アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(法人研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド 岩井俊憲です。

昨日(2月1日)は、ヒューマン・ギルドで10:00~17:00にマリーナ・ブルフシュタイン博士(アドラーユニバーシティ(大学院)教授、国際個人心理学会副会長)による アドラー心理学の歴史的流れ を行っていました(通訳:埴原由美さん、ファシリテーター:梶野 真さん(日本アドラー心理学協会 代表理事、2枚目と4枚目の写真ご提供)、翻訳:水野美津子さん(アドラーと仲間たちの会 主宰)。

参加者は満員御礼の35名。

遠くは、広島からのご参加者がいらっしゃいました。

アドラーの生育歴から、アドラーとフロイトの対比から始まり、その後のドライカースから現代に近づくアドラー心理学の発展を1日で学ぶことができる講座になりました。

スライドで新聞記事などのコピーを映し出してくれてのプレゼンテーションによって、私はアドラー自身についてより深く知ることができました。

・アドラーは、第二子として伝えられているが、第一子のジークムントとの間に生まれてすぐ死んだアルバートという兄がいたこと

・アドラーの妻のライサは、チューリッヒ大学で動物学を専攻した留学生で、まさに理想的な女性として結婚に至ったこと

・アドラーは、新聞社の取材を頻繁に受けていて、その中で1932年に「女性を大統領に!」という男女平等の最先端を行く発言をしていたこと

・同じく新聞社の取材で、「独裁者は、甘やかされて育った子」だと語っていたこと

・アドラーは、末娘のコルネリアの思春期の頃の行動に手を焼いていたことがあって、そのことが自分の教育理論に反映されたこと


その他にも、アドラーとフロイトとの違いを生育環境、性格、ものごとに対する全般的な姿勢で細かく知ることができました。

講座の最後に、「他の心理学を選ぶ可能性もあったにに、先生はなぜアドラー心理学を選んだのですか?」という質問に対して、「人生の困難な時期にアドラー心理学の哲学によって救われた」とし、アドラー心理学の奥深さに魅了され、旅に出ても家に還るような感覚を味わえることが、アドラー心理学の世界で居続ける同期になった、と答えたことが私の心を打ちました。

講座案内文の次のところが、マリーナが伝えたい重要なメッセージであることが腑に落ちた講座でした。

哲学としても、そして心理学の学派としても、アドラー心理学は、現実社会から隔絶された研究室の中で誕生したわけではありません。
アドラー心理学の概念は、20世紀初頭の歴史的に悲惨な変動の時代にあって、その苦難に満ちた状況に対するひとつの回答であり、また、世界の崩壊へとつながる状況への解決策を見出さなくてはならない、という危機感に対するひとつの回答でもありました。
アルフレッド・アドラーは、この天からの問いかけに対してどのように応えたのでしょうか?

アドラーは、世界情勢の最前線に人間の本質をあらしめ、人類の発達において人間の関係性が担う役割の重要性を強調しました。
彼の人生の哲学と心理学の理論は、卓越した知性の炸裂をはるかに超えるものであり、高潔な精神の探求に他なりませんでした。
そしてその探求は20世紀初頭の三十年にわたって続きました。
その後、彼の理論は、ルドルフ・ドライカースをはじめとする優れた思想家たちによって引き継がれ、深められました。
そして100年以上経った今でも、アドラーの理論は多くの国々・無数の状況のもとで試され続け、大勢の人々がその有益性の恩恵を受け続けています。



 
講座が終わってからは、夫さんのアリックも合流し、神楽坂の bon gut で会食を楽しみました。

 

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