引き続き名古屋便りの後編です。
「リニア・鉄道館」から次に向かったのは、名古屋市交通局が日進車庫の敷地内に開設している「レトロでんしゃ館」です。ここには市電とともに、市営地下鉄として最初に開業した東山線の初代車両「100形」が保存されているので、それを見に行くのが目的。
なんで急にまた?(笑)
ちょっとデータだけは仕入れておいても損はないかナと思いまして(^^;
100形には想い出があります。
名古屋には転勤で昭和61年から2111年間住んでいました。
初めての一人暮らしの場所に選んだのが名東区藤が丘。
転勤族は名東区に住むものだ、という、ガセとも好意ともわからないアドバイスを頼りに不動産屋を点々とした挙句、ええいどうにでもなれ!とばかりに諦めて、地下鉄の終点に落ち着いたのでした。
終点といっても、コンパクトなまち名古屋では30分もかからずに都心・栄まで出られるのです。
そこで最初に出会ったのが黄色い地下鉄東山線。当時既に5000形アルミ車は中堅どころとして活躍中でしたが、モノコックボディの100形はじめ「黄電」も多数生き残っていて、夏暑く冬寒い、何ともエコロジーな通勤で頻繁にお世話になったものです。
混雑する名古屋駅で頻繁にガラスが割れるからと、藤が丘寄りの戸袋窓には鉄板がはめられていたのが印象的でした。
そんな感傷に浸りつつ鶴舞線に揺られて赤池へ。
名古屋を離れる直前は日進市に住んでいたので、この辺りもウロついていた筈なのに、全然思い出せません。マンションが増えたなあという程度です。
日進車庫の建物裏に「レトロでんしゃ館」はあります。
100形107号車(手前)と108号車(奥)です。昭和32年日車製。
黄色がまばゆいこと!
車内は自由に入れます。昭和の匂いプンプンの車内。
同世代の営団丸ノ内線300~500形に通ずる運転室。でもこちらは狭いこと狭いこと。体格の良い運転士さんは狭い、暑いで、さぞ大変だったことでしょう。
車体が狭いのに広幅貫通路だから、妻面は座席の奥行きより狭いのです。
世に出ている形式図には本当に要部の寸法しか入っていないので、持参した巻尺を使ってさっそく計測を開始(^^;
窓幅850mm、窓柱180mm、客扉と窓の間は240mmでした。
そして窓下の腰高さ1000mm、窓天地960mmといった具合です。
さらに外ばめ窓の縁は40mm、中桟の幅は細く20mmでした。
ヘッドライトも丸ノ内線タイプです。こちらも詳細寸法を測りましたが、ほとんど必要とする人は居ないと思いますので割愛。なお左右のライト中心間隔は1500mmでした。
客ドアの幅は1100mmですが、高さがイマイチよくわかりません。というのも、クツズリ部分にずいぶん派手な傾斜がついていて、どこを基準にしてよいのかわからないのです。1800~1840mmの間くらいではないかと思います(定尺1820mmということか??)。
見る角度によって床板の厚みが違って見えるのは、この強い傾斜のせいだということがわかりました。
モノコックの床下の端部のようす。何やら四角い出っ張りがありました。遠目にはわからない部分です。
107号車の左脇腹には3箇所、このようなHゴム支持の覗き窓がついていました。雑誌などの写真では「足掛け」のように見えていて気になっていたのですが、これで謎が解けました。ただ、隣の108号車にもあるかどうか確認しなかったのが失点。。。
コンパクトなKH-10形台車(日立製)。直角カルダン式です。小さくても軸バネはしっかりウィングバネ式になっています。写真に写っていませんが、隣に「弾性車輪」のカットモデルもありました。
第三軌条式なので、集電靴を固定する梁が前後車軸間に渡されていて、枕バネの置き場がありません。下から覗くと、コイルバネ1本、吊りリンク2本のシンプルな揺れ枕機構がその内側に納まっていました。
こちらも連休中とあって、そこそこ子供連れで賑わっていたのですが、幸い子供達の関心はNゲージのジオラマやシミュレーターに向かっていたので、思う存分撮影、採寸できました。いつでもケガキできる体勢です(^^;
