見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2012日吉大社・山王祭(4/13)

2012-04-16 23:52:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
週末、関西に行って来た。いろいろ目的はあったのだが、最終的に決断した理由は、4月12日~15日に行われる日吉大社の山王祭を見られると気づいたこと。昨年、大津市歴史博物館の『日吉の神と祭』を見て、絶対一度は行ってみたい、とあこがれていたのだ。日吉大社のホームページを見たら、宵宮の祭事は夜9時頃まで行われるらしい。ふむ、それなら東京を夕方出ても間に合うかしら?

結局、13日(金)は2時間ほど早退して新幹線に乗り、京都→大津着が18時頃。ホテルですばやく仕事のメールチェック。外は、ポツポツ小雨が降り出してきたので、え~やめようかな、と気持ちがしぼむ。そこを押して、夕暮れの京阪電車で出かける。窓の外は真っ暗闇。しかし、一緒に終点の坂本で下りたお客の「松明の匂いがする」という言葉に、だんだん興奮を取り戻す。

「生源寺」というお寺の境内に、こんな感じで↓男衆が勢ぞろいしていた。



参加者のひとりひとりが、独特の節回しで名前を呼ばれる「読み上げ式」の最中。どうやら地区ごとにまとめて呼ばれるのだが、地区の区切り目で「(次は)南の浦でっせ~南の浦でっせ~」みたいな関西弁の煽りが入るのが面白い。

読み上げが終わると、正面の唐破風の下に並んだ侍衆が扇を上げる。すると庭先の男衆は一斉に踵(きびす)を返して、門の外に駈け出して行った。



やがて、坂の下から大きな松明が境内に運び込まれる。同じことが2回繰り返された。(私が見たのは2回だが、4回=4本松明が運び込まれるのかもしれない)



次に、杖のように細長い松明(竹か?)を手にした男衆=駕輿丁(かよちょう)が並び直すと、今度は、合図とともに全員が走り去った。多くの見物客がその後を着いていくので、私も群衆に従う。満開の桜の下、屋台の並んだ参道の坂を、人々はわれ先に上がっていく。途中で右に折れ、本道を外れると、かなり暗い。暗闇の中に、松明の燃えかすが点々と落ちている。

やがて、少し開けた場所に出ると、粗末な屋根と柱だけの不思議な建物がライトアップされて、闇の中に浮き上がっていた。男たちに護られた四基の神輿が、ゴトンゴトンと音を立てながら、生き物のように前後に揺れている。



すでに大勢の人に囲まれ、間近には近づけない状態だったが、右端の大きなスクリーンに、至近距離のライブ映像を流してくれているのがありがたかった。これは「神輿振り」という神事で、神様の陣痛を表すともいわれている。この神事が1時間近く続いたあと、スクリーンには、生源寺を出発する侍衆の姿が映し出された。駆けつけた侍衆は、神輿に飛び乗るパフォーマンス。神輿の担ぎ棒が高く跳ね上げられる。



この状態で、獅子舞い、ささらなどが奉じられ、最後は、扇を構えた山王祭実行委員長の祭文(声がよくて、上手い)。扇が返るとともに、1メートルほどの段差を、どさりと滑り落ちる神輿。これが御子神の出産をあらわす。



そして、待ち構えていた男衆=駕輿丁(かよちょう)に担がれ、見物人の頭上を、揺れもせず、滑るように猛スピードで去っていく。石橋を渡り、闇木立の中に消えていく金色の神輿を必死で追いかけるが、人波に揉まれて、すぐに引き離されてしまった。それでも人々の向かう方角に着いていくと、「西本宮」と思しき社殿が見えてきた。



拝殿には三基の神輿が据え付けられており、ここに四基が加わって、計七基が勢ぞろいして、明日の巡行を待つ。だいたい夜9時。宵宮の神事が終了し、人々の波が引き始めたので、私も宿に戻ることにする。面白かった~。以下、翌日の記事に続く。
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中国工芸の美/悠久の美(出光美術館)

2012-04-13 23:38:48 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 『悠久の美-唐物茶陶から青銅器まで』(2012年4月3日~6月10日)

