おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(4月17日)はオフの日。
家の近くを歩いていても、花が自己主張を強めているのが目につきます。
さて、私の口癖について書きます。
日常会話でいろいろ理由をつけては踏み出さない人に対しては「四の五の言わずに」が多いようですし、カウンセリングでは「それで、何が問題なのですか?」とよく言います。
ここでは「それで、何が問題なのですか?」使う場面をお伝えしましょう。
私は問題を「トリビアル(trivial、些細な)」と「エッセンシャル(essential、本質的な)」に分けて考えるのが好きで、人生で生命・財産に重大な影響を与えると予想される問題が「エッセンシャル」で、そうでもないものを「トリビアル」としています。
◆「トリビアル」と「エッセンシャル」を分ける発想法は、2015年5月26日付けブログ クライアント役を務めて改めて気づいたこと:トリビアルとエッセンシャル をご参照ください。
ところで、この両者を区分させる質問があります。
「それで、何が問題なのですか?」
「社長がワンマンで」とか、「子どもの口の利き方が生意気」というような主訴は他者の問題、経営者にとっての景気が悪いというのは環境の問題、自分自身の非行歴や失敗は過去の問題であって、自分ではどうにもできない、取り戻すことも困難な過去の問題で、「エッセンシャル」とはなりません。
「トリビアル」な問題に対してさも「エッセンシャル」な問題のようにこだわっている人に肩透かしの意味を込めて「それで、何が問題なのですか?」と言うと、問題視していたことが問題でなくなり、カウンセリングの重要テーマにならないことがあります。
あなたも、自分の抱えている問題を書き出し、「トリビアル」と「エッセンシャル」に分けて、「それで、何が問題なの?」と自問してみると、多くは「トリビアル」に属することがわかります。
「雀撃つのに大砲は要らぬ」ということわざがありますが、「トリビアル」な問題を「エッセンシャル」と勘違いして、時間と労力を過大に費やす必要はないのです。
<お目休めコーナー>4月の花(18)
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