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見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

琵琶湖文化館・休館その後

2008-04-18 23:53:40 | 見たもの(Webサイト・TV)
○滋賀県立琵琶湖文化館ホームページ「浮城」

http://www2.ocn.ne.jp/~biwa-bun/

 応援むなしく、3月31日で休館(公開中止)となってしまった琵琶湖文化館のことは、その後も忘れたわけではない。新年度になって、ホームページにアクセスしてみて、びっくりした。デザインが一新されていたのである! 新デザインの評価は人それぞれだろう。正直、落ち着いて眺めると、微妙~だ。相変わらず、素人くさくて垢抜けない。昨年度予算で業者に発注していたのか? それとも職員かボランティアの手作り? など、いろいろ裏事情を憶測したくなる。

 しかし、少なくとも昨年度までのホームページに比べると数段いい。情報も豊富になった。楽しみなのは「近江の美術」だ。画像と文章で、近江の文化財の紹介や文化財に関するニュースをお知らせするコンテンツである。4月初めには1件しか上がっていなかったが、今日見たら2件目が追加されていた。「今までの展覧会」や「図録&紀要」は、これまでの充実した事業の蓄積がよく分かるし、「文化財の修復事業」の一覧は、博物館の知られざる活動を伝えていて、頭が下がる。

 「お知らせ」欄の2008/3/29記事によれば、この日、滋賀県の嘉田知事が来館し、館長および当館学芸員とじっくり話し合いをしたそうだ。何らかのかたちで、豊かな近江の文化財の「収蔵」と「公開」を継続(再開)する途を探ってほしいと思う。電子展示は確かに便利だけれど、やっぱり、資料そのものと同じ空間に立つことでしか得られない感動があるはずだから。
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イメージのパラダイス/博物図譜(東京国立博物館)

2008-04-17 23:55:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館・本館16室(歴史資料) 特集陳列『博物図譜-日本的研究の展開-』

http://www.tnm.go.jp/

 新年度最初の展示は「博物図譜」がテーマなので、これは楽しいにちがいない、と思っていたが、期待以上だった。展示資料は総計25点。「歴史資料」の特集陳列としては、多い数ではないはずだが、展示ケースの中が、大判の彩色図譜に埋めつくされ、いつもより会場が狭く感じられた。

 本館16室の展示は、これまでも年1回くらいのペースで博物図譜を特集してきた。2007年8月の『ものの真の姿を探る』、2006年9月の『写生とそのかたち』など。東京国立博物館が所蔵する博物図譜の多くは、博物局(東博の前身)の田中芳男が中心となって作成・編集したものだ。どこかに”趣味と教養”の香りが残る江戸の博物図譜と違って、明治の博物図譜は、世の中に存在する動植物を、何が何でも全て集めてやる、といわんばかりのエネルギッシュな収集欲を感じさせる。 

 絵師では、前回、名前を覚えた関根雲停が、やっぱりいい。対象をさまざまな角度から繰り返し描くので、アニメーションの下絵みたいに思える。今回覚えたのは馬場大助。『遠西舶上画譜』といって、文化年間以降に渡来した草木346品を解説した便利な図譜を作っている。展示されていたのはパンジーの項。関根雲停と馬場大助は、ともに。赭鞭会(しゃべんかい)という博物研究会(!)の一員だった。この時期(文政~天保)、藩主から旗本まで、身分を越えた趣味サークルが成立していたことにちょっと驚く。

 明治初年に博物局が編集した『博物館獣譜』は、これより以前のさまざまな図譜を収集・書写して再録している。『御用伺絵』(珍禽渡来の際に長崎から幕府に送って御用の有無を問い合わせた絵)とか、堀田正敦『獣譜』の一部とか。展示されていた、妙に人間臭いテナガザルの図には「谷文晁写」とサインがあり、クマの正面図には「小野蘭山蔵図」とあった。

