見もの・読みもの日記

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大学者の怪談好き/中国怪異譚 閲微草堂筆記(紀)

2008-06-27 23:45:39 | 読んだもの(書籍)
○紀著、前野直彬訳『中国怪異譚 閲微草堂筆記』上・下(平凡社ライブラリー) 平凡社 2008.5-6

 紀(きいん)先生(1724-1805、字は暁嵐)は、「四庫全書」の総纂官をつとめた清朝屈指の大学者。というのが妥当な紹介であるが、私にとっては、中国のテレビ時代劇『鉄歯銅牙紀暁嵐』の主人公として、あまりにも慕わしい存在である。どのくらいファンかというと、2006年に北京を旅したとき、わざわざ旧居の写真を撮りに行ったくらいだ。

 私がスカパーのCCTVチャンネルでこのドラマにハマったのは、2002年頃だったと思う。そのとき、紀先生唯一のまとまった著作『閲微草堂筆記』を手に入れたくて、本屋を探し回った。しかし、同書を収めた「中国古典文学大系」第42巻(平凡社、1971)は、どこを探しても在庫がなくて、古本屋で見つけても分売不可だったので、泣く泣くあきらめた。このたび、6年越しの念願が叶って、本当に嬉しい。

 本書は、著者が友人・親戚・下僕などから聞き集めた、めずらしい話を書き留めたものだ。その九割以上は、狐や幽霊・物の怪が跳梁する奇談・怪談である。中国の幽冥界には現世さながらの官僚制度ができあがっていて、原則的には、善根善果のバランスシートが保たれている。だから、中国の幽霊たちは、何かと義理堅いし、理屈っぽい。けれども、ときどき、そうした理屈の網の目をすり抜けるように、意味のわからない怪異譚が記録されている。これが一服の銘茶のように味わい深い。たとえば、少女に化けて、花売りから花を買う箒。ウルムチの山奥で踊っている小人。月夜に昆曲をうたう、主のない歌声、など。

 そもそも紀自身、実証を重んずる文献書誌学者の反面、怪異に親和的な体質だった。柳田國男みたいである。おっと、本書の注釈によれば、蘇軾(東坡)も怪談好きだったそうだ。本書には「私がニ、三歳のころ、五色の着物を着て金の腕輪をはめた四、五人の子供がいつも来ては、私と遊んだ」という回想で始まる一段がある。のちに父の姚安公に話すと、しばらく考えて、それは五色の糸をかけた泥人形だろう、と答えたという。また、紀は、宋学が嫌いで、人の情を解さない道学先生をたびたび、痛烈にからかっているのも面白い。

 怪談以外にも、当時の中国の社会風俗・人々の考え方を知る手がかりが、ところどころに散りばめられて興味深かった。たとえば、落穂ひろい(拾麦)は「寡婦の儲け」で、刈る人は後ろを振り向かない、なんていうのは、素朴なかたちのセイフティネットがあったんだな、とか。雲南に下って任官した夫の消息を、故郷の妻は、俗間に発行されている”紳士録”によって知ったとか(出版の社会的効用)。「後世の人はなにごとも古人には及ばないが、ただ天文学と碁だけは、昔よりも進んでいる」という文言も面白いと思った。

 ところで、巻末の「訳者解説」をよく読んだら、本書は『閲微草堂筆記』の抄訳らしい。なんだー。実は、東大総合図書館の鴎外文庫に「槐西雑志四巻」(『閲微草堂筆記』を構成する五編の著作の一)という本があって、青年期の鴎外が多くの書き入れを行っている。特に「性に関する記述が多い」ことが指摘されているので、今回、話の内容を確かめてみようと思っていたのだが、鴎外が「Sodomie」と記した段も、「所謂交接不能Impotenz」と記した段も、残念ながら本書には訳出されていなかった。訳者の前野直彬先生、柔弱にすぎる説話は嫌ったのかしら? どうなんでしょう。
コメント (1)
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