 中国工芸美術の醍醐味にふれる展覧会。出光コレクションの原始・古代中国美術展は13年ぶりだという。13年前の展覧会って何だろう?と思って探してみたら、ネットには情報があるものだ。『館蔵 中国美術の源流展-中国古代の工芸に表された図像を中心に-』(1999年7月27日~9月26日)というのが出てきた(※個人サイト:考古学のおやつ)。この時期なら、たぶん見に行っていると思うが確証はない。

 「唐物茶陶から青銅器まで」と聞いて、ん?逆だろう、と思ったが、日本人にとっての馴染みの深さからいえば、こうなるのだろう。しかも工芸だけかと思っていたら、冒頭にいきなり牧谿筆『平沙落雁図』のサービス。私は、むしろ隣りの別山祖智の書『唐詩三題』がいいと思った。王之渙「登鶴雀楼」、儲光羲「洛陽道」、孟浩然「春暁」の三首がダラダラと書かれている。何だろう、区切りも配置も全く構わず、思い出すままに書き付けたという感じ。どんな状況で書かれたのかなあと、いろいろ想像してしまう。伝・夏珪筆『山水図』二幅も久しぶりに見た。これら書画は、5/81から展示替え。

 さて、肝腎の工芸は、宋代の繊細で都会的な美意識の真髄というべき建窯、吉州窯の天目茶碗。とろりとした龍泉窯の青磁瓶など。私は、明代の唐物文琳茶入「銘:奈良」が気に入った。銘の由来は、斑文が奈良絵を思わせるためかと思ったのだが、全然違うかもしれない。螺鈿の説明に、宋代には一時衰退したが、元代に復興した、というのを面白いと思った。確かに華やかな螺鈿って、宋の美意識には合わない。しかし、こうしてみると、一般の中国人にとって「最も中国らしい美意識の時代」って何時なんだろうか。清代工芸は、倣古趣味の品を中心に展示。

 そして、会場の後半は、ずらりと並んだ青銅器。つい先だって、泉屋博古館分館(東京)で『神秘のデザイン-中国青銅芸術の粋-』を見て、いわゆる「饕餮文(とうてつもん)」の見かたが少し分かったこと、漢代の青銅器は、もう十分にモダンの域にあると分かったことを思い出しながら見た。漢代どころか、春秋戦国の青銅器も、その前の殷周時代に比べるとモダンかも知れない。まったく早熟な文化である。
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板画だけでなく/東北の工芸と棟方志功(日本民藝館)

2012-04-11 23:45:53 | 行ったもの(美術館・見仏)
○日本民藝館 特別展『東北の工芸と棟方志功』(2012年4月3日~6月10日)

 週末、散歩にちょうどいい陽気だったので、桜を求めて歩いていたら、行くつもりのなかった日本民藝館に着いてしまった。まあそれなら、見ていくか。ガラガラと重たい引き戸を開けると、正面の階段の左右には「東西」「南北」の書。棟方志功の字だ。中央に大きな木製の面。近寄って、その巨大さに圧倒される。仙台の竈神(かまがみ)の面だという。何の気なしにメモしてきたが、いま調べたら、竈神を面で祀る習俗は「旧仙台藩領内にのみ見られるもの」だそうだ。

 踊り場の箪笥の上には、岩手産の壺。階下の展示ケースは、右に焼き物、左に塗り物。根来かな?なんて、寝ぼけたことを考えたが、岩手の秀衡塗(南部塗)だった。左右の壁に、さりげなく志功の板画の大幅。「2階からご覧ください」の声に押されて、階段を上がる。

 大展示室を見渡して、おや、と思う。もっと「棟方志功」の目立つ展覧会かと思っていたので。主役は、あくまで「東北の工芸」なんだな、と考えを改める。樺細工、刺子、陶器、鉄器など。蓑、背中当(ばんどり)が珍しくて目を引く。会津本郷の白釉緑流の甕、いいなあ。

