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見もの・読みもの日記

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忘れられた始まり/貧民の帝都(塩見鮮一郎)

2008-09-24 23:55:53 | 読んだもの(書籍)
○塩見鮮一郎『貧民の帝都』(文春新書) 文藝春秋社 2008.9

 これは、なかなかすごい本だ。おおよそ明治維新から昭和の初めまで、首都東京の生活困窮者たちのありさまと、彼らを救うための施策・事業を、「養育院」を中心に追ったものである。とりわけ衝撃的なのは、江戸が東京に改まる前後の混乱ぶりである。「明治維新」の風景は、小説・映画・ドラマなどで見慣れたものだと思ってきた。にもかかわらず、本書からは、全く未知の光景が、霧が晴れるように立ち現れてくるのである。顔を背けたくなるような汚穢の臭気とともに。

 徳川政権が倒壊すると、支配層と富裕層は江戸を捨てて逃げ出した。大名が戻ってきた地方都市では、安定した旧態のモラルが続くが、貧困層だけが取り残された江戸は、これ以後「まったくちがう社会」に生まれ変わりを余儀なくされる。なんだか、首都東京の出生の秘密を知ってしまったように思った。

 囚人たちは、火事のときに行われる「切放(きりはなし)」が適用されて、牢屋敷から放出された。中間(ちゅうげん)・小物などの下級奉公人は、大名の帰国に従うことを許されず、置き去りにされた。首都の街頭は、乞食や、浪人であふれ、「飢えて途に横たわる者が数知れぬという有様」(渋沢栄一の回顧)だったという。危機感に迫られた新政府は、必死で実態把握につとめている。そのおかげで、捨子・縊死・行倒死人の数やら、各地の乞食の数やら(監督の任にあった頭が、調べて報告している)、実にさまざまな統計データがきちんと残っていることに驚く。まだ明治2年なのに!

 新政府は、東京府内の各所に救育所を設け、窮民を収容することにした。施設は良民対象と対象に分けられ、乞食の扱いに慣れたエタやは、囚人を管理・養護する側にあった。しかしながら、明治4年(1871)、解放令(賤称廃止令)によって制度が廃止されると、エタやの人々が果たしていた貧民救済の役割は雲散霧消してしまう。明治5年(1872)東京府は、乞食に米銭を与える行為は、彼らを怠惰にするだけだから、今後一切まかりならぬ(違反者は罰金)という、おそるべき布告を出す。現代の、皮相な自己責任論にもよく似ている。

 そんな中で、明治7年(1874)から東京府養育院の経営にかかわり、情熱的に奔走したのが、実業家・渋沢栄一だった。本書はまた、日本で最初の孤児院を創設した石井十次、救世軍の山室軍平、神戸のスラムに暮らした賀川豊彦にも、多くの紙数を費やしている。

 ところで、私が本書に引き込まれた最大の要因は、ゆかりの場所を考証した、数多くの地図である。窮民救済施設である救育所や養育院は、けっこう転々と動いており、短期的には、びっくりするような場所にも設けられている。たとえば、明治5年には、ロシア皇太子の来日を控えて、加賀藩邸に乞食240名が押し込められた。これは東大本郷キャンパスの南端のことだという。また、帝都の四大スラムエリア(鮫ヶ橋、万年町、新網町、新宿南町)と、現在の地図の重ね合わせも、興味深く眺めた。歩いたことのある場所は、どこかに「ああ、やっぱり」という記憶があった。現在の住民感情に配慮すると、こういう歴史を語るのは難しいのかもしれないが、私はひそかに本書を参照しながら、東京の街を巡ってみたいと思う。『アースダイバー』(講談社、2005)の中沢新一みたいに。
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