見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2014年10月@熱海:「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」(MOA美術館)

2014-10-18 21:56:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
MOA美術館 『又兵衛「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」』(2014年09月26日~10月28日)

 岩佐又兵衛の『浄瑠璃物語絵巻』は大好きな作品だが、それ以上に見る機会の少ない『豊国祭礼図屏風』(徳川美術館所蔵)が出ていると聞いては、見逃すわけにいかない。私は、この屏風、たった一度しか見たことがないのだ。作品にも感激したが、今年のはじめに、黒田日出男先生の『豊国祭礼図を読む』(角川選書、2013)を読んだ経験を踏まえて、ぜひもう一度、見たい。ということで、熱海入り。

 開館時間が16:30までで、あまりゆっくりできないので、まっすぐ企画展示室に突入。いきなり、又兵衛の『豊国祭礼図屏風』が待っていた。能楽舞台を描く右隻。金雲の上に突き出した緑の樹木の描写が、意外と写実的である。又兵衛の描く人物は、顔が大きく動作も大きいので、鑑賞者の視線を一方向に引きずる力を持っている。画面のあちこちで起きている喧嘩やにらみ合い。その中の一組が、右隻第五扇・第六扇の「かぶき者」たちである。長い朱鞘を差した、もろ肌脱ぎの男が大見得切って、勇んでいる。切りかかろうとする二人組も朱鞘なんだな。壁の解説が、さりげなくこの場面に注目を促しているのは、もちろん学芸員さんも黒田先生の本を読んでいるのだろう。あと、豊国社の勅額「豊国太明神(大明神ではない)」の下に座っている白い摺衣の貴人は誰?

 左隻には風流踊の輪が四つ、右へ左へ渦巻くエネルギーで、金雲も吹き飛ばされている。画面上部は切れ切れの金雲で覆われており、よく目を凝らすと、大仏殿の威容が覗いている。ちょっと浄土変相図を思わせる構図。狩野内膳の『豊国祭礼図屏風』に描かれた「たけのこコスプレイヤー」が、東博のブログなどで話題になっていたが、又兵衛本にもちゃんといた。白い服につば広帽の男たちが歩いているのは朝鮮人通信使? いやこれも仮装なのだろうか。猫?蟹?を描いた旗指物が打ち振られていたり、細部を気にし始めると飽きない。

 『浄瑠璃物語絵巻』は、2012年の完全展示で見て以来だ。今回も全巻が出ているが、場面はところどころ割愛されている。巻4~6は牛若と浄瑠璃姫の恋模様。巻4、若い二人は勢いで手と手を触れ合うが、巻5では、一転して牛若の求愛を拒み続ける浄瑠璃姫。「~との御ぢゃうか」の繰り返しが語り物っぽい。今は精進潔斎の身だから触れないでくれ、という浄瑠璃姫の頼みに牛若は「御身もしゃうじ、わらはもしゃうじ、しゃうじとしゃうじがまいり、ごせものがたりを申ならば、なにのしさいのあるべきぞや」と強引な理屈(笑)で口説き落として、最後はしっぽり床入りする。あけすけな春画より、かえって色っぽい。巻6は、余韻嫋々の後朝。

 場面は一転して、巻8、蒲原宿の庶民たちのリアルな描写も楽しい。酒宴の狼藉、庭で行水をつかい、相撲に興ずる男たちなど。巻9では、源氏累代の宝物が黒白の二匹の龍に姿を変えるなど、突然、物語がファンタジーの様相を呈する。巻10には雷神(ストーリー上、登場の必然性はあまりないのだが)、巻11には大天狗・小天狗が登場。ここは、巻子本を徐々に広げる読者の気持ちを想像して、何かに驚き怯える人物→海上にのたうつ巨大な尻尾(大蛇?)→黒い龍!→さらに白い龍も!!という、アニメーション的な効果が体感できると、さらに楽しい。巻11の詞書の最後が「~をくりとどけて」と、連用形止めになっていたのが、いまの人形浄瑠璃の詞章みたいだった。