 後藤光生の『随観写真』も面白い。題名は「見たままを写した」ということらしいが、変な化け物の「写真」もあって、面白過ぎ! 展示品は数少ない完本で(ということは他にもあるのか?写本なのに)木村蒹葭堂旧蔵本だそうだ。大槻玄沢の『六物新志』は、先日、国立公文書館でも同じもの(版心に「蒹葭堂」とある刊本)を見たばかりだ、と思ったら、あれっ、こちらは写本なので、びっくり。どうも江戸の出版流通は、よく分からない。

■参考;国立国会図書館電子展示:描かれた動物・植物-江戸時代の博物誌
http://www.ndl.go.jp/nature/index.html
 博物図譜を書誌学的に楽しむにはおすすめのサイトを発見(いまさらだが)。さすが、よく整理されている。でも、どんなによく出来た電子展示も、やっぱり本物のイメージ喚起力には敵わないと思う。

※後記。いつもお世話になっているWikipediaだが、博物誌に関する記述は意外と弱いことが分かった。上記、馬場大助も後藤光生も項目がない。いや、まず誰か、田中芳男の項目を書いてくれ!
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教育者につける薬/大衆教育社会のゆくえ(苅谷剛彦)

2008-04-16 23:14:03 | 読んだもの(書籍)
○苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ:学歴主義と平等神話の戦後史』(中公新書) 中央公論新社 1995.6

 戦後日本に出現した「大衆教育社会」。それは、単に教育機会が拡大した社会ではなく、教育と社会のかかわりかたに日本固有の特徴が見られる。

 第一のキーワードは「学歴社会」。日本では、学歴が「社会的生まれ変わり」をもたらすと言われるほど学歴への期待が高い。実際には、学歴が地位や収入と結びつく度合いは、イギリスやアメリカと差がないのだが、階級制度や人種差別の残る両国では、学歴だけで「生まれ変わり」ができるとは期待されていない。

 一方で、学歴は実力を反映していない、という批判がある。これも日本的な特徴のひとつで、背後には「教育がそもそも実力と関係するはずだという期待」が共有されている。これは面白い指摘だ。あらためてこんなことを言われたら、多くの日本人は(文部科学省の役人も)激しくとまどうだろう。しかし、たとえばイギリスでは、職業的な実力とは無関係に、高い教育はそれだけで尊敬に値する、という教養主義な見方が強い。儒学知識人の伝統の残る韓国も同様だという。

 日本の場合、実際の学歴取得競争は、社会のどの場面でもあまり役に立たない(どの社会階層にも属さない)「学校文化」的な知識技術によって争われている。これは、きわめて平等なシステムに見えるため、大衆の教育意欲を刺激し、メリトクラシーの大衆化をもたらした。一方で、諸外国に比べて、紐帯も責任感も弱い「受験エリート(学校文化エリート)」しか生み出すことができなかった。

 これは実感として、よく分かる。私自身も戦後社会の「受験エリート」であるが、選良らしいふるまいは出来ない。だって、しょせん受験学力なんて、真の実力ではなく、教養でも専門知識でもないと囁かれ続けるのだから、自信が身につくわけもないのである。でも、グローバル・スタンダード的には異端であっても、日本的な「平等主義的心性を身に付けたエリート」って、それはそれで存在意義があるんじゃないか、とも思う。

 第二のキーワードは「能力主義的差別教育」の忌避。能力や成績による序列化は、差別感を生むという理由で、これを忌避する心理である。背後には、「誰でもがんばれば100点を取れる」的な、能力の可変性への信仰と、学校で測られる学力は「真の能力」ではないという学力観がある。本書の第5章は、こうした能力観・学力観を推進してきた日教組の記録を、執拗に追っており、非常に興味深い。どう考えても、素質や文化資本の不平等を隠蔽しているだけだと思うんだが、理想に燃える教師というのは、困ったものである。

 本書は1995年に執筆されたもので、大衆教育社会が極限に行きついた時点の総括と言える。その後は、戦後の日本社会が隠蔽してきた「格差」「貧困」の問題が、急速に顕在化している。しかし、今日の問題に対処する方法は、本書の最後に記されたとおりではないか。すなわち「本当の教育が実現すれば…」という、<よきものとしての教育>信仰を捨てること。熱い教育論はもう辞めよう。

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もうひとつの社会/賤民とは何か(喜田貞吉)

