おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(9月18日)から福岡に来ています。
昼は講演(傍聴+担当の両方)、夜は懇親。
懇親は、宮崎佐智子さん、白井ひろ子さんと博多駅近くで。
話が広範囲に及び、時間を忘れて、とても楽しい博多の夕べになりました。
2人ともヒューマン・ギルドの プレミアム会員 です。
(右が宮崎さ、左が白井さん)
昼は、ホテルレガロ福岡で行われた一般財団法人 地方公務員安全衛生推進協会主催の「平成26年度 消防職員安全衛生研修会」で120名を対象に講演。
その前の13:00~14:30に笹川真紀子先生(武蔵野大学 心理臨床センター 精神保健福祉士、東京消防庁惨事ストレス対策専門指導員)の
消防職員の現場活動にかかわるストレス対策
の講演をお聴きしました。
笹川真紀子先生は、東京消防庁の「惨事ストレスの手引き」の
・消防の世界では、災害現場での悲惨な体験をしたり恐怖を味わったりしても、自分自身を乗り越えてきました。
・特に、むごたらしい死体を見て気持ち悪くなったり、匂いをかいで吐き気がしても、それはどちらかというと「恥」と捉えられやすい周りには大きい声で言えないという風潮があったと思います。
という記述をもとに、「焼死体を見た後に焼き鳥を食べにいけますか?」と語りました。
ここで私は、3月6日発行のヒューマン・ギルドのメルマガの「アドラー心理学を学び伝える上での留意点」を連想し、このブログにコピー&ペーストすることにしました。
アドラー心理学を学び伝える上での留意点のご提案です。
アドラー心理学を学び伝える人たちへのお願いは、「決めつけ」をしないでいただきたいのです。
特に『嫌われる勇気』は、決めつけて読んだり伝えたりすると、あらぬ誤解を招くことがあります。
『嫌われる勇気』では、「トラウマは、存在しない」のように言い切った見出しの表記が用いられています。
このことは、内容を忠実に反映していないのです。例を示しましょう。
「トラウマは、存在しない」の中で、岸見さんは「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分自身の経験によるショック ― いわゆるトラウマ― に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と、アドラーの言葉を引用しています。
アドラーは、経験それ自体を認めているわけですし、岸見さんも「大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによってなにかが決定されたわけではない、ということです」と語っているにもかかわらず、見出しには「トラウマは、存在しない」と表記されるのです。
となると、慎重な言い回しが捨象されて、見出しだけが独り歩きし、世間に流布してしまうとしたら危険です。アドラー心理学に対するあらぬ誤解を招きかねません。
アドラー心理学は、独断に対して慎重な心理学です。カウンセリングでの解釈場面でも、“Could it be・・・・?”(もしかして・・・・?、ひょっとして・・・・?)という可能性表現(弱め言葉)が使われ、決めつけを避けます。
解釈はあくまでもカウンセラー側の仮説にしかすぎないのですから。
アドラー心理学を学ぶ際も、伝える際も文脈を忠実に理解し、あくまでも「・・・・の可能性がある」「・・・・かもしれない」と、独断を避け、自分と相手を傷つけないでいただきたいのです。
私の切なるご提案です。
「トラウマは、存在しない」説がアドラー心理学の定説のように伝わる風潮を懸念する私です。
◆詳しくは、このブログ「アドラー心理学ブームについて :トラウマを巡って」(3月29日、30日、31日)に私の見解を書いていますので、お読みください。
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