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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。

昨日(6月21日)の午後は姫路城を見学しました。
日本人よりも外国人の方がずっと多かった印象でした。
写真を中心にお伝えします。

白鷺城として有名な姫路城、私は初訪問です。
確かに美しい。

ただ、天守閣に至る道のりは遠かった。
私は鯱(シャチ)に関心を寄せました。

これは武者隠し。

姫路城と姫路市の模型。

西の丸からにも行きました。



西の丸では、千姫(家康の孫、秀忠と江の娘)の哀しい物語が心に残りました。
こんな運命をたどっています。

・慶長8年(1603年)に7歳で秀頼(11歳)と結婚し、従者ともに大坂城に入る。

・慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、祖父・徳川家康の命により落城する大坂城から救出される。
その後、秀頼と側室の間の娘・天秀尼が処刑されそうになった時に、千姫は彼女を自らの養女にして命を助ける(秀頼と淀殿に対する助命嘆願は聞き届けられなかった)。
なお、天秀尼は後に「縁切り寺」として有名な東慶寺の住職となった。

・元和2年(1616年)、20歳で桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚した。

・本多忠刻との間に長女・勝姫(池田光政正室、池田綱政生母)、長男・幸千代が生まれた。

・しかし、幸千代が3歳で没し、寛永3年(1626年)には夫・忠刻、姑・熊姫、母・達子が次々と没するなど不幸が続いた。

・このような不幸が続くのは秀頼の祟りだと懸念し、観音様に頼った。

・やがて本多家を娘・勝姫と共に出て江戸城に入り、出家して天樹院を号した。

何だか運命に弄ばれた感がする千姫の物語が印象に残りました。

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