 正面に、棟方の板画(版画)屏風『東北経鬼門譜』。六曲一双の屏風で、左隻に女たち(羅刹女)、右隻に男たち(羅漢?鬼?)、左右の合わせ目に三尊図が描かれており、中尊は身体の中心線を二つに立ち割られた状態である。あとでリーフレットを読んだら、「棟方は、身を割った仏の間から諸々の悪霊や禍を通すことで、それらを鎮めてくれるよう念じた」のだという。大展示室に棟方の作品は、これ1点か、と思ったが、ふと振り返ったら、対面の入口の上に「道」という書が掛けてあった。

 棟方作品は、このほか2階の第3室と階段まわりにいくつか展示されていたが、私は『岩木山』という墨一色の倭画が好きになった。同じく倭画『暁陽 十和田湖』という作品は、小島の多い入江に差し込む朝日を、明るい色彩とすばやいタッチで描いていて、印象派の絵画を思わせる。板画『雪しんしん』は、草野心平の詩をモチーフに、板画に施した淡い蛍光色が華やか。泥臭い東北の風土という私の先入観と異なり、意外と都会的なセンスで驚く。

 このほかにも、泥人形・張子人形、漆器、絵馬など、東北の工芸品を見て、河井寛次郎・濱田庄司の展示室に入ったとき、河井のモダンさをあらためて意識した。優劣をいうわけでなく、無名の工人が残した日用雑器の美と、意識的に造形された作家作品の違いを感じた。どちらも好きなんだけど。

 桜に惹かれて、近くの駒場野公園(駒場農学校の跡地)にも、初めて足を踏み入れてみる。田圃がある! 知らなかった。
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2012極楽寺+忍性塔、鎌倉国宝館

2012-04-10 23:58:56 | 行ったもの(美術館・見仏)
■極楽寺(神奈川県鎌倉市)釈迦如来特別御開扉と忍性塔公開

 昨日のアクセスログを見たら、2006/4/9の記事(極楽寺・釈迦如来と忍性塔)に、多数のアクセスをいただいていた。ありがとうございます。毎年、カレンダーにかかわらず、4月8日にだけ一般公開される、鎌倉・極楽寺の忍性塔。週末にあたるのは久しぶりなのかな? この週末、私も6年ぶりに見てきた。

 まず極楽寺で、秘仏のご本尊・釈迦如来像を拝観。頸の細い好男子像で、大河ドラマ『平清盛』で崇徳上皇を演じている井浦新さんを、ちょっと思い出させる。本堂前には、甘茶を注ぐ誕生釈迦像。私は、子どもの頃からお寺が遊び場で、境内にぽっと置き去られたような灌仏会の飾り付けが大好きだった。

 極楽寺の境内は、全面的に撮影禁止をうたっているが、最近は、少し規制がゆるやかになって、花や風景のスナップは大目に見てくれるみたい。



 裏木戸を出たところの立て札。思わず写真に収めてしまったが、2006年と同じ案内板である。たぶん。



 しばらく住宅地を歩き、狭いグラウンド脇の坂を登っていくと、杉木立を切り開いた中腹の空き地に、忍性塔がある。大きい石塔という印象は残っていたが、記憶を裏切って、さらに大きい。石塔の前に黄色い衣の僧侶が4人並んで、ちょうど法会が始まったところだった。スローなテンポは、国立劇場で聴いた西大寺の声明を思わせる(同じ真言律宗だし)。法会が終われば、石塔のまわりをぐるりと一周できるはずだが、この時間帯は、僧侶の後ろで折り目正しくお焼香することしかできない。まあ、今年はこれでよしとしよう。

 行きは江ノ電に乗ってきたが、帰りは徒歩で極楽寺坂切り通しを下り、権五郎神社(御霊神社)に寄って、長谷方面に抜ける。なるべく裏通りを選んで、人込みを避けつつ、六地蔵→鎌倉駅西口→鶴岡八幡宮へ。ちょうど鎌倉まつりのパレードが終わった頃らしかった。

鎌倉国宝館 『平常展(水墨画特集)』(2012年4月6日~4月15日)

