こんばんは。
今夜は爆弾低気圧が通過中とのこと。天候の急変にご注意ください。
実家から持ち出してきた古い写真の中になんと、101系時代の「相模湖臨」の写真がありました!こんなの撮ってたんですね・・・。しかも前面サボがカラーイラスト化される前の手書きの「高尾←→相模湖」とは泣かせます。
休日に高尾~相模湖の1駅区間だけを往復運転する臨時電車はファンの間で「相模湖臨」と呼ばれ親しまれていました。都会育ちの通勤車両とはいえ、101系800番台低屋根車の基本編成を用いた7連が山越えをする姿は堂々としていました。
撮影は1977年(昭和52年)で場所は高尾駅の2番線ホームです。右手の3番線にも101系が並び、後方にはベッドタウン化を象徴するようにマンションの鉄骨が組み上がっています。
撮影の10年後にはバブルが訪れて地価は高騰、東京西部のベッドタウン化は都境を越えて上野原、猿橋、大月、さらには富士急線内へと広がり、小仏トンネルを越える4つドア通勤電車の姿は、いつしか日常のものとなってしまいました。
カラーイラストのサボを掲示した101系晩年の姿はこちらのサイトでご覧いただけます。
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休日に高尾~相模湖の1駅区間だけを往復運転する臨時電車はファンの間で「相模湖臨」と呼ばれ親しまれていました。都会育ちの通勤車両とはいえ、101系800番台低屋根車の基本編成を用いた7連が山越えをする姿は堂々としていました。
撮影は1977年(昭和52年)で場所は高尾駅の2番線ホームです。右手の3番線にも101系が並び、後方にはベッドタウン化を象徴するようにマンションの鉄骨が組み上がっています。
撮影の10年後にはバブルが訪れて地価は高騰、東京西部のベッドタウン化は都境を越えて上野原、猿橋、大月、さらには富士急線内へと広がり、小仏トンネルを越える4つドア通勤電車の姿は、いつしか日常のものとなってしまいました。
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