2008-04-14 23:49:34 | 読んだもの(書籍)
○喜田貞吉『とは何か』 河出書房新社 2008.3

 同じ著者の『被差別とは何か』を読み終えたばかりで、また本書を見つけた。前者が2月29日、本書が3月30日発行である。オビの広告を見たら、『先住民と差別』という題名の本も刊行されていることが分かった。最初の『被差別とは何か』が面白かったので、よしよし、このシリーズ全てに付き合ってみようと決めた。

 本書は、歴史上「」と扱われた、さまざまな人々(職業)について解説する。前掲書『被差別とは何か』が、おおむねエタの研究だとすれば、本書はの研究ということになろう。

 古代律令制において、良民とは大御田族(おおみたから)すなわち農民のことであり、とは非「農民」のことだった(決して非「人類」の意味ではない)。主人持ちの家人。葬送儀礼にかかわる。僧形の浮浪民、濫僧(らんぞう)など。とりわけ興味深いのは「放免(ほうべん)考」である。放免した罪人を下級の警吏として用いたもので、賀茂祭の行列などに供奉する際は、尋常ならざる華美な装束で人目を驚かせた。なるがゆえに衣服の禁制が及ばぬものと考えられたらしい。

 彼らは公民とは別の統制秩序を有していた。エタの人々は、自ら「」と称して、他のたち(遊芸者・工業者等)を支配下におく権利があると主張した。この流れを汲むのが、江戸のエタ身分の頭領、浅草弾左衛門である。この名前、前著『被差別とは何か』にも、さりげなく登場するのだが、私は全く意味が分からなかった。昭和初期くらいまでは、一般常識の範囲だったのだろうか。

 Wikipediaによれば「歌舞伎十八番の一つ『助六』は、市川團十郎 (2代目)が弾左衛門の支配から脱した喜びから制作したもので、悪役の髭の意休は、1709年に死去した弾左衛門集誓をモデルにしたと言われている」そうだ。本書には団十郎の名前は出てこないが、宝永年間(1704-1710)、芝居役者と弾左衛門の間にもめごとがあり、弾左衛門は”頼朝公のお墨付”によって、芝居者がエタ支配の下にあることを主張したが、役者の方では「雍州府志」を証拠に、芝居なるものは八十年ばかり前に始まったものだから、頼朝公の時代にあるはずがない、と訴えて、勝ちを収めたとある。実に科学的な裁定であって、日本人の「歴史感覚」を考える上でも興味深い。

 本書を読むと、「」と呼ばれた人々にも、多種多様で、豊かな歴史があることが了解される。いろいろ理由はあるのかもしれないが、これを闇に葬ってしまう態度はいかがなものか。

 なお巻末に、礫川全次氏が、喜田貞吉の人柄を示す、恰好のエピソードを紹介している。あるとき、民俗学者の中山太郎が「喜田先生はあまり剛情のため同僚との和を欠き云々」という発言をした。その数日後、喜田本人が手紙で「喜田から剛情をとったら何が残る」と言ってよこしたという。中山は閉口しただろうけど、笑った。陰でこそこそしないところが、いいなあ、この人。
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メイド・イン・ジャパンの誇り/柿右衛門と鍋島(出光美術館)

2008-04-13 23:31:18 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 『柿右衛門と鍋島-肥前磁器の精華-』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/

 江戸時代初期、日本で初めて磁器生産に成功した九州・肥前窯(佐賀県)。その精華というべき柿右衛門と鍋島、さらに古伊万里を、館蔵コレクションを中心に紹介する展覧会。

 うれしい。肥前磁器は大好きだ。陶磁器の魅力に目覚めかけた頃、たまたま九州に行く機会があって、有田の町を訪ねた。製陶会社の店舗に併設された私設博物館を見て歩き、「柿右衛門って、どこが特徴なんですか?」と超初心者の質問をして、学芸員(店員?)の方に「余白が広いことと、乳白色の地色ですね」なんて丁寧に教えてもらった。以来、柿右衛門と鍋島は、私のお気に入りである。