 無理やり企画の間を埋めたような、ずいぶん短期間の平常展だが、面白かった。金地墨画の狩野栄信(1775-1828)筆『龍虎図屏風』は、三匹の虎が、ちゃんと横縞(?)である。さすがに19世紀には、豹柄の虎がいないことを知っていたのかな。雲谷等的の『西湖図屏風』や作者不詳の『竹斎読書図屏風』は、美術品として超一級品とは言えないが、禅寺にふさわしい品格を備えていると思う。

 関東大震災直後の鎌倉の風景を描いた『鎌倉震災絵巻』は珍しかった。1巻は海岸風景。切り立った岩山は稲村ヶ崎あたりか。別の1巻、石段の上で倒壊しているのは、鶴岡八幡宮の社殿らしい。鎌倉国宝館は、大正12年の関東大震災で、多くの歴史ある社寺が倒壊し、貴重な文化財を損失した苦い経験に基づき、「不時の災害から由緒ある文化遺産を保護」することを目的のひとつとして、設立されたのだそうだ(※鎌倉国宝館について)。

 国宝館を出て、雪の下方面に向かう。このへんに源義朝と鎌田正清の供養塔があると聞いていたので、すぐ分かるだろうとタカをくくって、探しに来た。そうしたら、全然見つからず、断念。久しぶりに釈迦堂切通しに寄っていこうと思ったが、これも完全に通行止め状態で、切通しが遠目に見えるところまでも近づくことができなかった。

 肝腎の供養塔だが、勝長寿院跡の碑とともに、住宅地のかなり分かりにくいところにあるらしい。『Google Earth で街並散歩(日本編) 』など、複数の方の個人ブログで、あらためて場所を確認したので、再チャレンジの予定。
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2012東京の桜(その2)

2012-04-08 23:39:47 | なごみ写真帖
4月第2日曜。ようやく東京の桜が開いた。

自宅の近所のビューポイント。


これもご近所。大人になって、こういう浮かれ桜もいいと思うようになった。


桜は老木がいい。複雑で個性的な枝ぶりになって、咲き誇る姿がいい。


都心の古い住宅街は、家は建て替わっても、年を経た樹木が意外と残っている。
振興住宅地だと、こういう趣きがなくて、つまらない。
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京・大坂・江戸/三都画家くらべ(府中市美術館)

2012-04-08 10:31:42 | 行ったもの(美術館・見仏)
○府中市美術館『三都画家くらべ:京、大坂をみて江戸を知る』(2012年3月17日~5月6日)(前期:3月17日~4月15日)

 前後期とも行きたかったので、まだ桜には早いと思いながら、先週末に出かけた。冒頭に「京」「江戸」「大坂」を代表する3点の花鳥画。京が応挙の鶴なのは遠目にすぐ分かった。江戸は、胸の赤い、雉みたいな鳥が汀で咆哮する図。どぎつくなりそうな配色を、薄く品よく抑えている。誰? 近寄ったら、宋紫石だった。あ、宋紫石(本名:楠本幸八郎)って江戸の人だったのか。何度覚えても混乱する。大坂は林閬苑(りんりょうえん)。知らない名前だった。当時の大坂では、非常に有名な画家だったそうで、検索したら、2010年に大坂歴史博物館が特集展示を行っていることが分かった。へえ~今回、府中に来てない作品にも、ずいぶん面白い作品がありそう。

 展覧会は、三都の風景と特色をざっと概観し(さほど有名でない画家の描いた京の風俗画に和む)、「花と動物」「人物」「山水」と進む。どのパートも、基本的には、京→大坂→江戸の配列。文化の発展順ということだろうな。順番に見て行ったあとで、ざっと会場を見まわすと、三都の絵の違いが感じられるように思う。

 特に「山水」は、違いが分かりやすかった。ほんわりした大和絵の山水の伝統を受け継ぐ京都。ゴリゴリに中国風な大坂。でも、大坂絵画って、こんなに中国好みだったのか。知らなかった。墨江武禅は、2009年、府中市美術館の山水画展で知った画家。『月下山水図』に再会し、『雨中山水図』も面白いと思った。唐絵好みの大坂の風土の中で育った画家であることも初めて認識した。江戸の山水は、なんというか、背景に背負う伝統が浅い分、風の吹き抜ける解放感があって、ああ、私(東京人)の育った空気だ、と感じられる。

