見もの・読みもの日記

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幸福の源/神秘家水木しげる伝(水木しげる)

2008-05-04 13:27:04 | 読んだもの(書籍)
○水木しげる『神秘家水木しげる伝』 角川書店 2008.4

 あ、水木先生の自伝マンガだ、と思って立ち読みを始めたら、どんどん引き込まれて買わざるを得なくなってしまった。角川書店の雑誌『怪』に連載されていたものだという。

 私は、幼少期から水木マンガが大好きだった。そのことは、以前、『大(Oh!)水木しげる展』の感想に書いたことがある。1970年代、中学生になると、周囲は少女マンガ一色だった。萩尾望都、竹宮恵子、池田理代子など少女マンガの全盛期だったし。その中で「水木しげるが好き」なんて公言すると、かなり仲のいい友人からも、変な眼で見られたものだ。それでもあの、不定形なのにどこか硬質の質感のある、縹渺とした独特の絵が好きだった。いま、私は、自分の好悪を捨てなくてよかった、と思っている。

 本書に淡々と語られているエピソードには、なかなかすごいものもある。幼少期の水木少年は「人は死んだらどうなるか」という関心に取り付かれ、ある日、弟を海に突き落として「実験」しようとした。弟はたまたま通りかかったおじさんに救われ、水木少年はこっぴどくお灸をすえられたというが、これが「成功」していたら、立派な犯罪少年である。「好きなことにしか興味がない」から、就職してもすぐクビ、朝から晩まで黙って絵を描いていたら、あるとき、声がつかえて、うまく喋れなくなってしまったという。今のニートと変わるところがない。

 戦地で片腕を失い、復員後はマンガ家となって貧乏暮らし。〆切1週間前は絶食状態。電気を切られてロウソクの灯りでマンガを描いたとか、申告所得があまりにも少ないので税務署が不審がってやってきたとか、「世の中にこんなに働いても、こんなに貧乏な商売があるなんて」と妻(40歳目前、見合いの翌日に結婚)に不思議がられる。要するに、犯罪少年(一歩手前)→ニート→ワーキング・プアと、見事に「落ちこぼれ」の前半生なのだ。

 けれども、今の「ワーキング・プア」と呼ばれる人たちと何が決定的に違うかといえば、「その頃のぼくをささえていたのは、ただ自信だけだった/作品の”自信”ではなく、生きることの”自信”だった、エヘン/しかし、これには悲愴感はなく、むしろ「絶対に生かされる」という楽天的な信念だった」という部分ではないかと思う。この自信は、現代に比べれば、当時(昭和30年代)はまだ社会全体に共有されていたものだと思うが、とりわけ、精霊や妖怪や死者と交信できる水木先生には強かったのだろうと思う。

 昭和40年代以降の水木先生の活躍は知られるとおり。でも、ご本人は相変わらずだ。妖怪たちに生かされ、招かれ、支えられ、時にはこき使われていると感じながら、百歳を目指している。そんな水木先生を慕って、京極夏彦、荒俣宏ら、さまざまな人たちが集まっているのも周知の通り。水木先生といると不思議と幸せな気持ちになれるそうで、荒俣宏氏は、この感染力の強いナニモノかを「幸福菌」と名付けたそうだ。次女・水木悦子さんのあとがきは「この本を読んで下さった方々にも『幸福菌』が感染しますように」と結ばれる。幸せな本である。
コメント
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