(前日の続き)
簡単な夕食を済ませて、再び町内に戻る。絵金蔵では、6時からの夜間開館が始まっていた(昼のチケットで再入館可)。暗闇の展示室は、ビデオシアターに様変わり。収蔵庫の「蔵の穴」では、笑い絵(春画)が見られるようになっていた。私がいちばん感動したのは、さっき見逃していたギャラリー(土間ホール)の白描画コレクションである。
絵金といえば、泥絵具を用いた芝居絵屏風がまず目に浮かぶ。ポスターカラーみたいな、メリハリの利いた発色、奇抜な構図と相まって、横尾忠則のアートみたいだと思った。しかし、絵金には、狩野派を学び、藩の御用絵師の座についた過去もある。芝居絵屏風の1枚「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ) 御殿」には、小道具として、狩野派ふうの鷹図の屏風が描き込まれていて興味深い。
さらに「李白観瀑」や「菊慈童」など、いかにも狩野派チックな伝統的画題の白描画(水墨画)も残している。それとは別に、絵金の白描画には、芝居絵の下絵と思しい作品が多数ある。自作の想を練るための草稿だったり、弟子に与えたお手本だったりするらしいが、これが素晴らしくいい。基本は「浮世絵の顔」なのに、人間くさい感情がほとばしり、今にも動き出し、喋り出しそうである。「江戸のアニメーター」と呼びたいくらい。安彦良和のデッサンを思い出した。
外に出て、本町通りの様子を見に行く。営業を始める露店が増え始め、人出も多くなってきたが、なかなか屏風は並ばない。また横町通りに戻ったり、川辺に出たり、ぶらぶら歩きを繰り返しているうち、ようやく本町にも屏風が立った。商売のかたわら、屏風の画題について解説してくれる店もある。いつしか提灯に灯が入り、遅い夏の日も、徐々に暮れ始めた。
7時から、絵金蔵の館長=蔵長(くらおさ)横田恵さんによる作品解説ツアーが始まった。野外用の大きなハンドスピーカーを下げて、商店街をまわる蔵長の後を、生ビールの紙コップ片手に、人波に揉まれながら付いて歩く。BGMは、歌謡ショーの生演奏と露店の売り声。喧騒の下、ロウソクの灯と白熱電球に照らされて、絵金の屏風は生き返ったように、輝きと妖しさを増す。
8時を過ぎた頃、そろそろ引き上げねばと思った。同じ道を何度も何度も行きつ戻りつして、全ての作品と名残りを惜しみ、結局、8時51分発の高知行で赤岡町を離れた。きっとまた来るだろう、このお祭り。来ないわけがない。
簡単な夕食を済ませて、再び町内に戻る。絵金蔵では、6時からの夜間開館が始まっていた(昼のチケットで再入館可)。暗闇の展示室は、ビデオシアターに様変わり。収蔵庫の「蔵の穴」では、笑い絵(春画)が見られるようになっていた。私がいちばん感動したのは、さっき見逃していたギャラリー(土間ホール)の白描画コレクションである。
絵金といえば、泥絵具を用いた芝居絵屏風がまず目に浮かぶ。ポスターカラーみたいな、メリハリの利いた発色、奇抜な構図と相まって、横尾忠則のアートみたいだと思った。しかし、絵金には、狩野派を学び、藩の御用絵師の座についた過去もある。芝居絵屏風の1枚「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ) 御殿」には、小道具として、狩野派ふうの鷹図の屏風が描き込まれていて興味深い。
さらに「李白観瀑」や「菊慈童」など、いかにも狩野派チックな伝統的画題の白描画(水墨画)も残している。それとは別に、絵金の白描画には、芝居絵の下絵と思しい作品が多数ある。自作の想を練るための草稿だったり、弟子に与えたお手本だったりするらしいが、これが素晴らしくいい。基本は「浮世絵の顔」なのに、人間くさい感情がほとばしり、今にも動き出し、喋り出しそうである。「江戸のアニメーター」と呼びたいくらい。安彦良和のデッサンを思い出した。
外に出て、本町通りの様子を見に行く。営業を始める露店が増え始め、人出も多くなってきたが、なかなか屏風は並ばない。また横町通りに戻ったり、川辺に出たり、ぶらぶら歩きを繰り返しているうち、ようやく本町にも屏風が立った。商売のかたわら、屏風の画題について解説してくれる店もある。いつしか提灯に灯が入り、遅い夏の日も、徐々に暮れ始めた。
7時から、絵金蔵の館長=蔵長(くらおさ)横田恵さんによる作品解説ツアーが始まった。野外用の大きなハンドスピーカーを下げて、商店街をまわる蔵長の後を、生ビールの紙コップ片手に、人波に揉まれながら付いて歩く。BGMは、歌謡ショーの生演奏と露店の売り声。喧騒の下、ロウソクの灯と白熱電球に照らされて、絵金の屏風は生き返ったように、輝きと妖しさを増す。
8時を過ぎた頃、そろそろ引き上げねばと思った。同じ道を何度も何度も行きつ戻りつして、全ての作品と名残りを惜しみ、結局、8時51分発の高知行で赤岡町を離れた。きっとまた来るだろう、このお祭り。来ないわけがない。