 本展は、肥前磁器の成り立ちと変遷を、時代を追って歴史的に把握することが出来る。初代柿右衛門の登場が17世紀。ただし、夕日に照らされた柿の色を見て…というのは、昭和8~15年の尋常小学校読本によって作られた伝説である。という会場の説明を読みながら、老夫婦が「習ったなあ、この話」と大きくうなずいていた。実際は、文書等によって、柿右衛門が正保4年(1647)長崎滞在中の中国人から赤絵の技術を学んだこと、初期の赤絵は柿色というより濃い赤であったことが分かっている。

 寛文年間(1650~60年代)、肥前磁器は、中国磁器(康煕朝の初期)の影響を受けて、その完成度を高める。この展覧会、ところどころ肥前磁器に中国磁器が混ぜてあるのだが、びっくりするほど両者の区別が付かない。派手な色彩、ごてごての文様で見るからに中国磁器と思うものが和ものだったり、おっとりした花鳥文がいかにも和様と思うと、意外に中国磁器だったりする。日本磁器なのに(しかも18世紀になっても!)「大明成化年製」なんて入ってるので、油断がならない(これはモチーフを借用しているという意味か?)。

 次いで、鍋島の登場。鍋島藩窯は、寛永5年(1628)に有田の岩谷川内に設けられ、1675年に伊万里市大川内山(おおかわちやま)に移された。写真パネルに、この大川内山の風景を描いた絵皿があって、面白かった。興味深かったのは、鍋島藩初代・勝茂の伝来品である2枚の大皿(色絵椿文輪花大皿)。全く同形・同デザインなのだが、一方は伝統的な技法に基づき、文様を黒い輪郭線で縁取る。もう一方は、葉なら緑、花なら赤というように、文様と同色の輪郭線を用いている。中国磁器の豆彩の技法だ。

 解説者はこう推測する。鍋島藩は、新旧2つのスタイルを比較し、鍋島窯の路線を後者に決定したのではないか。まるで現代企業の企画会議みたいである。鍋島勝茂って、苦労のわりに評判のよくない可哀想な殿様だが、経営者として先見の明があったわけだ。(※佐賀県サイトに上記大皿の写真あり。ただし、色があまりよくない)。

 後半は、再び柿右衛門で魅せる。ところが、優美な花鳥文の角瓶一対(色絵花鳥文六角共蓋壺)を見て、これぞ柿右衛門の真髄と思ったら、「マイセン窯」とあって、びっくり。これは見事だ。柿右衛門に惚れ込んだアウグスト強王(→『西洋陶磁入門』に出てきた)が焼かせたものだという。もっとも、ヨーロッパで作られた柿右衛門コピーには、苦笑を誘うような稚拙なものもある。なお、真正の柿右衛門で、底面に「ヨハネウムナンバー」という数字が振ってあるものがあり、これはザクセン強王のコレクションだった印という。

 鍋島のデザインは、寛文小袖に代表される”傾(かぶ)いた美意識”に通じ、余白を重んじる柿右衛門の美意識は、小堀遠州や狩野探幽など江戸前期の時代様式に即している、という指摘は興味深かった。

 元禄年間(1680~1740)、景徳鎮窯の影響を受けて、新たな様式、古伊万里(金襴手)が誕生する。”古伊万里”って、柿右衛門や鍋島より新しいんだ、と再認識。柿右衛門の優雅や鍋島の格調に比べると、破壊的なまでのインパクトだ。率直に言って、あまり好きではないのだが、使い勝手のいい器が中心だったというのは、気づかない点だった。大衆社会の成立を反映しているのだと思う。
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幼すぎる美神/ウルビーノのヴィーナス(国立西洋美術館)

2008-04-12 22:40:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立西洋美術館 『ウルビーノのヴィーナス:古代からルネッサンス、美の女神の系譜』

http://www.nmwa.go.jp/

 ティツィアーノ作『ウルビーノのヴィーナス』(ウフィツィ美術館所蔵)を初めて日本で公開する展覧会。高田馬場だったか目白だったか、山手線の線路際に、この展覧会の大きな広告看板が掛かっていて、全身、白い肌もあらわに横たわったヴィーナスが、意味ありげな微笑みを車窓に向かって投げかけている。それがあんまり色っぽいので、ええ~いいのかな~と、私は見るたび面伏せになってしまう。確かキャッチコピーは「美神降臨」だった。ずいぶん思い切った広告戦略である。

