おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
フェイスブックではすでにお伝えしていますが、ルガ銀行Webサイトに私がライターの遠藤由次郎さんから取材を受けた内容が掲載されています。
ご覧ください。
「アドラー心理学」が現代日本人の心に響いた理由
幸福につながるアドラー心理学の知恵 のカテゴリーでさらに続きます。
今回もかつてある雑誌に書いたものに修正・加筆した文章を2回に分けて書きます。
幸福の青い鳥はどこにいるの?
幸福を求めない人はいません。幸福を求めて格闘する人もいるでしょうし、果報は寝て待て待ての姿勢で終始し、そうして人生のフィナーレを迎える人もいるでしょう。
幸福になりたいという願いは人類の永遠の願いです。
古くから人は、幸福とは何か、幸福はどこにあるのかと、幸福の哲学や「青い鳥」などの童話を作り出してきました。
「幸福論」に関する出版物はたくさんあり、現在も世界中で様々な人が幸福について思索し、本に著しています。
そして、今、私もこの幸福について論じようとしています。またしても幸福を論じることは屋上屋を重ねる愚挙になるかもしれませんが、しばらくお付き合い下さい。
まず<必ずしも幸福とは言えそうにないもの>を列挙することから始めてみることにしましょう。
次の4つです。
1.人間の力ではコントロール出来できないもの
2.偶然の産物
3.身体の健康
4.物質的に豊かであること
これで幸福なの?
1.人間の力ではコントロール出来できないもの
代表例はお天気です。朝、目を覚ました時、天気がいいと、「今日はついてる」と思うことがあります。デートや旅行の日などはなおさらですね。逆に雨が降っていると、それこそ一日すべてがダメなような気がする人もいます。
確かに、天気のように人間の力でコントロールできないものが、人間の幸福に影響することは少しだけ認めます。何しろ仏教の「苦」は、語源的には「アンコントローラブル(コントロール出来ないこと)」だとどこかで読んだ記憶があります。
しかし、次のような寓話を読んで、あなたはどのような立場をとりますか?
昔、京の都に泣きババァとあだ名されるお婆さんがいました。とにかくよく泣いたそうです。このお婆さんに二人の息子がいました。一人は傘屋を営んでいました。天気がよいとお婆さんは「何とまあ不憫な。あの子はこんな日には、商売にならなくて・・・」と泣きました。
もう一人の息子は下駄屋でした。雨が降ると、その下駄屋の息子を思って、「気の毒に。こんな雨だと、あの子は商売が上がったりで・・・。なんと可哀想な」と泣いていたそうです。
その話を聞いたお坊さんが、「お婆さんや。逆に考えたらどうかな。晴れた日には下駄屋の息子を思い、雨の日は傘屋の息子を思ったらどうかな。そしてともに喜んだら」と助言したそうです。それ以来、お婆さんは雨の日は傘屋の、晴れの日は下駄屋のそれぞれの息子の商売繁盛を喜ぶようになり、泣きババァが“喜びババァ”となり、たいそう幸せに暮らしたそうです。
2.偶然の産物
かなり前、私の主宰するヒューマン・ギルドで、外部講師をお招きして「人生設計ゼミナール」を開いたことがありました。その時、講師から「将来の幸福なイメージを描いてください」という課題を与えられたのです。
その中で、大部分の人が「宝くじが当たった」「思いがけない財産を相続した」というような、かなり確立の低い“偶然の産物”を自分の幸福のイメージとして描き、驚いたことがあります。これらは、幸運と呼ぶべきで、努力の末にたどり着いた幸福のイメージとかけ離れています。
言い換えれば、宝くじに当たらなかったり、思いがけない相続がなかったりしたならば、その人は幸福ではない、ということになります。おかしな話です。
<続く>
<お目休めコーナー> 9月の花(3)
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