見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

美術史の冒険/奇想の江戸挿絵(辻惟雄)

2008-04-23 22:32:52 | 読んだもの(書籍)
○辻惟雄『奇想の江戸挿絵』(集英社新書ヴィジュアル版) 集英社 2008.4

 これはすごい本である。立ち読みのつもりでページをめくって絶句してしまった。全文200ページ余、新書としては標準的なボリュームだと思うが、図版を載せていないページがほとんどない。著者の辻惟雄氏は、いまさら紹介するまでもないが、『奇想の系譜』(美術出版社、1970)で、若冲、蕭白、国芳らを取り上げ、今日の江戸絵画ブームの基礎をつくった美術史家だ。その辻先生が本書で挑むのは、江戸版本(特に読本)の挿絵である。

 読本(よみほん)とは、江戸後期(19世紀)、中国の白話小説の影響を受けて生まれた、荒唐無稽・波乱万丈の絵入り小説のこと。上方で作られた当初は文字中心だったが、出版地が江戸に移ると、意匠を凝らした口絵や挿絵が付くようになった。読本作者の二大スターは山東京伝と滝沢馬琴で、京伝は豊国、馬琴は北斎とコンビを組んで活躍した。

 豊国も北斎も、もちろん江戸絵画史には欠かせない絵師である。しかし、たとえば北斎の画業の中で、読本挿絵には、どの程度の位置が与えられているのだろう。試みに、2005年の『北斎展』の展示品リストを調べてみると、第3期「葛飾北斎期-読本挿絵への傾注」というセクションが設けられてはいるが、実際に展示された読本は5点のみで、あとは同時期の肉筆浮世絵や摺り物が主になっている。

 華麗な口絵と装丁を持つ読本は、本来、芸術作品と呼ぶに遜色ないものだろう。しかし、そこは「読み本」である。人気作品ほど、粗悪な後摺りが大量に作られ、貸本屋を通じて、広く世間の隅々まで行き渡った。多数の読者の手を経て、よれよれになった大量の江戸読本を、私は図書館の書庫で見たことがある。いわば大衆週刊誌、いや読み捨てられるコミック雑誌みたいなものだ。格調高い「美術史」の範疇に入るものとは、とても思われなかった。

 文学史では、もちろん京伝や馬琴の存在は外せない。しかし、おおよそ国文学者の関心はテキストに集中し、挿絵に目を向けることは稀なのではないかと思う。そんなわけで、文学史と美術史のはざまに落っこちていたような読本挿絵に、辻先生は果敢に手を伸ばされたのである。

 本書が取り上げた画題は、「異界」「生首」「幽霊」「妖怪」。こうして並べてみただけで、どんな世界が展開するか、多少の想像がつくだろう。いや、想像以上である。幽霊は虚空に逆立ちし、血染めの生首が哄笑する。鬼神は風雲を呼び、美女は湖水に身を躍らせる。読本挿絵の画面は、どれも「動きたがっている」と著者は指摘する。現象をスタティック(静止的)に捉えるのが西洋流だとすると、人間や妖怪や自然までを「運動の相のもとに」捉えようとするのが読本挿絵、ひいては日本絵画の特質であるらしい。

 とにかく難しいことを考える前に、ページを開いてみることである。『椿説弓張月』(馬琴作、北斎画)に使われた閃光や爆発の表現は、手塚治虫か永井豪か、1970年代以降の少年マンガの、最もすぐれた表現に匹敵すると思う。著者は「あとがき」に「漫画家の江川達也氏には、マンガの技法、表現などについて、大変貴重なご教示をいただいた」と記しているが、江川氏もびっくりだったことだろう。

 美術史家の冒険は堪能した。次は、国文学者の中からも、テキストと挿絵を一緒に読むことに挑む研究者が現れてほしいものだと思う。いや、もう現れているのかしら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする