○金刀毘羅宮~高橋由一館~金丸座
http://www.konpira.or.jp/
四国旅行2日目。本当は3連休を使って、高知1泊+高松1泊を予定していた。しかし、台風で1週延期した結果、今日(日曜)のうちに東京に帰らなければならない。でも、せっかく四国まで来たので、金刀毘羅宮をこの目で見たい。
調べてみたら、高知-琴平町は特急で1時間半。なんだ、東京なら通勤圏内じゃん。駅前で朝食のパンを買って、7時の特急に乗り込んだ。まもなく、土佐山田を過ぎると、土讃線は、深い緑に覆われた山の中に入る。ときどき通過駅が目に入るが、ホームの表面まで植物がはびこり、忘れ去られた古代遺跡のようだ。列車はスピードを落とさないので、気持ちいい。車窓から見下ろす青い帯は吉野川渓谷である。巨大な岩盤が目立つところが、奈良の吉野川に不思議とよく似ている。
琴平町に到着。ようやく店を開け始めた土産物屋を眺めながら、長い石段を上がる。本宮の手前に表書院・奥書院があった。現在、東京藝術大学の美術館で公開中の、応挙・若冲らの障壁画を有するところだ。芸大の展覧会には、全ての障壁画が来ているわけではないので、もしかしたら、残りは現地で見られるのではないか、と期待していたが「9月30日まで閉鎖」だそうだ。まあ、冷静に考えれば、さもありなん。でも『書院の美』展に感激して、ふらふらと現地まで来てしまった身には、ちょっと残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/07/add9fc2bdcb97745c90f2576b2873437.jpg)
境内には、日本近代洋画の祖、高橋由一の作品を集めた高橋由一館がある。明治期の宮司、琴陵宥常(ことおかゆうじょう)が購入したものだそうだ。「鱈梅花」とか、わけわかんない作品で好きだなあ。
本宮に到着したところで、強い雨が降り出す。幸い、私は傘を携帯していたが、ほとんどの参拝客が、屋根の下で身を寄せ合って雨止みを待つ状態に。「羅生門」みたいで可笑しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/68/eeba38329831f2bd9848be1e8611d890.jpg)
琴平町には、もうひとつ外せない見ものがある。現存最古の芝居小屋、金丸座(旧金毘羅大芝居)である。中に入ると、帳場で待っていたおじさんが、いろいろ興味深い説明をしてくれた。注目ポイントは天井である。金丸座では、舞台の上も客席の上も、竹を編んだ「葡萄棚」状になっている。演目によっては、ここから紙吹雪を降らせる。近代の劇場では、舞台の上だけが格子天井になっており、客席の上に紙吹雪は降らない。しかし、かつては舞台と客席に区別はなかった。
また、江戸時代には、現在のような照明装置はなかった。そのため、舞台の暗転は人海戦術による窓の開け閉めによって行ったそうだ。自然光と蝋燭の光だけがたよりのほの暗い舞台だからこそ、あの厚い白塗りメイクと、金糸を織り込んだ派手な衣装が映えたのである。そう思うと、古典美術・古典芸能と言いながら、われわれ現代人は全く別のものを見ているのかも知れない。舞台の下に下りると、人力で動かす廻り舞台の仕組みを見ることもできる。
あやふやな記憶だが、おじさんから聞いたことを書いておこう。純粋に江戸時代の様式を残す芝居小屋は、この金丸座のほか、あと2つ(3つ?)ある。1つは愛媛県内子町の「内子座」。それから熊本県山鹿市の「八千代座」。あとは江戸と近代の折衷様式で、古い芝居小屋は名古屋周辺に多いそうだ。
■新たなる歓声、伝統の芝居小屋(日本の旅ドットコム)
http://www.nihonnotabi.com/sibaigoya/
http://www.konpira.or.jp/
四国旅行2日目。本当は3連休を使って、高知1泊+高松1泊を予定していた。しかし、台風で1週延期した結果、今日(日曜)のうちに東京に帰らなければならない。でも、せっかく四国まで来たので、金刀毘羅宮をこの目で見たい。
調べてみたら、高知-琴平町は特急で1時間半。なんだ、東京なら通勤圏内じゃん。駅前で朝食のパンを買って、7時の特急に乗り込んだ。まもなく、土佐山田を過ぎると、土讃線は、深い緑に覆われた山の中に入る。ときどき通過駅が目に入るが、ホームの表面まで植物がはびこり、忘れ去られた古代遺跡のようだ。列車はスピードを落とさないので、気持ちいい。車窓から見下ろす青い帯は吉野川渓谷である。巨大な岩盤が目立つところが、奈良の吉野川に不思議とよく似ている。
琴平町に到着。ようやく店を開け始めた土産物屋を眺めながら、長い石段を上がる。本宮の手前に表書院・奥書院があった。現在、東京藝術大学の美術館で公開中の、応挙・若冲らの障壁画を有するところだ。芸大の展覧会には、全ての障壁画が来ているわけではないので、もしかしたら、残りは現地で見られるのではないか、と期待していたが「9月30日まで閉鎖」だそうだ。まあ、冷静に考えれば、さもありなん。でも『書院の美』展に感激して、ふらふらと現地まで来てしまった身には、ちょっと残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/07/add9fc2bdcb97745c90f2576b2873437.jpg)
境内には、日本近代洋画の祖、高橋由一の作品を集めた高橋由一館がある。明治期の宮司、琴陵宥常(ことおかゆうじょう)が購入したものだそうだ。「鱈梅花」とか、わけわかんない作品で好きだなあ。
本宮に到着したところで、強い雨が降り出す。幸い、私は傘を携帯していたが、ほとんどの参拝客が、屋根の下で身を寄せ合って雨止みを待つ状態に。「羅生門」みたいで可笑しかった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/68/eeba38329831f2bd9848be1e8611d890.jpg)
琴平町には、もうひとつ外せない見ものがある。現存最古の芝居小屋、金丸座(旧金毘羅大芝居)である。中に入ると、帳場で待っていたおじさんが、いろいろ興味深い説明をしてくれた。注目ポイントは天井である。金丸座では、舞台の上も客席の上も、竹を編んだ「葡萄棚」状になっている。演目によっては、ここから紙吹雪を降らせる。近代の劇場では、舞台の上だけが格子天井になっており、客席の上に紙吹雪は降らない。しかし、かつては舞台と客席に区別はなかった。
また、江戸時代には、現在のような照明装置はなかった。そのため、舞台の暗転は人海戦術による窓の開け閉めによって行ったそうだ。自然光と蝋燭の光だけがたよりのほの暗い舞台だからこそ、あの厚い白塗りメイクと、金糸を織り込んだ派手な衣装が映えたのである。そう思うと、古典美術・古典芸能と言いながら、われわれ現代人は全く別のものを見ているのかも知れない。舞台の下に下りると、人力で動かす廻り舞台の仕組みを見ることもできる。
あやふやな記憶だが、おじさんから聞いたことを書いておこう。純粋に江戸時代の様式を残す芝居小屋は、この金丸座のほか、あと2つ(3つ?)ある。1つは愛媛県内子町の「内子座」。それから熊本県山鹿市の「八千代座」。あとは江戸と近代の折衷様式で、古い芝居小屋は名古屋周辺に多いそうだ。
■新たなる歓声、伝統の芝居小屋(日本の旅ドットコム)
http://www.nihonnotabi.com/sibaigoya/