見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

《射雕英雄伝》再放送

2004-09-19 16:47:27 | 見たもの(Webサイト・TV)
○2003年版《射雕英雄伝》(CCTV放映)

http://ent.sina.com.cn/sdyxz/index.html

 「射雕英雄伝」は言わずと知れた、金庸原作の武侠小説。華人文化圏では多くの熱狂的な読者に支えられている。昨年、中国本土で全40話の連続ドラマが制作され、少し遅れて、CCTVの衛星放送でも放映された。

 いま、毎週日曜日の午後2時から2話ずつ、この再放送が流れている。

 たまの休日、部屋も片付けたいし、美術館や博物館にも行きたいし、書かなきゃいけない原稿もあるのに...結局、午後をつぶして見てしまった。後悔。

 でも面白いのだ。武侠小説なんて、まるで興味のなかった私が、これですっかりハマってしまった。ワイヤーアクションと特殊効果で登場人物のカッコよさを最大限に強調していて、日本の劇画やアニメ、または懐かしい特撮ものに通じる趣きがある。日本の最近の特撮ドラマは、もっぱら子供向きになってしまって、あまりいい俳優さんも出ていないように思うのだが、中国の武侠ドラマは、演出も大人向きで、出演者もいいので、見応えがある。おじさん俳優が、ほんとにいいんだよ~。

 CCTVでは、2004年に、同じ製作者による『天龍八部』も放映されたが、これはちょっと陰惨なんだよね、原作が。「射雕」は話の運びが明るいので、日曜の午後に、カウチで見るには最適。

 今日は第5話と6話で、舞台はモンゴルの大草原(この風景だけでも見る価値あり)。主人公の郭靖が、ちょうど子役から成人の李亜鵬にバトンタッチされるところだった。梅超風の初登場シーンは何度見てもいいし。自由奔放に育った王女さまの華箏公主もかわいい。

 ああ~また来週も見てしまうかも。VCDも持ってるのに。



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鎌倉の面掛け行列

2004-09-18 22:06:58 | なごみ写真帖
 鎌倉の御霊神社(権五郎神社)の「面掛け行列」を見てきた。

 境内で鎌倉神楽を奉納したあと、露払い役の天狗(ちょっと別格)をはじめ、「爺」「鬼」「鼻長」「火吹男(ひょっとこ)」「福禄寿」「阿亀(おかめ)=孕み女」など、異形の行列が町に出ていく。旗、お囃子、楽人、引き車に乗ったお神輿も続く。

 力餅屋の角で、まず、右に折れて、虚空蔵堂の前あたりまで進んでUターンし、再び力餅屋の前を通って、長谷の交差点のあたりまで進んで、戻ってくる。全行程1時間ほど。







 最後は御霊神社の境内で待っていたら、面掛け行列はいつの間にか解散して、神輿だけが氏子の肩に担がれて戻ってきた。ひとしきり、あっちに振られ、こっちに揺すられした末に、本殿の前に降ろされる。

 「これより、ご神体を本殿にお戻しします」という説明があり、宮司さんがうやうやしく神輿の前扉を開ける。伸び上がって見ていたが、宮司さんは、さっと何物かを抱き取ると、袖に包み、背中を丸めて本殿に駆け込んでしまった。

 生きている信仰を見るようで、厳粛な気持ちになった。

 でも、日本の神様って、こうして1年に1回くらい、外に連れ出してやって、あそんであげないと駄目なのね。そこがおもしろい。

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見えない素顔/韓国の軍隊

2004-09-15 00:53:07 | 読んだもの(書籍)
○尹載善『韓国の軍隊:徴兵制は社会に何をもたらしているか』(中公新書)中央公論社 2004.8

 姜尚中氏が、ある講演で、韓国の徴兵制にはいいところも悪いところもあるが、少なくともあの制度を通じて、韓国国民は「軍隊」というカルチャーを理解し、ある程度「軍隊」を市民化することに成功した、ということを述べていた。講演の本筋を少し離れた質疑応答の中だったと思うが、ずっと記憶にひっかかっている。

 我々日本人は自衛隊という不思議な「軍隊」を持っている。持っているにもかかわらず、存在を容認するか否かという論争が決着しないものだから(正直、私はずっと自衛隊を違憲=あってはならないものだと思ってきた)一般市民は、自衛隊の実態をあまりにも知らない。

 どんな採用試験が行われているのか、給料をいくら貰って、毎日何をして過ごしているのか、宿舎や食事はどうなのか、訓練は厳しいのか、専門教育は行われているのか、超過勤務はあるのか、上官と部下の関係は民主的なのか否か。多くの日本国民は、本当に何も知らないと思う。