 この展覧会、実は『ウルビーノのヴィーナス』だけでなく、古代、ルネサンス、バロック初期に至るまでの、ヴィーナスを主題とする絵画、彫刻など約70点が併せて展示されている。最近、そのことを知って、それじゃあ見に行こうという気持ちになった。会場の冒頭は、私の好きなギリシアの赤絵壺や、カメオなど、古代のヴィーナスに迎えられる。

 ルネサンス期については、岡田温司さんの『もうひとつのルネサンス』にも出てきた婚礼家具の長持ち(カッソーネ)や誕生盆の実物を見ることができ、興味深かった。書籍も多かった。メディチ家の庇護の下、最初に誕生したヴィーナスは、プリニウス『博物誌』(1458年刊)の1頁に描かれた小さな図像だそうだ。それから、奇妙な焼きものもあった。

 しかし、何といっても『ウルビーノのヴィーナス』。奇跡の美肌である。この展覧会に集められたヴィーナスは、比較的、肉付きのいい美神が多い。三段腹だったりして。それに比べると、胸のふくらみの下からお腹にかけてが薄くて幼い感じがする。胸は、彼女だけでなく、美神の伝統的プロポーションって、そんなに大きくないのが標準のようだ。最近の巨乳好みって、社会が下品になった結果じゃないかと思う。モデルには諸説あるそうだが、かなり若い女性だと思われ、正直、ちょっと”ロリ趣味”の危うさが匂う。まあ、ルネサンス期には、若い女性と初老の男性の”年の差婚”が一般的だったと言うし。

 絵画的に眺めると、画面を左右に区切る真っ黒な衝立(?)。よく見ると、深緑のカーテンが斜めに掛かっており、白いシーツの下の赤(に黒の小花模様)の寝具と計算された対照を形づくっている。寝具のファブリックがきれいだなあと思っていたら、横浜・元町のキタムラヤがこれを再現したバッグ(拡大すると細部も分かる)を作ってしまった。欲しい~。でも、これを持って行くようなお出かけ先もないしなあ。

 思い起こせば、昨年の春は、東博にレオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』がやって来て、その余波で、私は岡田温司さんの『処女懐胎』等々を読んで、西洋絵画に関心が戻った。2007年は聖母マリア、2008年はヴィーナス。さて、来年は?

■参考:サルヴァスタイル美術館「ティツィアーノ・ヴェチェリオ」
http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/tiziano.html
『ウルビーノのヴィーナス』を見ながら、自然と頭に浮かんでいたのが、マネの『オランピア』。犬と猫の対比など、興味深い指摘あり。
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お花見のついでに/常設展(鎌倉国宝館)

2008-04-11 22:54:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
○鎌倉国宝館 常設展

http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kokuhoukan/index.htm

 お花見のついでに鎌倉国宝館に寄った。逗子に住んでいたときから、通い慣れた喫茶店みたいなもので、常設展も特別展も、だいたい見尽くしていると分かっていても、ちょっと覗きたくなってしまう。

 まず、英勝寺蔵『龍虎図屏風』が目を引いた。金地墨筆の六曲一双屏風。片や黒雲の中に身を沈めた龍、片や咆哮する虎が描かれている。なかなか、カッコよくていい。会場のキャプションには、作者は狩野派の誰とかあったと思うが、ウェブの展示品リストには作者名が載っていない。ずるい。報国寺蔵『花鳥図』2点は、明代絵画らしい朗らかな色彩。

 ほかに、円覚寺と建長寺の羅漢図、寺社絵図、絵巻物と、バラエティに富んだ絵画資料を楽しんだが、驚いたのは、英勝寺蔵『大黒の舞い』という、初めて見る絵巻。どこかの拝殿の前で、裸に錦のふんどしを付けた大男が2人、舞いを舞っているとも、相撲を取っているともつかぬ格好で組み合っている。体の色が灰色っぽくて、なんとも奇怪な図像である。

 「大黒舞」を調べてみたら、今も各地の郷土芸能に残っており、恵比寿・大黒のペアに扮して踊ることが多いようだ。の行う門付芸でもあったようである。さらに国文学研究資料館のサイトで、よく似た画像を見つけた。これは「大黒舞」というお伽草子を絵巻にしたものだという。でも、鎌倉国宝館で見た絵巻のほうが、あやしさが濃厚だったなあ、と思ったら、まさに英勝寺蔵の絵巻の影印(複製出版)を見つけた。勉誠社の「甦る絵巻・絵本」シリーズである。いいなあ、このシリーズ。まとめて読みたい(眺めたい)。

 彫刻では、これも濃厚にあやしい『歓喜天立像』が、いつもの壇上でなく、後半のガラスケースに展示されていた。象頭の男女二神が向き合う姿。目の高さに近いので、細部までよく観察することができる。女神が男神の片足を軽く踏んでいる。一説では、十一面観音が女神に変身し、捉えた悪神を逃さないよう、足先を踏んでいるのだそうだ。面白い。辻の薬師堂の『十二神将立像』は、だんだん国宝館展示が増えている気がする。向こうは寂しくないのだろうか。
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湘南・町の桜と山の桜

2008-04-10 21:50:43 | なごみ写真帖
むかし住んでいた逗子に、今年も桜を見に行った。
ハイランドの「町の桜」。年に一度、静かな住宅街が魔法にかかったように変身する。



そして衣張山ハイキングコースから見る「山の桜」。練り切りの和菓子みたいで美味しそう。山並みの先には鎌倉の海。



昨年はデスクワークが増えて、体重増とストレス増のため、さしたる原因もないのに膝を痛めてしまった。もう歳も歳だし、治らなかったらどうしよう、と思っていたのだが、なんとか復調。また休日は、たくさん歩きたい。
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一病息災 /病と医療(国立公文書館)

2008-04-09 23:35:47 | 行ったもの(美術館・見仏)
○国立公文書館 平成20年度春の特別展『病と医療-江戸から明治へ-』

http://www.archives.go.jp/

 恒例、春の特別展。病と医療から見た近世~近代の軌跡を、江戸の諸本と明治の公文書でたどる。こんな狭いテーマで面白い資料が揃うのかな、と心配したけれど、けっこう楽しめた。

 まずは、個人の日記や随筆から、さまざまな流行病や治療方法の記述を探る。はしか、インフルエンザ、赤痢、さらに梅毒。幕末に猛威をふるったのは、安政5年(1822)のコレラの大流行である。金屯道人(仮名垣魯文)著『安政箇労痢流行記概略』は、多色刷りの挿絵で、焼き場に棺桶が山積みされた江戸の惨状を伝える。

 江戸ものには「浅草文庫」の印を押したものが多い。また「昌平坂学問所」の印とともに「番外書冊」の印が見えるものもある。それにしても『老人必用養草』(老人医療)とか『小児必用養育草』(小児医学)果ては『坐婆必研』(産科医学)まで、昌平坂学問所の守備範囲が、やたら広いことに驚いた。多紀氏と医学館にかかわる資料もずいぶんあった。江戸の医学の発展を支えたのは蘭方医のみではない。漢方医も頑張っていたのだな、と思った。

 とはいえ、『重訂解体新書』(文政9年=1826)の銅版画の精密さは空前である。『解体新書』(安永3年=1774)の図は木版画だったのを、重版に際して改めたのだそうだ。図版の作者は誰なんだろう?と思ったら、Wikipediaに「京都の中伊三郎による」と出ていた。『和蘭医事問答』も面白いなあ。陸奥一関藩の藩医だった建部清庵が、オランダ医学についての素朴な疑問を杉田玄白に正したもの。「オランダには外科医ばかりで内科医はいないのか?」「そんなことはない」なんて、素朴な問答がほほえましい。