 『山中常盤物語絵巻』と『堀江物語絵巻』も1場面だけチラ見せあり。『湯女図』『官女図』など、短い時間だったが又兵衛ワールドを堪能した。

 このあと、新幹線「ひかり」で熱海から京都に向かい、高槻市泊。
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2014年10月@東京:高野山の名宝(サントリー美術館)

2014-10-16 22:37:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 高野山開創1200年記念『高野山の名宝』(2014年10月11日~12月7日)

 平成27年(2015)、空海が高野山を開いてから1200年を迎えることを記念し、高野山に伝わる空海の遺品や高野山開創に関わる宝物を紹介する展覧会。

 この日は、昼から熱海のMOA美術館を見て、さらに新幹線で西に向かう予定を立てていたので、早めにサントリー美術館に向かう。東京ミッドタウンの店舗がオープン(11:00)する前の入館方法を初めて体験。美術館の入口には、すでに長い列ができていた。展覧会初日から大入りの予感。

 会場冒頭には、お顔を斜め右方向に向けた弘法大師像(彫刻)。「萬日大師」と呼ばれる室町~桃山時代の尊像で、いくぶん女性的な温顔である。入ってすぐ、『聾瞽指帰(ろうこしいき)』が目にとまる。2011年に東博の『空海と密教美術』展でも見ているので、それほど久しぶりではないが、やっぱりいいなあ。巻頭から2メートルくらいしか開いていないが、書き始めの異様な力の籠り具合から、だんだんスピードに乗っていく感じが、交響曲の出だしを思わせる。

 それから絵画史料。『四社明神像』は男神1、女神2、童神1の構成で、もともと高野山の鎮守は丹生明神と高野(狩場)明神だったが、北条政子が気比と厳島を加えたという。へえ、なぜ北条政子が厳島明神を?気になる。『高野大師行状図絵』は弘法大師の入唐の場面で、青海原の波が美しくも荒い。筵(むしろ)旗のような帆を立てた船の姿も興味深い。鎌倉時代の『山水屏風』は珍しいなあ。第三扇と四扇に描かれた、谷間から湧き上がる雲の描写が面白い。あたりに稲光も散っているようだ。

 仏画では、鎌倉時代の『大日如来像』。小さな花のレイを首にかけている。青と緑の蓮華座という寒色中心の配色が、たぶん宋風モード。肉身のピンク色のぼかしを引き立てている。桃山~江戸時代の大きな『両界曼荼羅図』は、描き表装がおしゃれだと思ったのだが、図録の写真には表具が載っていなくて残念。なお、この展覧会、絵画も仏像も工芸も、60点ほぼ全てが高野山金剛峯寺の所蔵品である。すごい!

 仏像はまず、青い髪を高く結い上げた金色の大日如来像(平安時代・9世紀)。もと西塔の中尊で、高野山に残る最古の本格的彫刻だという。高野山の出開帳には、いつもお出ましになる仏様だ。のっぺりした印象になることもあるのだが、今回は照明がすごくいい。それから、快慶工房の四天王像。青年コミック的な、マッチョな「暴力性」が横溢している。持国天は邪鬼の顔を踏んづけているし。快慶銘を持つ広目天像が、やはり造形的には最も優れているという。うん、左(筆を持つ側)からの横顔が好き。

 そして、階段を下りていくところで、おお~と息を呑んだ。正面に、得体の知れない大きな仏画。真っ黒な悪魔のような存在が、赤い三つ目と口を光らせ、こちらを睨んでいるのだ。有志八幡講が所蔵する『五大力菩薩像』(画幅)のうちの「金剛吼菩薩像」である。怖い。古い特撮ドラマのボスキャラのようで、凄まじく怖い。その「金剛吼菩薩像」を静かに威圧しているのが、前景の孔雀明王坐像。いいなあ。赤と黒の背景に映えるし、少し見上げるくらいのステージにいらっしゃるのもよい。

 こんな調子で、あとどのくらい宝物が続くのだろう、と所用時間が気になり、次の展示室を覗いてみる。すると、ここ(3階)はフロア全体を大きく使って、不動明王と八大童子をじっくり見せる構成だと分かった。それなら、少し時間に余裕がありそうなので、11時から6階ホールで始まるという声明を聞きに行く。大きなスクリーンに高野山のイメージビデオを流しながら、6人ほどの僧侶が20分くらい声明を実演してくれた。観光客誘致とか、記念の年に向けての資金集めとか、いろいろ目算はあるんだろうなあ…。

 再び展示会場に戻ってくると、前日、夕食&呑みに付き合ってくれた友人が来ていた。すごい、すごいと言い合いながら、孔雀明王像、八大童子像を鑑賞。八大童子像は、やはり赤と黒を基調にした展示室に、不動明王坐像を中尊として、左右に半弧を描くように四体ずつ並ぶ。向かって右辺は、右端(外側)から矜羯羅、指徳、制多迦、恵光童子。左辺は、左端から、阿耨達(龍に乗っている)、清浄比丘、恵喜、烏俱婆伽童子。八大童子像は、何度か見ているが、展覧会によって並べ方が一定していないように思う。ただ、視線を右に向けているグループと左に向けているグループが漠然とあり、今回は、右辺のグループはさらに右を、左辺のグループはさらに左を見ているように(したがって空間が開けていると)感じた。

 どの童子も、見る位置によって表情が細やかに変わる。私は、玉眼の強い視線を真正面から受け止めない角度が好きだ。静謐で理知的な表情が垣間見える気がする。このまま「参籠」していたい至福の空間だが、次の予定があるので、友人の「(台風に)気をつけて」の声に送られて、会場を後にした。
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2014年10月@東京:東山御物の美(三井記念美術館)

2014-10-15 23:01:38 | 読んだもの(書籍)
三井記念美術館 特別展『東山御物の美-足利将軍家の至宝-』(2014年10月4日~11月24日)

 足利将軍家の絵画・茶器・花器・文具などのコレクションを、足利義政が山荘を営んだ東山にちなんで「東山御物(ひがしやまごもつ)」という。この言葉を覚えたのは、2004年4月17日~5月16日に根津美術館で開催された『南宋絵画』展のときだと思う。私はこのブログを2004年の5月21日から書き始めていて、残念ながら同展の感想は残していない。

 展示室1~3は工芸品。冒頭に片足を上げた鴨のかたちをした『古銅鴨香炉』。大きさは本物のカモくらいある。目の位置がちょっと変。次の唐物大茶入『銘・打曇大海』もおおぶりで、気持ちがくつろいでよい。この2点は初めて見たような気がする。出品一覧に所蔵者が記載されていないところを見ると、個人蔵なのだろうか。その後は、あ、見たことがある、という名品が続く。東京国立博物館の『馬蝗絆』、大阪市立東洋陶磁美術館の『油滴天目』も、わざわざのお運び。いや、今ではばらばらに散ってしまった東山御物を、こうして同時に眺め渡すことができるのは、貴重な機会だと思っている。

 絵画は、展示室4と7。冒頭に僧形の足利義満像(鹿苑寺蔵)。もう少し憎々しいイメージがあるのだが、垂れ目・垂れ眉の困り顔をしている。隣りに(伝)徽宗筆『鴨図』。足のデカい鴨で、言ってよければ、野卑な印象。それから大和文華館の『雪中帰牧図』2幅。これを、おなじみの、と思ってしまうのは、私が行動的な美術ファンだからで、東京では見る機会の少ない名品である。続いて、東博の『紅白芙蓉図』2幅。この2幅を、白から紅へ変化する酔芙蓉と思って眺めたことはなかった。東博の『梅花双雀図』と五島美術館の『梅花小禽図』は、もともと梅樹を中心とした大きな画幅から裁ち切られたものと推測されている。

 赤い官服(男装)の『官女図』(元時代)は個人蔵らしいが、ときどき見る。関西で見た記憶が多いような気がする。このへんまでは、彩色画が多く、きれいで(まあまあ)写実的で、分かりやすい。反対側の壁に移ると、梁楷筆および(伝)梁楷筆の墨画作品が、だだ~っと並んでいるのだが、これが将軍家の名宝?というヘンな絵ばかり(褒めている)。『布袋図』(香雪美術館)も『寒山拾得図』(MOA美術館)も『六祖破経図』(三井記念美術館)も、くしゃくしゃしたおじさんが乱暴な墨線で描かれているだけで、どこが美術品なの?と、むかしの私なら思ったことだろう。この汚い絵に魅力があると分かっていた足利将軍家の審美眼、なかなか凄い。

