見もの・読みもの日記

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白鳳の春/薬師寺展(東京国立博物館)

2008-04-01 23:53:27 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京国立博物館 特別展 平城遷都1300年記念『国宝 薬師寺展』

http://www.tnm.go.jp/

 上野の桜が満開になったと聞いて、慌てて薬師寺展に行ってきた。最近の『大徳川展』や『近衛家1000年の名宝』に比べると、展示品の総数は少なめだったが、このくらいのほうが疲れなくていい。

 最初の展示室は、広い会場いっぱいに朱塗りの社殿が再現されていた。両脇を固めるのは阿吽の狛犬。木製で、手塚治虫のマンガみたいな顔をしている。あ、薬師寺の南にある休ケ岡八幡宮だ、とすぐに分かった。社殿の廂の下には、左から、仲津姫命・僧形八幡神・神功皇后の三神像が並んでいる。私の大好きな神像彫刻だ。ひょいと小脇に抱えられそうな大きさ(ぬいぐるみのクマほど)であるが、凝縮された迫力に圧倒される。特に神功皇后像は、厳しい横顔が美しい。

 向かいのガラスケースに展示されているのは、社殿の障子(板)に描かれた22体の男女神像。寛治年間の作を永仁3年(1295)に補修したものだそうだ。これは、何かのカラー図版で見た記憶がある。たぶん『芸術新潮』の特集「薬師寺は生きている」(1997年11月号)だと思う。本物が見たい!という10年越しの念願が叶って感無量。衣冠束帯の男神たちは、それぞれ個性的な表情を見せる。笏の扱い方が、肩に当てたり、袖をかぶせたり、会議に飽きた人々の動作を写していて妙にリアル。フリフリ衣装の女神たちは、ロココの姫君みたいで美しいなあ。

 隣室に進むと、塔頂の九輪の巨大な模式図に目を奪われる。根元には「露盤蓋板」と「伏鉢」。昭和25~27年に新補のものと取替えられた旧作である。耐えた風雪の重みを示すように、「露盤蓋板」は少し歪んでいる。そして、おお!飛天を模した「水煙」だ、と思ったら、昭和45年~46年に東京藝術大学が模造したものだそうだ。しかし、よくできている。全体に巧妙な亀裂の跡が走っていて、パーツから組み立てたのだろうか、と想像に誘われる。

 ふと振り返って、順路の先に目をやると、はるかな視線の先に、見覚えのあるお姿――東院堂の聖観音がいらした。和辻哲郎の『古寺巡礼』に、最も印象深く登場する、あの聖観音像である。清浄さと初々しさに心洗われる、白鳳彫刻の”華”だ。騒ぐ心を落ち着けて、ゆっくりと近づく。側面にまわると、意外と腰周りが太い。さらに普段は見られない背面に立つと、お尻に垂れたリボン(帯)と瓔珞の美しさに息を呑んだ。よく見ると、正面にも瓔珞は下がっているのだが、溌剌とした肉体や、左右に往復する天衣の軽やかなリズムに掻き消されて、あまり華美な印象は無い。それが、背後にまわると、実にあでやかである。この背中とお尻を、和辻に見せたら、どんな感想をもらしただろうか。

 などと感慨にふけりながら、スロープを上がって、次の会場へ。広い会場にお立ちになっているのは、日光・月光の両菩薩である。まずはバルコニーに立って、高い目線で両菩薩に向き合い、次に、同じ床面から見上げるように誘導される。二菩薩は、不思議と印象が違うのだけど、どこが違うのかを具体的に指し示すのは難しい。日光菩薩のほうが、腰のひねりが少し大きいだろうか。実際の角度の大小ではなくて、横腹の肉のくぼみ方がそう感じさせるのである。

 背後にまわると、日光菩薩は、堂々とした肩幅に細い腰が少しアンバランスな印象である。月光菩薩のほうが全体に細身。しかし、巨大な菩薩像の後ろに立って、多数の善男善女(参観客)に向き合うというのは不思議な体験だった。なんだか仏菩薩の眷属のひとりになった気分。像の巨大さがむしょうに頼もしく、懐かしく思える。

 後半の会場では、瓦、三彩壺、塑造の破片などから、かつての壮麗な伽藍群を想像する。やっぱり、塔本塑像があったんだなあ。それも胡人の像を含むようなものが。国宝『吉祥天像』も見られて大満足。やっぱり、大和路のお寺は春が似合う。
コメント
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