 最後は、美術品と見まごう本草図譜を展示。森立之の『華鳥譜』は、61種の鳥を美麗な手彩色の図譜で紹介したもの。当然1点ものかと思ったら、国会図書館も入っているようだ(→貴重書画像データベース→書名検索)。全て作者の服部雪斎の筆なのかな? 弟子が何部か複製を作るのか? 江戸の出版事情って、まだ私には分からないことが多い。必ず冒頭に「味」の項目を立てていることに注目。トキは「甘微温(あまくすこしあたため)」で、マナヅルは「甘鹹(あまくしおからく)毒なし」。オシドリもカラスもカワセミもこんな調子。江戸の精緻な博物図譜って、食材図鑑でもあったのね、と苦笑。
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19世紀、パリ、読者大衆/本を読むデモクラシー(宮下志朗)

2008-04-08 23:56:20 | 読んだもの(書籍)
○宮下志朗『本を読むデモクラシー:”読者大衆”の出現』(世界史の鏡. 情報3) 刀水書房 2008.2

 19世紀のパリへようこそ。時代はまさに活字の世紀。識字率の向上とともに、「読書」のためのさまざまなインフラが成立し、ソフトウェアが刷新されていく。読者大衆が登場し、ジャーナリストや編集者という職業が成立した時代である。

 19世紀半ば、パリには500店舗に及ぶ「読書室(店内で閲覧できる資本屋)」が林立していた。各地に大小の公共図書館はあったけれど、いずれも「知識人や愛書家のための象牙の塔的な空間」だったので、学生や庶民は、会費制の読書室で、現代文芸や新聞・雑誌を読みまくったという。先ごろ、私はオランダに行って、「受益者負担」の徹底した図書館サービスにちょっと驚いたのだけど、ヨーロッパの公共図書館って、実はこの有料読書室の伝統に支えられているのではないかしら。

 かつての読書室で、現在も書店として存続しているのがガリニャーニ(Galignani)書店である。この老舗書店は、イギリス文学のベストセラーの廉価な海賊版を刊行して、人気を博していた。ヨーロッパで著作権に関する法整備が始まるのは19世紀後半の話であって、当時は(モラルは別として)法律的に問題とはならなかったそうだ。そして、著者の側も(たとえばバイロン)海賊版のメリットを十分に意識していたという。なんだか最近読んだ『中国動漫新人類』で語られていた「海賊版の役割」を髣髴とさせる。

 ちなみに隣国ベルギーでは「ベルギー印刷協会」など、もっともらしい名称の会社が、フランス文学の海賊版を出しており、フランス人旅行客は、これを恰好のお土産にしていたという。以上を読んで、試しにWebcatで、ガリニャーニ版の英語本とか、ベルギー印刷協会(?)版のフランス語本を探してみた。そうしたら、日本の大学図書館の蔵書にも、それらしいものが出てくるので、嬉しくなってしまった。

 当時、消えゆく運命にあった活字メディアが「青本(bibliotheque bleus 安価な貸本、イギリスのチャップブックに近い)」と「カナール(canard 片面刷りの絵入り新聞)」である。カナールって面白いなあ。この世紀には石版も発明されているが、カナールと相性がいいのは、やはり「素朴な木版画」だったそうだ。西洋絵画には珍しく、異時同図法(!)が用いられていたりする。今なお、風刺的な週刊新聞『カナール・アンシェネ(つながれたアヒル)』にその名を残しているのが嬉しい。公式サイトはこちら。フランス語、全く読めないのが悔しいなあ。

 代わって、台頭しつつあったのが新聞連載小説(代表格はデュマ)。そして、新聞小説→単行本→舞台という「メディアミックス状況」も既に成立していた。また、長編小説を分冊で配本するシステムのあったこと(日本の読本と似ている)、「第1回配本は無料」なんていう”撒き餌方式”がとられたことも興味深い。

 ほかにも初めて知ることばかりで、余すところなく楽しませてもらった。実は、出版元の刀水書房って、4年近く書いているこのブログで初めて取り上げる書店である。この「世界史の鏡」シリーズは、まだ刊行が始まって間もないようだが、今後の執筆予定者がかなりいい!! 期待をもって見守りたい。でも、大型書店でないと店頭に並ばない予感。

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