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「リニア・鉄道館」から次に向かったのは、名古屋市交通局が日進車庫の敷地内に開設している「レトロでんしゃ館」です。ここには市電とともに、市営地下鉄として最初に開業した東山線の初代車両「100形」が保存されているので、それを見に行くのが目的。
なんで急にまた?(笑)
ちょっとデータだけは仕入れておいても損はないかナと思いまして(^^;
100形には想い出があります。
名古屋には転勤で昭和61年から
初めての一人暮らしの場所に選んだのが名東区藤が丘。
転勤族は名東区に住むものだ、という、ガセとも好意ともわからないアドバイスを頼りに不動産屋を点々とした挙句、ええいどうにでもなれ!とばかりに諦めて、地下鉄の終点に落ち着いたのでした。
終点といっても、コンパクトなまち名古屋では30分もかからずに都心・栄まで出られるのです。
そこで最初に出会ったのが黄色い地下鉄東山線。当時既に5000形アルミ車は中堅どころとして活躍中でしたが、モノコックボディの100形はじめ「黄電」も多数生き残っていて、夏暑く冬寒い、何ともエコロジーな通勤で頻繁にお世話になったものです。
混雑する名古屋駅で頻繁にガラスが割れるからと、藤が丘寄りの戸袋窓には鉄板がはめられていたのが印象的でした。
そんな感傷に浸りつつ鶴舞線に揺られて赤池へ。
名古屋を離れる直前は日進市に住んでいたので、この辺りもウロついていた筈なのに、全然思い出せません。マンションが増えたなあという程度です。
日進車庫の建物裏に「レトロでんしゃ館」はあります。
100形107号車(手前)と108号車(奥)です。昭和32年日車製。
黄色がまばゆいこと!
車内は自由に入れます。昭和の匂いプンプンの車内。
同世代の営団丸ノ内線300~500形に通ずる運転室。でもこちらは狭いこと狭いこと。体格の良い運転士さんは狭い、暑いで、さぞ大変だったことでしょう。
車体が狭いのに広幅貫通路だから、妻面は座席の奥行きより狭いのです。
世に出ている形式図には本当に要部の寸法しか入っていないので、持参した巻尺を使ってさっそく計測を開始(^^;
窓幅850mm、窓柱180mm、客扉と窓の間は240mmでした。
そして窓下の腰高さ1000mm、窓天地960mmといった具合です。
さらに外ばめ窓の縁は40mm、中桟の幅は細く20mmでした。
ヘッドライトも丸ノ内線タイプです。こちらも詳細寸法を測りましたが、ほとんど必要とする人は居ないと思いますので割愛。なお左右のライト中心間隔は1500mmでした。
客ドアの幅は1100mmですが、高さがイマイチよくわかりません。というのも、クツズリ部分にずいぶん派手な傾斜がついていて、どこを基準にしてよいのかわからないのです。1800~1840mmの間くらいではないかと思います(定尺1820mmということか??)。
見る角度によって床板の厚みが違って見えるのは、この強い傾斜のせいだということがわかりました。
モノコックの床下の端部のようす。何やら四角い出っ張りがありました。遠目にはわからない部分です。
107号車の左脇腹には3箇所、このようなHゴム支持の覗き窓がついていました。雑誌などの写真では「足掛け」のように見えていて気になっていたのですが、これで謎が解けました。ただ、隣の108号車にもあるかどうか確認しなかったのが失点。。。
コンパクトなKH-10形台車(日立製)。直角カルダン式です。小さくても軸バネはしっかりウィングバネ式になっています。写真に写っていませんが、隣に「弾性車輪」のカットモデルもありました。
第三軌条式なので、集電靴を固定する梁が前後車軸間に渡されていて、枕バネの置き場がありません。下から覗くと、コイルバネ1本、吊りリンク2本のシンプルな揺れ枕機構がその内側に納まっていました。
こちらも連休中とあって、そこそこ子供連れで賑わっていたのですが、幸い子供達の関心はNゲージのジオラマやシミュレーターに向かっていたので、思う存分撮影、採寸できました。いつでもケガキできる体勢です(^^;
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