 展示室5(工芸)を挟んで、絵画続き。(伝)無準師範筆『達磨・政黄牛・郁山主図』3幅(徳川美術館蔵)は、呆気にとられて、笑ってしまった。特にマッチ棒みたいな驢馬に乗った郁山主の図が好きだ。無準師範と聞くと、偉いお坊さんで、雄渾で格調高い墨蹟しか思い浮かばなかったので、まさかのギャップ萌え。牧谿筆および(伝)牧谿筆の『布袋図』(京博)、『羅漢図』(静嘉堂文庫)、『老子図』(岡山県立美術館)(鼻毛の老子)も、赤塚不二夫を思わせるような、ヘンなおじさんばかり。しかし、梁楷にしても牧谿にしても、こんなふうに画家のイメージがはっきりまとまるほど、南宋絵画をまとめて見られる機会はめったにないので、やっぱりこの展覧会は素晴らしい。

 ふわふわした雰囲気の玉澗筆『洞庭秋月図』(文化庁所蔵)も好き。相国寺・普広院伝来の陸信忠筆『十六羅漢図』は、暗く茶ばんだ背景に、羅漢と従者・動物だけが、けばけばしいほど鮮やかな彩色で描かれている。見た記憶のないものだったので、慌てて相国寺(承天閣美術館)の「名宝紹介」のページを見に行ったら、16幅全ての画像が載っていた。展示に出たことあるのかなあ。まとめて見てみたい。

 ちょっとこわもての蔡山筆『羅漢図』。東博本は見たことがあるが、展示替え後は、個人蔵の別図が出る。あと、東山御物=唐物(中国物)と思っていたので、高麗仏画の『水月観音図』(伝・呉道子筆ではあるけれど)があったのは奇異な感じがしたが、足利義政が高野山金剛三昧院に寄進したものと確認できるそうだ。

 絵画は展示替えが多いので、どのタイミングで見にいくかは迷うところだろう。「秘仏」ならぬ「秘宝」に近い『桃鳩図』は、11/18~24展示だが、札幌在住の私は無理。あと10年か15年先に再び参観の機会が訪れますように。そのときは日本全国どこへでも駆けつけられる体制でありますように。
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京都・鍵善良房の菊寿糖

2014-10-14 22:14:46 | 食べたもの(銘菓・名産)
京都の鍵善良房は、高校2年生の修学旅行で、京都通の友人に教わった和菓子屋さん。

お店でいただく夏の「くずきり」、冬の「きび餅ぜんざい」(以前は「粟ぜんざい」だった)もよいが、いちばん好きなのは「菊寿糖」。和三盆を固めただけのシンプルなお干菓子で、類似品は全国にいくらでもあるのだが、私は鍵善の「菊寿糖」がいちばん口に合う。

デパートの物産展などにもあまり出ないので、京都に来たとき、時間があれば、祇園のお店で「菊寿糖」を買っていく。自分のおやつ用だから、立派な化粧箱は要らない。小さな紙箱入りを1箱か2箱。丁寧に手提げの紙袋に入れてくれるので、それも要らないのに、と思って見ていたら、紙袋の図柄が新しい。おや、かわいい、と思って、しげしげ眺めてみたら、さりげなく「山」の落款。あっ、これは山口晃画伯の?!



いまさらのように鍵善のホームページを調べたら、2014年6月7日に「鍵善の紙袋の一部が新しいデザインになりました」というお知らせが掲載されていた。え~先月も買いものしたんだけど、気付かなかったな。「順次変更」とあるから、本店の袋が変わったのは最近なのだろうか。

でもこうなると、古い紙袋を取っておけばよかった。鍵をデザインしたロゴマーク(荷印)入りだった筈。
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2014年10月@東京→関西”台風”旅行:行ったものメモ

2014-10-14 20:58:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
本格的な展覧会シーズン到来。西にも東にも行きたいところが山ほどある。もともと、この三連休は出かけるつもりだったが、直前の金曜日に東京で仕事が入ってしまった。そこで、また「出張打ち切り」を願い出て、周遊してくる計画を立てた。

