないし、雪除けで車の雪を落として

店に向かった

みぞれ雪は、相変わらず降り続き我が町の近くの山も、田も一面雪景色

道路は消雪パイプの活躍でほとんど雪は消えている

数少ない休みが大荒れの天気だなんて運が悪いのだろうか、愚痴を言っても始まらない

長野、新潟、群馬の雪の状況と、隠れた温泉地を探しにの二人ドライブ、連れは障碍を持った次男坊

ドライブには良い相棒なのだ、一人だととてもやってられない、休憩無しのハードな旅だ

コンビニで買ったサンドウィッチを「爽健美茶」で流し込みながら走る

北陸路をシャーベット状の8号線で走る、今日は最後の急ぐ時だけ高速を使うつもりで

ほぼ一般道を行くつもりだ、だからいくつか雪の峠道も走ることになる、

魚の町「能生」のあたりの海は風が強く大時化、海から蒸気が上がる

 

 

ところが上越市を過ぎたあたりからみぞれはなく、道路にも雪が無く、雨も小降りでこれは意外だった

山間部に入ったら、さすがに山の雪は多かったけれど走行に支障なし

拍子抜けしたのは、雪が多くて一番難所だと思っていた十日町、まるっきし雪が無い

そして今回のもう一つのお楽しみ、11月25日に3分の2が開通した国道253号の新)八箇峠トンネルとバイパス

を通ること、旧トンネルは爆発事故で交通止めになっていた、新バイパスが出来れば、冬の難所だった区間が

大いに安全便利で早くなる、このあたりやっぱり雪は多いなあ

新トンネル入り口、快適な道路だが飛ばすと危ない

 

バイパスの終点近く、六日町が見えてきた、後の大きな山は魚沼の「坂戸山」かな?

あのあたりのホテルで、各地の水産物関係者のゴルフコンペ打ち上げの宴会に参加したことがある

六日町からは関越道で群馬を目指す、最初の町は越後湯沢、これからスキーで賑わう

 

谷川連峰がわずかな晴れ間から顔をのぞかせた

全長10kmの関越トンネルを過ぎると、いよいよ群馬県だ

「国境の長いトンネルを抜けると、そこは青空だった」

この季候の違うまま、4ヶ月は暗い雪に閉じ込められた非生産的な越後、北陸、東北と活発な生産活動の表日本

ますます地域差は広がっていく

水上の温泉街を抜けて、奥利根、尾瀬、片品に向かう県道の山道を登っていくと藤原湖とダムが

再び高速に乗り一駅、月夜野ICで降りる、この月夜野という名前ロマンチックでスキだなあ

大きな赤城山が見えてきた、あの山も一度、大沼まで次男坊と行ったことがある

国道17号で沼田まで走り、そこから吾妻渓谷に続く国道145号に入った、この道で長野県に入る迄は長い

菱形の群馬県をほぼ横断するようなものだ、そして沼田から上田までの地域と言えば「はい連想ゲーム」

答えは六文銭の真田一族ですね、この街道沿いに真田家の領土が広がっていました

岩櫃城付近の岩櫃山は、垂直に高々と伸びた奇岩を国道から見上げることが出来る

前回、志賀高原、白根山から下ってきた嬬恋を通過、吾妻渓谷を行く、

相変わらず天気は良く、夕日に向かって走り続ける逆光の世界

時折、斜めの光が差す山と森がメルヘンチックだ

 

嬬恋田代を過ぎたところで、雪に覆われた浅間山の勇姿を一枚「パチリ」

アイスクリームみたいで美味しそう

そしていよいよ最後の難所1400m近い鳥井峠

夕方で冷えてきたため、道路が凍っている下りはもう緊張の連続だ

何年も前に夕方、マイナス5.5度の菅平の凍った道路を下り、事故って停まっていたトラックにぶつかりそうに

なった記憶が蘇り、菅平に上がらず、遠回りの上田へ降りた、そして上田ICから上信道で帰路についた

 

 

 


