○喜田貞吉著、礫川全次編『先住民と差別:喜田貞吉歴史民俗学傑作選』 河出書房新社 2008.1
2008年初頭、河出書房新社が相次いで刊行した喜田貞吉の本3冊の最初の1冊である。私は、2月刊の『被差別とは何か』と3月刊の『とは何か』を先に読むことになっていまい、最後に本書に行き当たった。
本書の冒頭に、在野史家の礫川全次氏が喜田貞吉の人物紹介を書いている。「喜田貞吉は、優れた歴史家であり、非常に多くの論文を発表したが、意外にその名が知られていない。これは、彼が単行本の形で残した著作が極めて少ないことも影響しているのだろう」。なるほど。首肯できる意見である。しかし、「喜田の論文には、他の学者にない魅力がある。論旨が明白であり、内容が具体的であり、文章が読みやすい」。これも私は同意できる。
本書は、喜田の業績を全方位的に紹介することに努めている。先住民・被差別民に関する論考のほか、考古学(周防石城山神籠石探検記)や民俗学(オシラ神、シシ踊り)、そして「法隆寺再建非再建論の回顧」を収める。いずれも、読みやすくて、おもしろい。
素人に読みやすいのは、時に煩瑣な論証を省いて、結論だけを言い切ってしまうスタイルのせいだろう。さらには、客観的な証拠が見つかっていないのに「私はこう思う」という憶断を、しゃあしゃあと述べている段もある。学術論文として、これってどうなの?!と思わないでもないのだが、学問の世界が、今よりおおらかだった時代のことと思って、許容したい。
それと、当時の雑誌は、「研究成果」の発表の場であると同時に、まだ十分な証拠固めに至っていない仮説を世に問うことで、在野史家たちの注意を喚起し、資料や情報を提供してもらうという、コミュニケーションの場でもあったようだ。喜田は、もちろん多数の根本史料を読むと同時に、つねに地方の郷土史家・民俗史家に情報提供を呼びかけ、また各地に”探検”にも出かけている。たぶん、大学に張り付いた歴史学者とは、ちょっと異なる「生活と研究」の生涯だったのではないかと思う。
法隆寺”非再建論”は、喜田が最も力を傾注した研究であり、明確な論敵がいるということもあって、迫力があった。Wikipediaにいう「喜田貞吉は『文献を否定しては歴史学が成立しない』と主張した」には、何か典拠があるのだろうか。本書では、喜田の主張はもう少し穏当な言葉で語られている。すなわち、日本書紀のような正史が、わずか50年前の事実を違えるはずはない、という常識的な判断である。気になったのは、「五重の塔婆だけは元禄の際の再建と云ってもよい程までに、根本的修理の加えられたものであろう」という一節。「余輩は今以て信じている」なんて、例によって、さらりと大胆な発言をしているが、この件、現在の通説はどうなっているんだろう? 知りたい。
ちなみに、本書には後続シリーズの広告が何も載っていないところを見ると、本書の評判がよかったので、後の2冊の出版が決まったのではないかしら? と、私も憶測で発言してみる。
2008年初頭、河出書房新社が相次いで刊行した喜田貞吉の本3冊の最初の1冊である。私は、2月刊の『被差別とは何か』と3月刊の『とは何か』を先に読むことになっていまい、最後に本書に行き当たった。
本書の冒頭に、在野史家の礫川全次氏が喜田貞吉の人物紹介を書いている。「喜田貞吉は、優れた歴史家であり、非常に多くの論文を発表したが、意外にその名が知られていない。これは、彼が単行本の形で残した著作が極めて少ないことも影響しているのだろう」。なるほど。首肯できる意見である。しかし、「喜田の論文には、他の学者にない魅力がある。論旨が明白であり、内容が具体的であり、文章が読みやすい」。これも私は同意できる。
本書は、喜田の業績を全方位的に紹介することに努めている。先住民・被差別民に関する論考のほか、考古学(周防石城山神籠石探検記)や民俗学(オシラ神、シシ踊り)、そして「法隆寺再建非再建論の回顧」を収める。いずれも、読みやすくて、おもしろい。
素人に読みやすいのは、時に煩瑣な論証を省いて、結論だけを言い切ってしまうスタイルのせいだろう。さらには、客観的な証拠が見つかっていないのに「私はこう思う」という憶断を、しゃあしゃあと述べている段もある。学術論文として、これってどうなの?!と思わないでもないのだが、学問の世界が、今よりおおらかだった時代のことと思って、許容したい。
それと、当時の雑誌は、「研究成果」の発表の場であると同時に、まだ十分な証拠固めに至っていない仮説を世に問うことで、在野史家たちの注意を喚起し、資料や情報を提供してもらうという、コミュニケーションの場でもあったようだ。喜田は、もちろん多数の根本史料を読むと同時に、つねに地方の郷土史家・民俗史家に情報提供を呼びかけ、また各地に”探検”にも出かけている。たぶん、大学に張り付いた歴史学者とは、ちょっと異なる「生活と研究」の生涯だったのではないかと思う。
法隆寺”非再建論”は、喜田が最も力を傾注した研究であり、明確な論敵がいるということもあって、迫力があった。Wikipediaにいう「喜田貞吉は『文献を否定しては歴史学が成立しない』と主張した」には、何か典拠があるのだろうか。本書では、喜田の主張はもう少し穏当な言葉で語られている。すなわち、日本書紀のような正史が、わずか50年前の事実を違えるはずはない、という常識的な判断である。気になったのは、「五重の塔婆だけは元禄の際の再建と云ってもよい程までに、根本的修理の加えられたものであろう」という一節。「余輩は今以て信じている」なんて、例によって、さらりと大胆な発言をしているが、この件、現在の通説はどうなっているんだろう? 知りたい。
ちなみに、本書には後続シリーズの広告が何も載っていないところを見ると、本書の評判がよかったので、後の2冊の出版が決まったのではないかしら? と、私も憶測で発言してみる。