 では、韓国はどうなんだろう。一般の韓国人にとって「軍隊」って本当にそんなに身近なんだろうか? 韓国に徴兵制があることは分かっているが、韓流ブームで次々に日本を訪れる芸能人を見ていても、面識のある韓国人留学生たちのことを考えても、観光で訪ねたソウルの街の賑わいを思い出してみても、「徴兵制」というものの実態がどうもイメージできない。

 というわけで手に取ってみたのが本書なのだが、明快な答えを得たとは言いがたい。本書には何人かの若者の入隊体験レポートが収録されているが、それらは全て、徴兵制に反発したり、悩んだりしながらも、最後には、軍隊生活を通して獲得できるものを肯定的に捉えようという結論に導かれている。

 著者が韓国陸軍の指揮官の経験のある予備役少佐であることを考えると、これは初めから仕組まれた結論という感じがする。

 むしろ、本書では参考程度に扱われている情報、たとえば、政府高官や富裕階級の子弟が合法的に兵役を忌避するケースが増えていたり(ただし政治家にとって親族の兵役忌避はマイナス・イメージになる)、ある大学のアンケートで「兵役が自由意志で選択できるのなら行かない」という回答が80%近かったことのほうが、韓国社会の実像をはしなくも表わしているのではないか、と思った。

 ちょっと面白かったのは、軍隊生活の現実的な息抜きとして「宗教」が存在意義を持っているということ。何かの信者になれば、教会やお寺の集会に参加でき、甘いお菓子やおいしい食事を口にすることができるという。「韓国は日本より熱心なキリスト教徒が多い」と言われているけど、理由の一端は、こんなところにありそうである。

 教会で配られる代表的なお菓子はチョコパイ(エンゼルパイ)らしい。そうか!映画「JSA」でチョコパイが出てきたのもそういうわけだったのね。

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魅惑の古九谷/出光美術館

2004-09-14 00:48:21 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館『古九谷―その謎にせまる―』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/

 2年ほど前、NHKの『新日曜美術館』で「青い桜~謎の磁器・古九谷の美~」という特集を見て以来、その魅力を忘れられずにいる。

 もっとも、付け焼刃の趣味なので、あまり詳しいことは知らない。そのときの番組が、石川県の九谷焼美術館の紹介を併せたものだったので、古九谷の産地といえば加賀が定説だと思い込んでいたが、実は加賀説と有田説があり、未だ決着していないということも、今回の展示会で初めて知った次第である。

 それにしても古九谷、特に「青手」と呼ばれる一群の意匠には驚かされる。いわゆる「日本的」な美から、あまりにも遠くて、くらくらするほど大胆不敵である。黄と深緑の対比を基本とし、青と紫を加えるという劇的な色彩感覚。大ぶりな皿の面いっぱいを覆いつくすデザイン。生気あふれる色彩は、しばしば皿の裏側にまで及んでいる(すごい!まるで”余白”を恐れているかのようだ)。

 会場では、この「青手」の名品をたくさん見ることができる。「色絵渡兎文大皿」は、2羽(?)のウサギが耳を翼のようにして、海の上を飛んでいる図で、よくある伝統的な図柄なんだけど、古九谷の色彩にハマると、悪夢のように幻想的である。「色絵海老文大皿」には驚かされた。海波の上に躍り上がるような海老の姿が描かれているのだが、大胆にも皿全体を深緑一色で塗りつぶしてしまっている。目を凝らすと浮かび上がる海老のシルエットが、これも美しい夢のようだ。

 見どころは「青手」だけではない。今回の会場は、大きな金地屏風の前に古九谷を並べてさりげなくデザインの類似を示したり、日本の陶工がお手本にした中国陶器と対にしてみたり、中国の出版文化の興盛が陶器のデザインにも影響を与えたことを示すため、書物の挿絵や図譜をパネルで展示したり、いろいろ工夫があっておもしろい。

 また、「考古学が語る古九谷」のコーナーでは、加賀(石川県)および肥前有田(佐賀県)の古窯遺跡、および加賀藩邸・大聖寺藩邸跡(東京大学附属病院!)の発掘調査結果を見ることができる。

 前回の「磁都・景徳鎮1000年記念」もよかったし、昨夏の「皇帝を魅了したうつわ」も系統的で分かりやすく、解説が要を得ていておもしろかった。最近、出光の「陶磁器もの」はがんばっていると思う。この展示会、おすすめ度大。11月中旬まで。