眠れない夜

2017年12月06日 07時58分28秒 | 病気と健康

夕べは11時過ぎに寝た、だが寝付いて間もなく12時過ぎに激しい揺れで目が覚めた

長野県で起きた震度4の地震だった、私の家でかなりの揺れだったが、10秒足らずで停まり

それ一回きりだった

過去の能登沖、柏崎、中越、三陸沖に比べたら取るに足らない地震だったが、目が覚めた

今度は、ある思いにとらわれて寝付けない、それでもいつか寝たのだが大きな物音で

目が覚めた、時計を見たら3時過ぎ

私の下の部屋に父が寝ていて、寝ながらもいつも気を張っているせいか杖の音でも目が開く

ベッドから落ちたり、廊下で倒れていたりするので、音がする度に階下に降りる

行って見たら何事も無いようにベッドで寝ていた、声をかけてまた部屋に戻った

ますます目が冴えて寝付けず、僅かな音でまた部屋を見に行ったり・・・

どうも隣家の戸を閉める音が響くようだ

30分ごとに目が覚め、6時になったのでご飯の支度に台所へ行き、それでも心配なので

父の部屋を覗いたら、なんとベッドの下に落ちていた

それでも毛布と布団にはすっぽりくるまっているので、寒さだけは回避できたようだ

それから持ち上げてベッドに上げて、パジャマが半分下がっているので上げようとしたら

おしっこで濡れている

パジャマとおしめを脱がせて、新しいおしめを探すがわからない、時間が早いのでヘルパーどころか

妹にも聴くことができず、探し回ったら見つかった

だが、使い方がわからない、こんなことは一度もしたことがない、でも自分がするしかないので使い方

を見たら、これはおしめの中に入れるパットだった、またおしめ探し、ようやく見つけてはかせた

今度はパジャマの替えが見つからない、それで防寒用の股引を見つけてそれをとりあえずはかせた

そして布団をかけ直していたら

「母ちゃんが死んで、おまえがたいへんな目に遭うなあ」などと、しみじみ言うものだから驚いたが

いよいよ父も気弱になって、ちょっと寂しい気がした

 

昨日は1日食欲がなく、お茶をなんばいか飲んだだけで他は何も食べない

それでも、今朝も目玉焼きを作って、昼と夜の段取りをしてヘルパーに着替えのことも含めて手紙を書いて

きた。

外に出たら雪だった、それも重い湿り雪で車のワイパーが動かない

積雪と言うほどではないがずっと降り続けて、車には1~2センチたまっていた

冬タイヤは履いて居るが、履き物は靴のまま、帽子も手袋もまったく用意していない、今日はこれから

雪の中、長野県に向かう、急いで防寒の準備をしなくっちゃ。


キリスト教のこと

2017年12月05日 07時09分33秒 | 宗教

昨日、録画しておいた米映画「天国の奇跡」を見た キリスト教の宣伝みたいな映画だが

女の子の病気をテーマにした、ほのぼのとする映画でもあった

神様の存在を純粋に信じていた少女に奇跡が起きて、難病が治癒するという単純なストーリー

神の存在など全く信じないジャーナリストは最愛の娘を癌で失ってしまう、それが伏線になっている

少女の魂はあの世に行って、神と対話し、そして生き返る

 

私の血縁の祖父は、私の祖母の家(茨城県)に婿として入り、父が生まれた

しかし血縁の祖父は父が2~3歳の時に、祖母と、祖母のの義父と折り合いが悪くなり離婚して出て行った

血縁祖父はそこで、わが家と縁が切れてしまったのだが、東京へ出て再婚し世田谷の成城に間借りして住んでいた

戦争が激しくなって生まれ故郷のこの町に、着の身着のままで帰ってきたのだ

その再婚相手は山形出身の人で、敬虔なプロテスタントであった

東京はともかく、この田舎町にも小さな教会があったが、血縁祖父の再婚相手はすぐに通いだした

しかし田舎町故、信者も少なく彼女は教会の中でも経験者として重宝され、今も牧師さんは彼女を開拓者と

賞賛する。

彼女はもう亡くなって30年くらいになるだろうか、豪雪の冬だった

彼女が亡くなる前に残した言葉は「**さん(病弱な自分の一人息子、彼女は息子を「さん」付けで呼んでいた)