 それから「和みと笑い」。蘆雪の『なめくじ図』、これ和みますかね。私は、かなりナンセンスな笑いを感じたのだけれど。耳鳥斎の『地獄図巻』では、「歌舞伎役者地獄」に吹いてしまった。縛り付けられた亡者の口に大きな大根が押し込まれている。淡々と仕事をこなす鬼の無表情が可笑しい。展覧会図録に掲載されていないのが残念。中村芳中の描く蝦蟇仙人と鉄拐仙人(白いガマも)かわいいなー。江戸の笑いが「理」にこだわる、というのは納得。

 最後の「三都の特産」は「京の奇抜」(若冲登場!)「大坂の文人画」「江戸の洋風画」を挙げる。なるほど、なるほど。大坂の岡田米山人、あまり意識したことのない画家だったが、『界住吉図』『山水・人物・花卉図屏風』など、ずいぶん面白い作品を見せてもらった。司馬江漢の『異国戦闘図』は、実は、途中でソファの上にあった図録を広げて、おお、これはすごい!と思ったのだが、本物を見たら、とても小さい作品だった。でも拡大しても迫力の衰えない(というか、迫力も拡大される)画力というのは、すごいものだ。若冲の『垣豆群虫図』も、拡大図版で見ると、ハチ(ハエ?)の表情の愛らしさに癒される。展示図録で確認を。

 後期(4/17~)は、かなり展示替えがあるようだ。「でろり」人物画の祇園井特は出ないのかな?と思ったら、3点出陳が予定されているが、全て後期。また行きます。
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大衆の望んだ原子力/津波と原発(佐野眞一)

2012-04-06 23:35:17 | 読んだもの(書籍)
○佐野眞一『津波と原発』 講談社 2011.6

 実は、本書を置いている書店を、ずいぶん探したのである。紀伊国屋の新宿南口店では、データ上「在庫有」になっているのに、実際は無かったり。ダメだろ、こういう本こそ、ちゃんと棚に出しておかなきゃ…。

 本書は「津波」と「原発」の二つのパートから成っている。第一部「日本人と大津波」は、雑誌『G2(ジーツー)』に掲載されたもの。雑誌と書いたが、版元の講談社は「雑誌・単行本・ネットが三位一体となったノンフィクション新機軸メディア」を謳っている。著者が「ルポ・大津波と日本人」を発表した第7号は、Amazonで見ると、2011年4月15日発売になっている。この日付が本当なら、驚くべき早さだ。

 3月18日に出発。気仙沼に、元おかまバーの名物ママを訪ね、宮古で「定置網の帝王」に会い、日本共産党元文化部長で在野の津波研究家の山下文男にインタビューする。その間々にも、現地で出会った人たちの声が拾われている。いちばん壮絶なのは、やはり陸前高田の県立病院に入院中に被災した山下さんだろうか。病院の4階の窓を破って侵入してきた津波に、カーテンを腕に巻きつけて耐えた。自衛隊のヘリコプターに救われ「僕はこれまでずっと自衛隊は憲法違反だと言い続けてきたが、今度ほど自衛隊を有り難いと思ったことはなかった」と述懐する。この話は、佐野さんがニコニコ動画の特別番組でも紹介していたが、山下さんが、その後もずっと自衛隊から貰った毛布を大事そうに抱きしめていた、という描写に胸を打たれた。

 第一部だけでも凡百の垂れ流しジャーナリズムとは一線を画しているのだが、さらに読み応えがあるのは、第二部「原発街道を行く」である。著者は、福島第一原発の半径20キロ圏内が立ち入り禁止となった後(4月25日)、ゴーストタウンと化した大熊町、双葉町一帯に入り、原発労働者に話を聞いたり、立入り禁止区域の牧場に水とエサをやりに行く牧場主と話したりしている。そして、福島第一原発に最も近いホウレン草農家を訪ね、一帯に住む人々が、天明の大飢饉による農地の荒廃を打開するため、相馬中村藩によって、因幡(鳥取)から移住させられた農民の子孫であることを知る。