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皇帝の書/書道博物館

2004-09-13 00:03:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
○書道博物館 企画展 館蔵『歴代中国皇帝の書』

http://www.taitocity.net/taito/shodou/

 「歴代」とは言うけれど、初唐~中唐(太宗、高宗、玄宗など)の作品が大部分を占める。しかし、唐の皇帝の自著はあまり上手いと感じなかった。これなら日本で書の残っている天皇のほうが上手いんじゃないか、と思ったが、どうだろうか。

 大雑把に言って、宋代以降になると、美に対する感覚が現代人に近くなる。乾隆帝の書などは、見ていて、性格も分かるような気がする。

 今回は時間がないので特別展だけに留めたが、本館の常設展は、狭い空間にこれでもかというほど文物が並べられていて、初めて行くとびっくりする。なんだか骨董屋の店先みたいなので、胡散臭いものも混じってるんじゃないかと疑うが、そうでもないらしい。まあ、多少だまされてもいいくらいの大らかな気持ちで眺めると一層味わい深いだろう。

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大人の童話/LOVERS

2004-09-12 18:16:53 | 見たもの(Webサイト・TV)
○映画「LOVERS」

http://movie.goo.ne.jp/special/lovers/index.html

 久しぶりに映画を見た。

 張芸謀の日本公開作品は、このところ「初恋のきた道」「あの子を探して」「活きる」「至福のとき」と見てきたのだけど、昨年の「HERO」は、話題性が大きかったので、かえって見逃してしまった。

 ちなみに上記に並べた作品は、涙腺の弱い私の場合、必ず1箇所くらい、うるっとさせられた記憶がある。しかし、この「LOVERS」は泣かなかった。私がたまに映画を見にいくときは、泣くことのカタルシスを期待している面もあるので、最後まで泣けなかったこの映画には、ちょっと不満である。

 映像は噂にたがわず、きれいだった。物語のほとんどは森や草原を舞台に展開するのだが、自然の美しさをうまく使っている。ただし、竹林の場面を除いては、あまり中国っぽくない。むき出しの黄土の荒々しさがなくて、カナダとか北欧のようだ(あ、でも古代の中原は森林地帯だったらしいから、あれでいいのかあ)。

 あと服飾も。ちょっとキレイすぎる感じもする。まあ、舞台が唐代となると、そうそう正確な時代考証はできないから、イマジネーションで補わざるを得ない。自分の国(民族)の歴史に自信を持ちなおしている(らしい)最近の中国人が作れば、限りなく華麗に、豪華になるのは当然だろう。

 しかも登場人物はほとんど主役の3人のみ(だから、ずっと美男と美女だけを見続けることができる)。また、3人とも名前らしい名前がない。ストーリーは、二転三転するように見せて、実は極めてシンプルである。要するに、男2人が女1人をめぐって対立する古典的な(むしろ神話的な)三角関係の物語に尽きる。

 まあ、何もかも美しい大画面に繰り広げられる大人の童話を楽しめばいいというところか。

 でも、実際、金城武は大画面映えする顔立ちだし。恋の敗者となるアンディ・ラウは、カッコよさの中に、ちょっと中年の悲哀が感じられて一段とよかった。チャン・ツィーは、東洋美人としては背がデカすぎないか。顔立ちも田舎くさくて、あまり美人だとは思わないんだが、そのリアリティがチャン・イーモーの好みなのだろうか。

 開演待ちのとき、後ろの女性(中国系らしかった)が連れの日本人の男の子に、「チャン・ツィーってコン・リーにそっくりなのよね。写真を並べると、チャン・イーモーの好きなタイプがよく分かるの。あと、チャン・ツィーよりさらに若い、最近のお気に入りの子がいて、それもそっくり」と説明していた。なるほど。

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東博リニューアル

2004-09-11 21:20:55 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 本館リニューアル

http://www.tnm.jp/

 9月1日にリニューアル・オープンした東博の本館(平常展)を見てきた。

 うーん。そうねえ。館内の案内板は分かりやすくなったと思う。途中の休憩スペースも心なしか居心地がよくなった。それから、ところどころにパソコンが置かれていた。まだ物珍しいので、触っているお客さんをそこそこ見かけたが、今後はどうだろうか。

 仏像の多い「彫刻」の部屋は位置が変わって、入口に近くなった。展示品は、だいたい見覚えのあるもので、あまり変わっていなかったが、照明が格段によくなった。ただし、これは功罪半ばという感じがする。