を頼みます」だった

彼女は癌で亡くなったのだけれど、苦痛と闘うのを見た人が「痛くない?大丈夫?」と聞くと

「天国で神様に会えるのだから、痛さなんか我慢できるよ」と山形訛りで言っていたという

あの映画の少女と全く同じだと思った

あの映画のハイライトシーンの一つに、モネの「睡蓮」の絵がクローズアップされる

少女は吸い込まれるようにその絵の虜になる、それは後日彼女が行った天国そのものだった

私は国立西洋美術館で「モネ展」を見た、だがもしかしたら「コロー」だったかもしれない

記憶がごちゃごちゃになっている

モネを見たのは女房殿の父親だったかもしれない、画集を見せてもらった気がする

睡蓮の咲く、小沼の風景と色彩は確かに不思議な安らぎの世界を映している 

 

キリスト教にもきらびやかで荘厳な貴族宗教カトリックと、アメリカ開拓移民等の間に起こった

形式を簡略化した大衆宗教プロテスタントという大きな違いがある2つのキリスト教

日本の朝廷や武家の永遠の安寧を願うに寄与した禅宗、戒律も修行も厳しい世界

文盲で宗教もない救われぬ大衆を簡単な経文で救おうとした門徒(日蓮宗、浄土宗、浄土真宗など)

旧教、新教の構造としては似ている

*言葉と知識不足による謝りはお許しください

戦後間もない東京隅田公園での「蟻の町のマリア」と讃えられた北原怜子さんは、上流家庭の娘だったが

戦後溢れた浮浪児たちの暮らしを守ろうとしてバタヤ集落に身を投じた

我が身を振り返らず、苦しむ人々に愛をもって接する心こそキリスト教の本来の姿

彼女はカトリック信者だった

血縁祖父の妻は、プロテスタントだった、私も彼女を知っているが、まさにプロテスタントだった

血縁祖父の頭は、ずば抜けて良く、親戚の間では「良い家柄に生まれれば、校長先生か学者にでもなれただろう」と

言われていた。 残念ながら生涯をリヤカー一台での「ぼろ買い」、今で言う廃品回収業で終わった

その妻は「あねさんかぶり」をしてリヤカーの後押しをしていたのだ

そんな貧しい暮らしだったが、回収した百科事典や美術書を読みあさり、地域の山に埋もれた古道の石碑を

探し当てて碑文を収集したりして、その修学欲を満たしていたのが血縁祖父だった

わが家の(別れた妻の)1200年に及ぶ家系を調べたのも血縁祖父だった、その1000字ほど書き残した文を

頼りにネット時代を活用して私がそこに出てくる名前の一人一人を徹底的に調べ上げて250年前までを

明らかにしたのだった、全ては血縁祖父のその一文にある。

「おまえは、祖父にそっくりだ」と父はよく言ったものだ、それは決して褒め言葉ではなく、生涯働き続けた父が

貧しく、しかし気楽に生きた血縁祖父に対する罵詈雑言であった。

明治のジョンレノンそっくりな血縁祖父は、その再婚妻のもとで俄プロテスタントになった、一人息子には

プロテスタントの洗礼を受けさせて信者にした。

血縁祖父には全く宗教観はないから、偽プロテスタントを誰も信じない、大ホラフキまではいかないが、

出来ないことを「ほらを吹く」とだれも信じなかった

 

キリスト教の葬儀は、神道同様、神に召されて天に昇る「めでたい日」なのだ

うちの店でも結婚式にはチャペル式(チャペルはないが簡易的に設ける)の場合、牧師さんを頼んで式を挙げた

勿論、新郎新婦の98%は俄信者である。

同じ司祭者でも、カトリックは神父さん、プロテスタントは牧師さんと呼び方が違う

結婚式の時の笑い話

私が、牧師さんに「新婦(しんぷ)さんは*****?」と問合せをしたら、牧師さんが勘違いして

「私は神父(しんぷ)ではありません、牧師です!」