○仙台市博物館 常設展『夏の展示』
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/
仕事で仙台に来ているのを幸い、仙台市博物館を訪ねた。ちょうど特別展の谷間で、常設展しか見られないのは残念だが、まず緑に覆われた広い敷地に驚いた。2階の展示エリアは、時代順に考古遺物から始まるのだが、そこは素通りして、文書(もんじょ)類に目が行く。来年の大河ドラマに登場する上杉景勝の書状が出ていた。くしゃくしゃっとした小さな字で、どの行もだらしなく右に曲がっている。なんだか武将らしくない。このほか、諸国の大名・城主から伊達家に送られたさまざまな書状があり、読めない文字が書き連ねてあるだけの地味なものだが、石田三成、前田利家などのビッグネームを見つけると、つい心が浮き立つ。
幕末の学芸を紹介するコーナーでは、名取春仲(1759-1834、仙台藩の天文方)の『天文図屏風』(パネル展示)が興味深かった。紺地に銀泥で夜空の星をリアルに描いている。本物が見たいなあ。博物館のWebサイトでも、これとセットの『坤輿万国全図』の画像しか紹介していないのは、とても残念。
林子平関係の資料も充実している。寛政3年刊『海国兵談』の冒頭には「千部施行」の朱色の角印が麗々しく押してあるが、実際には38部しか出版されなかったそうだ。でも、写本によって広く読まれたことは、橋口侯之介さんの『続・和本入門』で知った。写本『環海異聞』の挿絵(ロシアの風景)も面白い。また、江戸時代、東北地方はたびたび飢饉に襲われており、その資料(餓死者のスケッチ、記録書、救荒作物の研究)も豊富である。
文書以外では、武具がものすごいインパクト。展示中の『黒漆五枚胴具足』は、細長い月形の前立が印象的で、あっ伊達政宗の兜!とすぐに思ったのだが、実は伊達家伝来品(重要文化財)とは同型の別物である。『朱皺漆紫糸威六枚胴具足』は、兜の頂に3つの顔が付いている(三宝荒神、正面は赤、他は黒※)。金目を大きくひんむき、中央の顔は舌を出す。一目見てしまったら、悪夢にうなされそうな気味悪さだ。上杉謙信所用と伝えられる。えええ~嘘ぉ~。そういえば、「竹に雀紋」って、上杉・伊達共通なんだな。
最後に、今春、府中市博物館の『南蛮の夢、紅毛のまぼろし』を見て以来、気になっていた支倉常長資料に再会。1615年、ローマで刊行された『伊達政宗遣使録』(原文、原題はラテン語?)と、1617年のドイツ語版には、本当にびっくり。ちなみに前者、Webcatでは4大学が所蔵しているが、価値分かってるかなあ。お膝元の東北大学はリプリントしか持っていない。
伊達政宗がセビリア市宛てに書いた書状(慶長18年=1613、和文)は、セビリア市文書館に原本が保存されているそうだ。また、ローマ教皇宛ての書状(和文とラテン語訳)もバチカン図書館にある。ヨーロッパの文化の厚み(資料を残そうという意志)って、これだから侮れない。同博物館のサイトによれば、幕末の岩倉遣欧使節団が、ヴェネツィアで常長の書状を発見したというのも感慨深い。「250年ものあいだ、慶長遣欧使節の存在は忘れ去られてしまったのです」って、そんなことがあるのか。しかし、一方、常長が獲得したローマ市公民権証書は、幸いにも、伊達藩に伝わった。下半分がきちんと整形されていない白い羊皮紙に金泥で書かれている(展示は複製)。
以上、複製が多くて、本物のお宝はあまり拝めなかったが、歴史好きには楽しめる常設展だった。
※6/27追記。上杉謙信の三宝荒神兜は「愛染明王形兜(直江兼続の?)と双璧をなすと言われる変わり兜の名品」だそうで、食玩になったり、Tシャツになったりしているのを発見。面白い。