 これを、震災とも原発とも関係ないと見る人は見るだろう。でも、私はこの悲惨な歴史を知って、福島の「浜通り」が、どういう性格の地域であるかを、はじめてはっきりイメージすることができた。そこに住む人々の眼に、原発のもたらす「文化」や「繁栄」が、どれだけ眩しく映ったかということも。

 第二部第二章「原発前夜――原子力の父・正力松太郎」は、本書の白眉だと思う。プロ野球の父、テレビ放送の父である正力は、原子力発電の父でもあった。原子力について特別な知識があったわけではなく、政治的野心に基づくカンとしか言いようがない。読売新聞を使った「すさまじいばかりの原子力利用キャンペーン」。日比谷公会堂で行われた原子力平和利用博覧会では、第五福竜丸の実物資料展示まで行われた。えええ~。しかも入場者36万人って、何を考えていたんだ、日本人! さらに昭和34年、東京国際見本市に展示された超小型原子炉は、昭和天皇の「天覧」にも浴している。まあ、あのひとは科学者だったからねえ…。

 こうして正力松太郎と、その懐刀と呼ばれた柴田秀利の描いたシナリオによって、日本国民が原子力アレルギーを忘れ、原発を受け入れていく経緯が、本書には一気呵成に示されている。文字どおり、震撼した。著者の『巨怪伝』(正力松太郎伝)には、もっと詳しいのだろうか。読んでみなくては。

 しかし、正力の陰謀とかCIAの謀略を疑うのは間違いだろう。「正力は大衆が望むものしか興味がなかった。プロ野球でもテレビでも、そして原子力も大衆が望んだからこそ、この天才的プロモーターは力づくで日本に導入して、根づかせた」という著者の言葉に同感する。大衆とは「わたし」のことだ。高度経済成長の真っただ中、テレビでプロ野球中継を楽しんで育った私たちが、原子力を(消費と享楽を)望んだのだ、と思った。

 果たして私たち日本人は、正力の掌を出ることができるのか。第二部第三章には、原発を導入した町長たちとその関係者、地元育ちの若い研究者などが登場し、さまざまな意見を述べている。異色で印象的なのは、著者が『東電OL殺人事件』の取材中に受けたという「東電広報部の慇懃無礼な懐柔策」の記述。これ、クレームがこないというのは本当の話なんだろうか。東電広報部って、いろんな意味ですごいわ…。

 最後の「あとがきにかえて」には、著者がこの未曽有の危機について語ってみたいと思った二人の男、原武史氏と森達也氏との対談が、それぞれ、ほんのわずかだけ引用されている。いい人選だ。この二人と佐野さんの対談、いずれ別の本になると思う(もう出版されているのかな?)けれど、とても楽しみである。
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詩とノンフィクション/言葉に何ができるのか(佐野眞一、和合亮一)

2012-04-03 22:23:32 | 読んだもの(書籍)
○佐野眞一、和合亮一『言葉に何ができるのか:3.11を越えて――』 徳間書店 2012.3

 震災から1年経って、ようやく少し関連書籍を読んでみようかという気持ちになった。しかし、表紙を見ただけで、吐き気のするような出版物のなんと多いことか。結局、この著者なら、限界点以上には裏切られないだろうと思って手に取ったのは、佐野眞一さんの本だった。

 実は、2012年3月11日(日)の21時から、ニコニコ動画で「『津波と原発』著者、佐野眞一が語る3.11」を視聴した。インタビューアーは角谷浩一氏。オジサン二人がモソモソと喋るだけの番組だったが、当日放映されていた、さまざまな震災1周年番組(全て見たわけではないが)に比べたら、圧倒的だった。「震災が起きてすぐ大津波に襲われた三陸と、東京電力福島第1原発の20キロ圏内に入った」という現地取材の重み。加えて、東電OL殺人事件や、原発の父と呼ばれた正力松太郎を追って来た佐野さんだからこそ語れる言葉の厚みがあった。