 細部が見やすくなったのはうれしい。しかし、黒一色の背景に、あんなふうに計算しつくされた照明を当てられては、せっかく実物を前にしているのに、仏像を見ているというより、芸術写真を前にしているようで、ちょっと興覚めである。かえって、本来あるべき舞台装置(光背とか厨子とか五色の垂れ幕とか)を、頭の中で補いたくなる。

 2階は1年くらい前に「分野別展示」→「時代順展示」に大きく変わったばかり(?)ので、今回はマイナーチェンジである。この春、奈良博の「法隆寺展」に出ていた木製の菩薩立像が出ていた。東博では新顔だと思う。

 今回の目玉は、何と言っても「平治物語絵巻・六波羅行幸巻」だろう。展示台をやや高めに(目の位置に近く)設置して、しかもやや手前に傾斜させた工夫には、大いに感謝したい。非常に見やすくて、細部まで楽しめた。あれ?こんなに色が鮮やかだったっけ?とびっくりしたほどだ。

 時代別では「安土・桃山・江戸」が、がんばっていたように思う。荻生徂徠の書いた「天狗説屏風」は筆跡になかなかの味わいがある。狩野探幽の「走獣巻」はイイ!とにかく現物を見て欲しい、かわいい、さすが天才である。天才といえば光琳の「仕丁図扇面」も。なんでもない小品なのに、一度見るともう目を離したくなくなる不思議な魅力がある。

 ちょっとうんざりしたのは、ボランティア解説員の姿がやけに多かったこと。ちょうど平治物語絵巻のあたりを、大きな団体さんを引き連れた解説員が2組まわっていたが、聞こえてくる説明が(内容も、話術も)いかにも素人っぽくて、うっとおしかった。

 やるならプロにやらせろよー。予算が無いのは分かるけどさ。山口の周防国分寺展でギャラリー・トークをしていた若い学芸員さんは、プロフェッショナルらしい”控えめな自信”が感じられてよかったのになあ。。。

 ついでに書いておく。東洋館1階にあった「精養軒」が撤退して、新しいレストランに変わったが失望した(高くなったのに、味は水準以下)。その隣で「アジアン・カフェ」を始めて、アジア各地の缶ビールを売るようになったのは、ちょっと進歩だが、軽食メニューが1品程度しかないのでは、座る気にならない。外のテラス席しかないようだし、夏場限定のつもりなのかな。

 法隆寺館の「ホテルオークラ」も、味は納得できるけど高すぎ。東博が本気でリピーターを増やしたいのなら、この食環境、もうちょっと改善してほしい。

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薄雲~胡蝶/源氏物語(4)

2004-09-10 11:38:47 | 読んだもの(書籍)
○玉上琢彌訳注『源氏物語 第4巻』(角川文庫)1968.12

 物語もこのへんになると、源氏もそれなりのおじさんになり、自分の色恋だけに時間を費やしているわけにはいかなくなる。息子の夕霧を大学寮に進学させるにあたって教育論を語ったり、姫君の養育や後見にも忙しい。

 それでも、ときどき好きごころが動く。終始一貫して源氏に隙を見せない朝顔の斎院を懲りずに口説いてみたり、あろうことか、六条御息所の忘れ形見である斎宮女御にふらふらと言い寄ってみたり、父親代わりに引き取ったはずの玉葛(夕顔の遺児)にもその気になってしまったり、しょうのない困りものである。さすがに父子ほど年の違う姫君たちには、本気で拒絶されているのが可笑しい。

 源氏の年齢は30代後半。当時は40歳が老人の始まりだから、現代に当てはめると、50を過ぎて若い娘に言い寄るおじさんというところか。渡辺淳一の世界だなあ。。。

 当該巻の白眉は、なんといっても「玉葛」だろう。故夕顔の乳母とその夫(太宰少弐)は、長年、ひそかに姫君を養育申し上げていたが、無理無体な田舎人の求婚を避けるため、豊後介(少弐の長男)は、姫君を連れて筑紫を逃げ出す。思えば大胆な行動である。彼らは筑紫に妻や家族を残したまま、あてもなしに京(みやこ)に逃げのぼってしまうのだ。

 当時の主従の絆って、ほんとにこんなに強かったのかなあ。でも、確かに紫の上に着いていって幸せをつかんだ少納言とか、末摘花から去ってしまって幸せをつかみ損ねた侍従とかの例によれば、女房や乳母(とその一族)の幸せは、お守り育てた姫君の運次第と言える。

 さて、豊後介らは、今後のことを祈願するため、長谷寺に参詣することにし、椿市の宿で、故夕顔の女房であり、今は源氏に仕えている右近と再会する。

 同じようなシチュエーションは、今昔物語などの説話文学にもあるけれど、再会した人々の心の揺れが、これほど細やかに書かれた作品はほかにないと思う。はじめは、知っている人であるように思うけれど、姿かたちが変わっていて思い出せない。と、同行者の中にも見知った人がいる、これはやはり、と思って話しかけようとするが、なかなか機会がつかめない...

 すごいと思う。たとえば、宮中で起こる色恋沙汰や年中行事であれば、作者にとっては日常生活そのものなのだから、材料には困らないだろうが、地方人の生活とか、下層階級の人々の心理と行動を、よくまあ、こんなふうに生き生きと書けたものだ。感心しながら読んだ。

 そのほかでは、花散里が、万事ひかえめで気のおけない女性として愛されている。このひとは、際立った個性もないのに、源氏に一定の信頼と愛情を注がれ続ける不思議な女性である。実は作者は、もうちょっと物語らしい物語を書いた(書こうとしていた)のではないか。でも、結局、あまり面白く書けなかったので、短い「花散里」に書き直して辻褄を合わせたのではないかしら。そんなことを考えてみた。

 いよいよ深みに入る「源氏」、次に続く。

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学者のネタ帖/涙と日本人

2004-09-07 11:33:25 | 読んだもの(書籍)
○山折哲雄『涙と日本人』日本経済新聞社 2004.8

 新聞や雑誌に連載した短いコラムを下敷きに書き直したもの。だから、あまり掘り下げた研究や突っ込んだ議論はない。その代わり、さすが、長年の研究の蓄積で、「えっ」と思うような珠玉のネタがときどき、現れる。

 たとえば、チベットのポタラ宮には、最上階近くにダライ・ラマの瞑想室と称する部屋があり、そこには華麗な獣姦図がかけられている。それから、便意をもよおして、トイレに入ってみたら、八畳敷きぐらいの広い板間の中央に、ポッカリ小さな穴が開いており、のぞいてみると、二、三十メートル下の最下階まで吹き抜けになっていた。

 実は、たまたま書店で立ち読みしていたとき、このエピソードが眼にとまって、本書を買うことに決めてしまった。

 美空ひばりは「悲しい酒」を歌うとき、必ず二番の二行目あたりから涙を流し始め、最後の四行目あたりで、その涙のあとが乾きあがっていく。しかし、最後の東京ドーム公演のとき、彼女の頬に涙は流れなかった。

 江戸後期、エゾ地との交易に活躍し、ロシア船に捕らえられたこともある高田屋嘉兵衛はカムチャツカまで近松の浄瑠璃本を携えていった。さらに三十年後、同じようにロシアに漂着した大黒屋光太夫も、漂流中、浄瑠璃本を身につけて、かたときも手放すことがなかったという。

 などなど。これを出発点に、いろんなことを考えたくなるようなこぼれ話に満ちている。

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白磁青花/出光美術館

2004-09-06 12:43:44 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館『磁都・景徳鎮1000年記念 中国陶磁のかがやき』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/honkantop.html

 休日出勤していた土曜日、そうだ、出光の展覧会は今週末までだった!と思い出して、慌てて駆け込んだ。会場は妙に混雑していてびっくりした。何か関連イベントがあったのかしら。品のよい感じの中年女性やご夫婦が多かったように思う。

 ぶらぶらと会場を流しながら、「いいなあ」「これもいいなあ」と思ったものは、制作年代を確認するようにしていた。すると、なんだか元代が多い。

 途中にさりげなく説明パネルがあって、それによると、元代の白磁青花は、これまで「俗っぽい」とされて評価が低かった(異民族支配時代へのやっかみもあるらしい)が、近年、その価値が見直されているそうだ。

 まあ、「俗っぽい」というのは当たっていなくもない。私のような素人にも分かりやすいのだから。濃い青がふんだんに使われていて、溌剌とした図様がいいのです。写真はその1例。大阪の東洋陶磁美術館からの特別出陳でした。(フレーム外しリンクにて失礼)
 http://www.moco.or.jp/jp/colle/colle/China_B/033.html

 それから、大きさ。大ぶりな陶磁器は見て楽しい。ただし、「万国博覧会の美術」みたいに、大きいこと自体が主目的になってしまった近代製品はちょっと畸形な感じがする。皿は皿として、壷は壷として実際の使い途がありそうな範囲ぎりぎりの大物がいい。なんとなく豊かで幸せな気分になる。

出光美術館、次は古久谷だ~!うれしい~!!
 
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