見もの・読みもの日記

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信越ミニ旅行(2):長野、善光寺

2008-06-09 22:42:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
○長野、善光寺

 日曜の朝は、高田を発って、信越本線で長野へ向かう。右手の車窓には、妙高山の雄大な姿。長野で新幹線に乗り継いで、早めに帰宅するつもりでいた。けれども、長野駅前で、蕎麦を食べたり、お土産を眺めたりしているうち、善光寺くらい寄って行こうかなあ、という気持ちになる。ちょうど来ていた100円バスに乗って大門前へ。

 善光寺は昨年11月以来だが、どこか風景が異なることに気づく。山門の修復工事が終わっているのだ。おお、これは来てみてよかったかもしれない。と、山門の内側に、何やら人だかり。芸能人? いやいや、日傘を差しかけられたお坊様である。私も善男善女の列に並んでお待ちしていると、小声で何かを唱えながら、頭頂をお数珠の房で撫ぜてくださった。ありがたや、ありがたや。近づいたら、尼さんだった。あとで、善光寺には、2人の住職(浄土宗=女性のお上人様、天台宗=男性のお貫主様)がいらっしゃることを知る。



 それから、特別拝観の山門に上がる。だいたい20人を1組とし、揃いのタスキを掛けて、梯子のような急な階段を昇るのだ。山門に人を上げるのは、ほぼ40年ぶり。松代群発地震の影響で、山門が損傷を被って以来のことだという。松代群発地震は、Wikipediaによれば、1965年8月3日から約5年半もの間続いた「世界的にも稀な長期間にわたる群発地震」なのだそうだ。へえー。私は生まれていたけど、何も記憶にない。また、5年間に渡る平成大修理の結果、山門の屋根は、従来の桧皮葺きから、80年ぶりに創建当初の「栩葺(とちぶ)き」(厚い板片を重ねる)に戻された。もっとも、ネットで古い写真を探して見比べてみたけど、その差異は分かりにくい。

 山門の二階には、四国八十八ヵ所の小さな観音様や、四天王に囲まれた文殊菩薩像などが安置されている。それ以上に興味深かったのは、周囲の板壁に残された落書きの数々。年号は、明治や昭和もあるけれど、なぜか「嘉永」が圧倒的に多い。善光寺ブームがあったのだろうか? 出身地は、越後が多い。へのへのもへじみたいな顔絵あり。○に十字は薩摩人か。笑ったのは「京都 竹本文字大夫」を見つけたとき。義太夫、竹本座のご一行らしい。

 参拝客のおばさんが「昔は、こんなの堂々と書いても怒られなかったのかしら」と不思議がっていたが、これは立派な文化的慣習である。墨書は、ほどほどに残るが、時間が経てば消えてしまうところが奥ゆかしい。今春、聖火リレー問題で「善光寺本堂に落書き」という腹立たしい報道があったが、あの犯人もスプレーじゃなくて、墨書にすればよかったのだ。

 長野、いいなあ。また来よう。
コメント
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