 という記憶を踏まえて、本書。対談相手の和合亮一(わごう りょういち)さんは、1968年福島生まれ、福島在住の詩人。震災後の3月16日からツイッターに書き込んだ「詩」が、次第にフォロワーを増やし、『詩ノ黙礼』『詩の礫』『詩の邂逅』三部作となってまとまった。知らなかった。震災って、実にさまざまなものを産んでいたんだな。本書は、その経緯を著者自ら、詳しく語ったものである。

 1月からツイッターを始めたものの、10回くらい書き込んで、これは自分に向かないと思ってやめていたこと。フォロワーも7人くらいだったこと。それが、3月16日から、指が自然に動いて、ツィートを始め、2時間くらいでフォロワーが171人に増え、またしばらくしたら250人に増えていたという。今も続けられている和合さんのツィッターはこちら。本書にも、いくつかのツィートが引用されているが、冷たいような、暖かいような、人を覚醒させる美しさがある。

 和合さんは、当時の気持ちを「怒りしかなかった」という。ちょっと格好をつけるなら、『山月記』の「産を破り心を狂わせて」虎になった状態。ううむ。先だって私は、内田樹さんの「怒っちゃだめよ」発言に共感したのだが、本書を読んで、本当に怒る権利を持っている人たちがいる、ということも心に沁みた。そして、その心の底からの怒りが、まわりの人を傷つける刃となるのでなく、却って「明日もぜひ読ませてください」「ほっとしました」という肯定的な反応を引き出し得るところに、詩人のことばの不思議さを感じた。

 「これは詩ではない」という批判もあったそうだ。福島の桃を毒桃と書いた俳人から「毒桃に加担する詩人」と呼ばれたことも。さらに地元の先輩詩人に「こういうことを書いたら、地元の人が傷つく。謝れ」と言われたことも淡々と語られている。そして、周囲の反応に、とまどったり、反発したり、傷ついたりしながら、最終的に、自分と異なる考えを持つ人たちを受けとめ、けれども僕は「僕の生き方」に誠実に生きる、という覚悟が述べられている。

 「不条理を不条理のままにして、目をつむりたくない」「最後の一人になるまで抵抗していきたい」という言葉が印象的だった。彼がツィッターに投げた「詩の礫」は、たくさんのフォロワーを呼び起こしたけれど、「最後の一人になるまで」という気概があることを見逃したくない。この一年、美談仕立ての「絆」探しには、うんざりした。むしろ日本の社会は、ひとりひとりが、もう少し孤独に耐える勇気を持つ必要があるのではないかと思う。

 和合さんの「詩のことば」に対応するのが、佐野さんの、ルポルタージュ、あるいはノンフィクションのことば。途中に広津和郎の有名な講演を引いて、「どんな事があってもめげずに、忍耐強く、執念深く、みだりに悲観もせず、楽観もせず、行き通していく精神――それが散文精神だと思います」と語っている箇所がある。これもいい言葉だ。原発の事故現場に入るのに、カメラを構えて「ただいま入りました!」と興奮しながら入っていくマスメディアは、明らかに「散文精神」とは異質なものと言える。

 マスメディアがつくってきた「精神の瓦礫」に対して、二人は「言の橋」をかけよう、という。伝わりやすさの中にある薄っぺらなコミュニケーションでなく、伝わらないがゆえに底深く通底するコミュニケーション、あるいは絶望の中の祈り。これは奇を衒った逆説ではないと思う。「言葉を扱うことで禄を食む人間」どうしの、真剣な手探りが最後まで続けられていて、重みのある1冊だった。



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京都人おすすめの桜/ふらり 京都の春(柏井壽)

2012-04-02 00:02:46 | 読んだもの(書籍)
○柏井壽『ふらり 京都の春』(光文社新書) 光文社 2011.3

 京都には、年に4、5回通っているのだが、どうしても行ける季節が限られる。桜の咲く頃には、久しく行っていないなあ…と思ったら、むしょうに行きたくなってしまって、本書を手に取った。同じ著者の『京都 冬のぬくもり』を以前読んだが、本書は、夏→秋→冬→春と続いたシリーズの最終巻である。

