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見もの・読みもの日記

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もうひとつの社会/賤民とは何か(喜田貞吉)

2008-04-14 23:49:34 | 読んだもの(書籍)
○喜田貞吉『とは何か』 河出書房新社 2008.3

 同じ著者の『被差別とは何か』を読み終えたばかりで、また本書を見つけた。前者が2月29日、本書が3月30日発行である。オビの広告を見たら、『先住民と差別』という題名の本も刊行されていることが分かった。最初の『被差別とは何か』が面白かったので、よしよし、このシリーズ全てに付き合ってみようと決めた。

 本書は、歴史上「」と扱われた、さまざまな人々(職業)について解説する。前掲書『被差別とは何か』が、おおむねエタの研究だとすれば、本書はの研究ということになろう。

 古代律令制において、良民とは大御田族(おおみたから)すなわち農民のことであり、とは非「農民」のことだった(決して非「人類」の意味ではない)。主人持ちの家人。葬送儀礼にかかわる。僧形の浮浪民、濫僧(らんぞう)など。とりわけ興味深いのは「放免(ほうべん)考」である。放免した罪人を下級の警吏として用いたもので、賀茂祭の行列などに供奉する際は、尋常ならざる華美な装束で人目を驚かせた。なるがゆえに衣服の禁制が及ばぬものと考えられたらしい。

 彼らは公民とは別の統制秩序を有していた。エタの人々は、自ら「」と称して、他のたち(遊芸者・工業者等)を支配下におく権利があると主張した。この流れを汲むのが、江戸のエタ身分の頭領、浅草弾左衛門である。この名前、前著『被差別とは何か』にも、さりげなく登場するのだが、私は全く意味が分からなかった。昭和初期くらいまでは、一般常識の範囲だったのだろうか。

 Wikipediaによれば「歌舞伎十八番の一つ『助六』は、市川團十郎 (2代目)が弾左衛門の支配から脱した喜びから制作したもので、悪役の髭の意休は、1709年に死去した弾左衛門集誓をモデルにしたと言われている」そうだ。本書には団十郎の名前は出てこないが、宝永年間(1704-1710)、芝居役者と弾左衛門の間にもめごとがあり、弾左衛門は”頼朝公のお墨付”によって、芝居者がエタ支配の下にあることを主張したが、役者の方では「雍州府志」を証拠に、芝居なるものは八十年ばかり前に始まったものだから、頼朝公の時代にあるはずがない、と訴えて、勝ちを収めたとある。実に科学的な裁定であって、日本人の「歴史感覚」を考える上でも興味深い。

 本書を読むと、「」と呼ばれた人々にも、多種多様で、豊かな歴史があることが了解される。いろいろ理由はあるのかもしれないが、これを闇に葬ってしまう態度はいかがなものか。

 なお巻末に、礫川全次氏が、喜田貞吉の人柄を示す、恰好のエピソードを紹介している。あるとき、民俗学者の中山太郎が「喜田先生はあまり剛情のため同僚との和を欠き云々」という発言をした。その数日後、喜田本人が手紙で「喜田から剛情をとったら何が残る」と言ってよこしたという。中山は閉口しただろうけど、笑った。陰でこそこそしないところが、いいなあ、この人。
コメント (2)
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