1988年4月・東京で
―ラサでの入院(2/3)・・・Wさんの手記より―
入院病棟で再び(三度?)診察。
先に渡された薬を見せると、「これは違う薬だ。捨てなさい」と言う。
この医師は、私が少しばかり中国語が話せることが面白いらしく、ニコニコしながら、病気とは無関係の質問を次々としてくる。
質問攻めには、多少慣れたと言うものの、この体調の悪さ、しんどくて・・・と思いながら、またまた、誤ったサービス精神を発揮して、苦しい笑顔で答えてしまう始末。
おまけに彼氏ときたら、立て続けにタバコをふかしているのだから、たまったものではない。
中国で「嫌煙権」という言葉が生まれるのは何時になるのだろうか・・・そういえば、硬座車の長い旅でも、ちょっとタオルを窓の桟に干して置くと、どうしようもない程、タバコの臭いがついてしまった。
点滴を受ける前に、まずトイレへ・・・。トイレが室内にあるとは有り難いと思いながら行くと張り紙がしてある・・・「大便は外で」。
下痢の私としては何とも辛い張り紙だ。
ウマイ話には裏がある・・・十分に納得した。
そこで、ハタッと気が付いた。
着の身着のままで来てしまい、一番大事なトイレットペーパーを忘れていたのだ。
ティシュペーパーさえも持たずに・・・・。
ここでトイレットペーパーやティシュペーパーを探すという事は、本当に生易しい事ではないのだ。
作業は中止し、とりあえず便意を催さない事を神に(紙に?)祈りつつ、ホテルに戻る男性服務員さんにYさんへ伝言を託した・・・「ペーパー頼む」。
点滴は手の甲に打たれている・・・その私に女性服務員さんが付き添ってくれた。
女性服務員も、身の回り品を届けてくれたYさんも帰って行った。
一人になると、同室のチベット婦人がしきりに世話をやいてくれる・・・点滴の落ちが早いといって遅くしてくれたり、白湯を飲ませてくれたり・・・彼女、何の病気か、入院生活も長いようで、看護婦さんたちとも、すっかり親しくなっている。
陽気な看護婦の一人は、彼女のベッドの布団に座り込み、盛んにトランプ占いに興じたりして、4、50分も大油を売っているのだった。
日本だったら、どうなるのかな・・・。
先程の煙鬼の医師が薬を持ってきた。
中葯と呼ばれる漢方薬だ。
私に中葯を飲んだことがあるかと聞くので、「モチロン!」と大見栄を切る。
その上、「良葯苦口(良薬は口に苦し)」などと余分な事まで口が滑ってしまう。
サービス精神旺盛で、A型血液にO型が混ざっていると言われるのも無理はない。
その良薬、一口、口に含んだだけで、「もう、ダメ!」だった。
こんなに苦いものは、今まで経験したことがない。
筆舌に尽くしがたい苦さである。
だから表現できない。
例の陽気な看護婦さんが、私の口に無理やり押し込んでくれるのだが、喉の方が受け付けない。
どうしても拒否して入っていかないのだ。
チベット婦人の友達のチベットおじさんが、自分の薬の入った特大カップを持ち上げて、こう飲むのだと実演し、飲み終わった空のカップを「どうだい、飲めただろ」と言わんばかりに見せるのだった。
おじさんと薬草のみ競争をするには、薬は苦いし、カップはでかいし・・・。チベット婦人が砂糖をいれたらと提案すれば、入れないほうが良いという意見が出るなど、日本人の中葯体験を巡って、病室は盛り上がって行くのだった。
明日の予約済みの飛行機、キャンセルの手続き、再購入など、諸々考えると、明日は必ず退院しければと気持ちが焦る。
「好了」の状態には程遠いが、「好了、好了」を医師に連発して、明日退院の許可を求めれば、明日の状態次第との返事。
明日は必ず回復を・・・と、神や仏に祈りをささげて、まだ明るいチベットの夜、私は眠りに就いた。
(明日に続く)