 冒頭の雛祭りのエピソードが面白かった。「サザエさんよろしく、僕が子どもの頃には〈雛祭り〉のおよばれというものがあった」と1952年京都生まれの著者は書いている。そうか、あれは本当にあったのか~。著者より一回り下の私は、それこそ「サザエさん」の中にしかない話だと思っていた。東京下町のサラリーマン家庭だった我が家には、箪笥の上に飾れるような、団地サイズの雛飾りしかなかったしな。一戸建てだったけど。

 それにしても、不二家のラウンドケーキをお土産に選び、「柏井クンとこはえらいハイカラなおうちやなあ」と言われて得意満面だった著者は、祖母から「アホ。向こうのお母さんは誉めてはるのと違う」と叱られ、「変わったことしようと思わんでええね。ありきたりが一番や」と諭される。小学生のときの思い出だという。京都人、おそるべし。でも、そのわりには京都人って、突拍子もなく変わったことをする人が出現するように思うけど。

 春といえば、やはり桜。「哲学の道」は、どのガイドブックも外さない桜の名所のひとつだが、もとは橋本関雪が、愛妻よねの提案にしたがい、大正10年(1921)およそ360本の若木を寄贈したことに始まるので、「関雪桜」とも呼ばれているという。初めて知った。それ以前は、あの疏水沿いに桜はなかったのか。というか、疏水の誕生もそんなに古くはない筈である。

 洛西では、龍安寺の石庭にかぶさるような枝垂れ桜。そうそう、あれはいい。見たことがある。知らなかったのは、原谷苑。桜の時期だけ、有料公開される庭園だそうだ。著者は「寺でも神社でもなく、ただただ桜を見るためだけに入苑料を払う」ことに抵抗があって、長らく足を運ばなかったが、行ってみて考えを改めたそうだ。私は、以前の著者の気持ちも分かるが、大人になってみると、何でも無料公開がありがたいわけではない、と思うようになった。美しい風景でも、文化財の公開でも、むやみに押し掛ける人込みに混じる苦痛を思うと、もっとハードルを高くして、来訪者を選んではどうか、と感じることも多い。入苑料が毎年変わるというのも徹底していて面白い。行ってみたい。

 千年の都といわれる京都だが、その風景は、近代以降にもずいぶん変遷しているようだ。鴨川の三条から七条あたりの東岸も現在は「花の回廊」となっているが、著者の学生時代は、川岸を京阪電車が走っていたという。線路が地下に潜ることになり、同時に桜並木を伐られてしまったときは、腹を立てて抗議に行ったが、二十数年経って、ようやく桜が戻ってきた。しかも、以前よりも変化に富んだ桜風景となったというのだから、伐りっぱなしにしなかった京阪電車はエライ。Wikiを見たら、昭和54年(1979)3月に、東福寺駅~三条駅間の地下化工事起工式が行われている。私が修学旅行で京都に行き、以後、たびたび京都に行くようになった最初が、この頃じゃないかな?

 お楽しみグルメでチェックしたのは、「はふう」のカツサンド、近江編の「カネ吉山本」の牛丼コロッケ。スイーツでは平野家本家の「いもぼうる」が食べてみたい。…あとは、料亭、懐石、一癖ある居酒屋となると、私には敷居が高すぎる。春泊まりのおすすめ宿も、どんな人が泊まるんだろうなあ、と思いながら、リストを眺めるのみ。
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2012東京の桜

2012-04-01 18:37:10 | なごみ写真帖
4月になった。

4/1東京都内某所、自宅近所のサクラ。今年は花が遅い。


同じく近所のミモザ。こちらは満開。


仕事の異動サイクルでいうと、来年の今頃は同じ場所の花を眺めているか微妙…なので、今年は、咲き始めから散り果てるまで、じっくり眺めておこうと思っている。歳歳年年"花"又同じからず、なのである。

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