○辻惟雄『奇想の系譜』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 2004.9
岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳の6人を取り上げ、彼らが作り出した奇矯で幻想的なイメージを豊富な挿絵で紹介し、縦横に論じたもの。初出は1968年の『美術手帖』。翌年、単行本として刊行された。今日の近世絵画ブームの礎をつくった画期的な評論として、年々評価の高まる名著である。
実は、私はこれが初読である。1980年代(20代の頃)に杉並の図書館で借り出して、読もうとした記憶があるのだが、当時、私が興味を持っていたのは、若冲と国芳だけだったので、あとの4人は全く記憶にない。又兵衛とか蕭白とか、悪趣味な絵だなあと思って、スルーしてしまったのではないかと思う。もったいない話だが、人と本/芸術の出会いには「時宜」というものがあるので、やむを得ない。
読んでみて唸ったのは、この夏の『対決』展が、実に多くを本書に負っているということ。たとえば、初見で印象的だった蘆雪の『海浜奇勝図屏風』(メトロポリタン美術館蔵)は、「現在さる米人コレクターの所有となっている金地墨画六曲屏風」として登場する。左隻を『海浜奇勝図』と仮に名付けたのも著者であるらしい。蕭白の『群仙図屏風』(極彩色版)に『唐獅子図』、若冲の『石灯籠図屏風』に『仙人掌群鶏図襖』というのは、もちろんそれぞれの画家の代表作であるが、ほかのセレクションが全くあり得なかったわけではない。やはり、本書の影響が根底にあったと考えていいだろう。その点では、『対決』展の印象が鮮やかなうちに、本書を読んでみたことは、とてもラッキーだったと思う。
なお、岩佐又兵衛は、今日では私の大好きな画家のひとり。又兵衛の作品が出ていると分かれば、私はどこへでも行っちゃいます。狩野山雪は、最近『雪汀水禽図屏風』に衝撃を受けたばかりで、これから意識していこうと思っている。
本書に紹介されている作品の8、9割は実見していると思うのだが、初めて知るものもあった。いちばん見たい!!と思ったのは蕭白の『虎図』(ボストン美術館)。挿図に添えられた「今しもローラーかなにかで、のしいかのように押しつぶされてしまったところらしく、胴にめり込んだ顔が、世にもうらめしげである」という描写が、笑えて秀逸。 これを読むと、美術作品の魅力を他人に伝える記述って、何でもありでいいんだな、と思う。同じく蕭白の、ちょっとアメコミ顔の『雲龍図』もボストン美術館蔵。確かに著者の言うごとく、これらの「ゲテモノめいた」作品は、アメリカ人コレクターが「発掘」して持ち去らなかったら、たぶん国内で消滅していたであろう。蘆雪の、のたくるような『龍図襖』(西光寺)も見たいなあ。
著者が、「奇想の系譜」を絵画史の「傍系」ではなく、敢えて「主流」と言上げしたことには、「安全無害に消毒された江戸時代絵画史をすこしスリリングなものにしてやろうという邪心」(新版あとがき)が含まれていたという。けれども、公刊からまもなく40年、本書が取り上げた6人の画家は、今や「江戸時代絵画史上のスター」になってしまった。現代人の奇想好みは、まだまだ続きそうだ。そして、この半世紀の日本人の美的嗜好の変化というのも、振り返ると、興味深い課題を提供しているのではないかと思う。
岩佐又兵衛、狩野山雪、伊藤若冲、曽我蕭白、長沢蘆雪、歌川国芳の6人を取り上げ、彼らが作り出した奇矯で幻想的なイメージを豊富な挿絵で紹介し、縦横に論じたもの。初出は1968年の『美術手帖』。翌年、単行本として刊行された。今日の近世絵画ブームの礎をつくった画期的な評論として、年々評価の高まる名著である。
実は、私はこれが初読である。1980年代(20代の頃)に杉並の図書館で借り出して、読もうとした記憶があるのだが、当時、私が興味を持っていたのは、若冲と国芳だけだったので、あとの4人は全く記憶にない。又兵衛とか蕭白とか、悪趣味な絵だなあと思って、スルーしてしまったのではないかと思う。もったいない話だが、人と本/芸術の出会いには「時宜」というものがあるので、やむを得ない。
読んでみて唸ったのは、この夏の『対決』展が、実に多くを本書に負っているということ。たとえば、初見で印象的だった蘆雪の『海浜奇勝図屏風』(メトロポリタン美術館蔵)は、「現在さる米人コレクターの所有となっている金地墨画六曲屏風」として登場する。左隻を『海浜奇勝図』と仮に名付けたのも著者であるらしい。蕭白の『群仙図屏風』(極彩色版)に『唐獅子図』、若冲の『石灯籠図屏風』に『仙人掌群鶏図襖』というのは、もちろんそれぞれの画家の代表作であるが、ほかのセレクションが全くあり得なかったわけではない。やはり、本書の影響が根底にあったと考えていいだろう。その点では、『対決』展の印象が鮮やかなうちに、本書を読んでみたことは、とてもラッキーだったと思う。
なお、岩佐又兵衛は、今日では私の大好きな画家のひとり。又兵衛の作品が出ていると分かれば、私はどこへでも行っちゃいます。狩野山雪は、最近『雪汀水禽図屏風』に衝撃を受けたばかりで、これから意識していこうと思っている。
本書に紹介されている作品の8、9割は実見していると思うのだが、初めて知るものもあった。いちばん見たい!!と思ったのは蕭白の『虎図』(ボストン美術館)。挿図に添えられた「今しもローラーかなにかで、のしいかのように押しつぶされてしまったところらしく、胴にめり込んだ顔が、世にもうらめしげである」という描写が、笑えて秀逸。 これを読むと、美術作品の魅力を他人に伝える記述って、何でもありでいいんだな、と思う。同じく蕭白の、ちょっとアメコミ顔の『雲龍図』もボストン美術館蔵。確かに著者の言うごとく、これらの「ゲテモノめいた」作品は、アメリカ人コレクターが「発掘」して持ち去らなかったら、たぶん国内で消滅していたであろう。蘆雪の、のたくるような『龍図襖』(西光寺)も見たいなあ。
著者が、「奇想の系譜」を絵画史の「傍系」ではなく、敢えて「主流」と言上げしたことには、「安全無害に消毒された江戸時代絵画史をすこしスリリングなものにしてやろうという邪心」(新版あとがき)が含まれていたという。けれども、公刊からまもなく40年、本書が取り上げた6人の画家は、今や「江戸時代絵画史上のスター」になってしまった。現代人の奇想好みは、まだまだ続きそうだ。そして、この半世紀の日本人の美的嗜好の変化というのも、振り返ると、興味深い課題を提供しているのではないかと思う。