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/
仕事で仙台に来ているのを幸い、仙台市博物館を訪ねた。ちょうど特別展の谷間で、常設展しか見られないのは残念だが、まず緑に覆われた広い敷地に驚いた。2階の展示エリアは、時代順に考古遺物から始まるのだが、そこは素通りして、文書(もんじょ)類に目が行く。来年の大河ドラマに登場する上杉景勝の書状が出ていた。くしゃくしゃっとした小さな字で、どの行もだらしなく右に曲がっている。なんだか武将らしくない。このほか、諸国の大名・城主から伊達家に送られたさまざまな書状があり、読めない文字が書き連ねてあるだけの地味なものだが、石田三成、前田利家などのビッグネームを見つけると、つい心が浮き立つ。
幕末の学芸を紹介するコーナーでは、名取春仲(1759-1834、仙台藩の天文方)の『天文図屏風』(パネル展示)が興味深かった。紺地に銀泥で夜空の星をリアルに描いている。本物が見たいなあ。博物館のWebサイトでも、これとセットの『坤輿万国全図』の画像しか紹介していないのは、とても残念。
林子平関係の資料も充実している。寛政3年刊『海国兵談』の冒頭には「千部施行」の朱色の角印が麗々しく押してあるが、実際には38部しか出版されなかったそうだ。でも、写本によって広く読まれたことは、橋口侯之介さんの『続・和本入門』で知った。写本『環海異聞』の挿絵(ロシアの風景)も面白い。また、江戸時代、東北地方はたびたび飢饉に襲われており、その資料(餓死者のスケッチ、記録書、救荒作物の研究)も豊富である。
文書以外では、武具がものすごいインパクト。展示中の『黒漆五枚胴具足』は、細長い月形の前立が印象的で、あっ伊達政宗の兜!とすぐに思ったのだが、実は伊達家伝来品(重要文化財)とは同型の別物である。『朱皺漆紫糸威六枚胴具足』は、兜の頂に3つの顔が付いている(三宝荒神、正面は赤、他は黒※)。金目を大きくひんむき、中央の顔は舌を出す。一目見てしまったら、悪夢にうなされそうな気味悪さだ。上杉謙信所用と伝えられる。えええ~嘘ぉ~。そういえば、「竹に雀紋」って、上杉・伊達共通なんだな。
最後に、今春、府中市博物館の『南蛮の夢、紅毛のまぼろし』を見て以来、気になっていた支倉常長資料に再会。1615年、ローマで刊行された『伊達政宗遣使録』(原文、原題はラテン語?)と、1617年のドイツ語版には、本当にびっくり。ちなみに前者、Webcatでは4大学が所蔵しているが、価値分かってるかなあ。お膝元の東北大学はリプリントしか持っていない。
伊達政宗がセビリア市宛てに書いた書状(慶長18年=1613、和文)は、セビリア市文書館に原本が保存されているそうだ。また、ローマ教皇宛ての書状(和文とラテン語訳)もバチカン図書館にある。ヨーロッパの文化の厚み(資料を残そうという意志)って、これだから侮れない。同博物館のサイトによれば、幕末の岩倉遣欧使節団が、ヴェネツィアで常長の書状を発見したというのも感慨深い。「250年ものあいだ、慶長遣欧使節の存在は忘れ去られてしまったのです」って、そんなことがあるのか。しかし、一方、常長が獲得したローマ市公民権証書は、幸いにも、伊達藩に伝わった。下半分がきちんと整形されていない白い羊皮紙に金泥で書かれている(展示は複製)。
以上、複製が多くて、本物のお宝はあまり拝めなかったが、歴史好きには楽しめる常設展だった。
※6/27追記。上杉謙信の三宝荒神兜は「愛染明王形兜(直江兼続の?)と双璧をなすと言われる変わり兜の名品」だそうで、食玩になったり、Tシャツになったりしているのを発見。面白い。