見もの・読みもの日記

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日米修好の始まり/ペリー&ハリス(江戸東京博物館)

2008-05-03 23:25:57 | 行ったもの(美術館・見仏)
○江戸東京博物館 開館15周年記念特別展『ペリー&ハリス~泰平の眠りを覚ました男たち~』

http://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

 安政5年(1858)、日米の本格的な通商の開始を意味する『日米修好通商条約』が結ばれてから150年。これを記念し、米海軍提督ペリーと初代駐日米国総領事ハリスに焦点をあて、幕末の対外関係を紹介する展覧会である。
 
 嘉永6年(1853)、ペリー率いる4隻の黒船が浦賀に入港、久里浜に上陸した。初めて知ったのは、ペリーの艦隊が、大西洋→ケープタウン→シンガポール→上海→琉球を経由して来航したということ。私は、太平洋を横断してきたものと勝手に思い込んでいた。アメリカにとっての日本は、太平洋を挟んで向かい合う「隣国」ではなくて、まさに「極東」の国だったのだなあ、と思った。ペリー著『日本遠征記』には、琉球の王城で歓待を受ける一行の姿が挿絵入りで紹介されている(この原稿が、アメリカ公文書館にあるというのも意外)。

 本展には、アメリカから、当時を物語る資料が多数出品されている。ビーバー皮の三角帽や、意外としょぼいサーベルとか。ペリー艦隊が久里浜に掲げた星条旗(日本に初めて上陸したアメリカ国旗)は、よく見ると、等幅の赤白の帯を交互に縫い合わせて縞模様を作っている。星も縫いつけである。この星条旗は、1945年、日本が降伏文書に調印する際、マッカーサーがミズーリ艦上に掲げさせたものでもあるそうで、二重に感慨深い。

 嘉永7年(1854)、『日米和親条約』調印。日本側原本は、江戸城火災により焼失しており、本展には、アメリカ国立公文書館が保存する原本が出品されている。英語・日本語・中国語(漢文)・オランダ語の4カ国語の調印書があるが、日本側の全権代表・林大学頭は、意を解さない英語版へのサインを拒否したため、英語版にはペリーのサインしかない。いいのか、それで? オランダ語版には「Moriyama」という日本名のサインが読み取れた。調べてみたら阿蘭陀通詞の森山栄之助らしい。

 後半の主人公は、初代駐日公使となったタウンゼント・ハリス。幕臣たちの混乱・逡巡に動じず、『日米修好通商条約』の締結によって、実質的に日本を開国に導いた。日本人に対しては、なんとなく恫喝的・高圧的で嫌なヤツだと思っていたが、本国では、医療・消防・教育などの公共事業に功績のある人物であることを初めて知った。また、5年9ヶ月の滞在ののち、(幕臣たちに)「惜しまれながら去った」という解説を読んで、ちょっと意外だった。嫌われてはいなかったのか。墓所はニューヨークのブルックリンにあるとのこと。ニューヨークに行ったとき、墓参してくればよかった。

 日本に残る資料から読み解く、日本側の対応も興味深い。時代が遡るが、『阿蘭陀風説書』(寛政9年=1797)は、現存する同書の唯一の原本だそうだ。オランダとフランスの戦争、トルコとロシアの戦争など、徳川幕府の上層部は、結構しっかりと国際情勢を把握していたことが分かる。幕末の『鴉片始末』『阿蘭陀機密風説書』などは、日本の命運に直結した、より緊迫した国際情勢を伝える。一方で、錦絵で民間に流布したペリー像の牧歌的なことは、苦笑するしかない。

 会場内は、いつになく西洋人の姿が多かった(やっぱりアメリカ人かな?)。なお、展示図録には、資料解説と別に、これら文書(展示箇所)の釈文(翻刻)が掲載されている。これには感激した。江戸博って、ハコもの行政の遺産と思われているフシがあるけど、いい仕事をしているのである。
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