○池上俊一『イタリア・ルネサンス再考:花の都とアルベルティ』(講談社学術文庫) 講談社 2007.4
最近、ちょっとマイブーム気味のイタリア・ルネサンスもの。まあ、イタリア観光局の公式サイトによれば、2007年3~6月は、日本におけるミニ・イタリア年「イタリアの春2007」だそうだから、平仄は合う。
本書は、代表的ユマニスト、”万能人”レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-1472)の生涯と著作を中心に、新たなルネサンス像の構築を目指したもの。たとえば、迷信と神秘主義の中世に対して、世俗と合理主義のルネサンスという通俗的な見解を著者は否定する。ユマニストと宗教のかかわりは一筋縄ではいかない。彼らは決して神を否定してはいない。むしろルネサンスの都市は、宗教性、聖性を教会の懐から奪い、都市自体の内に聖性の中心を築こうとしたのではないか。
アルベルティの『家族論』から敷衍して、当時の女性や子どもについて述べた段も興味深い。ルネサンス期の女性たちは、見かけの華々しさにもかかわらず、公共の場からは完全に締め出され、父や夫に隷属した立場にあった。背景には家族制度の変貌がある。11~13世紀、イタリアにはコンソルテリーアという多核的な大家族制度(彼らは一門のシンボルである高い塔を囲んで住んでいた)が見られたが、13世紀後半からこれが崩壊し、核家族を基礎とする家父長制度が伸張し、家名(ファミリーネーム)が重視されるようになった。
こういうのを読むと、家族のありかたって、時代と地域によって、激しく変動してきたのだな、ということが分かる。自分にとって好ましい家族観だけを「伝統的」と強弁したがる輩には、つねに眉唾で向かおう。
さて、そんな父権的な文化においても、女性たちの「洒落っ気」のパワーは、次第に公共空間を女性的な美意識で満たすことに成功した。修道女、娼婦は独特の地位を持った。多産は大いに喜ばれ、ルネサンス人は「子ども」に熱狂した。女嫌い、同性愛、若者組、核家族をとりまく友人(親族)の重視など、当時の社会制度(家族制度)の解説は、どこを取り上げても非常に興味深かった。
もうひとつ、読みどころは「あとがき」である。著者によれば、イタリア中世史やルネサンス史は、長いこと、我が国では「まともな『学問』領域とは考えられてこなかった」。「実際、イギリスやドイツやフランスに壟断されてきた大学ポストへの就職の可能性も少なかった」そうだ。以下、怨みと自恃の交錯する文章は、人間臭くて味わい深い。
そういえば、書き落としていたが、4月頃に東京大学の駒場博物館(美術博物館)に『創造の広場(ピアッツァ)イタリア』展を見に行った。これは、東京大学教養学部が2007年4月から、イタリア語を初修外国語に加えたことを記念した展覧会でもあるという。この会場のどこかで、著者の名前を見たような気がするのは、私の記憶の紛れだろうか。
最近、ちょっとマイブーム気味のイタリア・ルネサンスもの。まあ、イタリア観光局の公式サイトによれば、2007年3~6月は、日本におけるミニ・イタリア年「イタリアの春2007」だそうだから、平仄は合う。
本書は、代表的ユマニスト、”万能人”レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-1472)の生涯と著作を中心に、新たなルネサンス像の構築を目指したもの。たとえば、迷信と神秘主義の中世に対して、世俗と合理主義のルネサンスという通俗的な見解を著者は否定する。ユマニストと宗教のかかわりは一筋縄ではいかない。彼らは決して神を否定してはいない。むしろルネサンスの都市は、宗教性、聖性を教会の懐から奪い、都市自体の内に聖性の中心を築こうとしたのではないか。
アルベルティの『家族論』から敷衍して、当時の女性や子どもについて述べた段も興味深い。ルネサンス期の女性たちは、見かけの華々しさにもかかわらず、公共の場からは完全に締め出され、父や夫に隷属した立場にあった。背景には家族制度の変貌がある。11~13世紀、イタリアにはコンソルテリーアという多核的な大家族制度(彼らは一門のシンボルである高い塔を囲んで住んでいた)が見られたが、13世紀後半からこれが崩壊し、核家族を基礎とする家父長制度が伸張し、家名(ファミリーネーム)が重視されるようになった。
こういうのを読むと、家族のありかたって、時代と地域によって、激しく変動してきたのだな、ということが分かる。自分にとって好ましい家族観だけを「伝統的」と強弁したがる輩には、つねに眉唾で向かおう。
さて、そんな父権的な文化においても、女性たちの「洒落っ気」のパワーは、次第に公共空間を女性的な美意識で満たすことに成功した。修道女、娼婦は独特の地位を持った。多産は大いに喜ばれ、ルネサンス人は「子ども」に熱狂した。女嫌い、同性愛、若者組、核家族をとりまく友人(親族)の重視など、当時の社会制度(家族制度)の解説は、どこを取り上げても非常に興味深かった。
もうひとつ、読みどころは「あとがき」である。著者によれば、イタリア中世史やルネサンス史は、長いこと、我が国では「まともな『学問』領域とは考えられてこなかった」。「実際、イギリスやドイツやフランスに壟断されてきた大学ポストへの就職の可能性も少なかった」そうだ。以下、怨みと自恃の交錯する文章は、人間臭くて味わい深い。
そういえば、書き落としていたが、4月頃に東京大学の駒場博物館(美術博物館)に『創造の広場(ピアッツァ)イタリア』展を見に行った。これは、東京大学教養学部が2007年4月から、イタリア語を初修外国語に加えたことを記念した展覧会でもあるという。この会場のどこかで、著者の名前を見たような気がするのは、私の記憶の紛れだろうか。