10/10(金)都内で仕事のあと、三井記念美術館『東山御物の美』(ナイトミュージアムでゆっくり)
10/11(土)サントリー美術館『高野山の名宝』→東京を離れ、快速アクティで西行→MOA美術館『又兵衛「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」』展→さらに西へ(京都のホテルが取れなかったので)高槻泊。
10/12(日)水無瀬神宮に参拝。京都国立博物館『国宝 鳥獣戯画と高山寺』(なんだ、あの混み方は!)→大津市歴史博物館『三井寺 仏像の美』→そして、翌日の「若狭おばまの秘仏めぐり」バスツアー参加のため、小浜に向かおうと思っていたら、JR湖西線のホームで「明日は台風接近に伴い、午後2時頃から間引き運転を実施し、午後4時以降、在来線全線で運休します」という、耳を疑うアナウンス。ということは、バスツアーに参加できても、宿泊予定の神戸にたどりつけず、14日朝の飛行機に乗れない危険性が…。やむなく小浜行きを断念し、この日の宿泊先を京都市内に変更。
10/13(月)京都国立博物館を再訪→承天閣美術館→午後2時までに観光を切り上げて移動。三ノ宮に到着したときは、かなり本格的な大雨。
10/14(火)台風の進路を心配したが、無事、神戸空港8:05発の便で札幌に帰着し、そのまま出勤。新千歳の外気温が「7度」にはびっくりした。週末、時には汗ばむ気候だったのに。

個々の展覧会のレポートはまた後日。

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秋の花

2014-10-09 20:47:22 | なごみ写真帖
9月、横浜市金沢区の称名寺の庭園で見たヒガンバナ。大好きな秋の風物詩である。

いま住んでいる札幌では、ヒガンバナを見ない。調べてみたら「寒さの厳しい北海道では、自生・植栽を含めて、寒害の影響で、生き続ける事が難しい」のだそうだ。



10月、これは札幌で、シュウメイギクを見つけた。見事な肉厚の花びら。耐寒性があるので、北国でも元気に育っている。



明日から、仕事で東京へ。続く三連休は、また大旅行を企てているのだが、大型台風と鉢合わせになりそう。予定どおりに帰ってこられなかったら、その時はその時。

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絵画史料の読み方/江戸名所図屏風を読む(黒田日出男)

2014-10-07 23:19:03 | 読んだもの(書籍)
○黒田日出男『江戸名所図屏風を読む』(角川選書) 角川学芸出版

 昨年暮れに出版された『豊国祭礼図を読む』に続く「近世初期風俗画に歴史を読む」シリーズの2冊目。前作がむちゃくちゃ面白かったので、2冊目は即買いで読み始め、今回も手に汗握る謎解きのスリルを楽しんだ。ただし、前作ほどアクロバティックな華やかさはなくて、むしろ絵画史料の研究者となるための謹厳な入門書の趣きを、ところどころに感じた。

 著者の問題設定は、せんじ詰めれば、こうした絵画史料が、いつ、誰によって、何のために作られたかに尽きる。小手調べに取り上げるのは、歴博本『江戸図屏風』。右隻に広々とスペースを取ってイノシシ狩りの様子が描かれていて、赤い傘に顔を隠した人物が徳川家光だという説明を読みながら、興味深く眺めた記憶がある。ブログにレポートし落としているけど、たぶん2007年の企画展『西のみやこ、東のみやこ』のときではないかな。

 著者は屏風の注文主を松平信綱と考えるが、近年、注文主を酒井忠勝とする異説が出た。そこで、この異説が成り立ち得るか、また自説を補強する別の証拠がないかという観点から、屏風に「描かれたもの」を再検討する。細心の注意を要するのは「家紋」の扱い。家紋は、しばしば特定の人物を表象するという、近世絵画読解の基礎をまず教わる。

 それから、本書の中心テーマとなるのが、出光美術館本『江戸名所図屏風』。最近まで東京在住だった私には、おなじみの作品で、2009年の『やまと絵の譜』、2012年の『祭 MATSURI』などで見ている。個性が、というよりアクが強くて、一度見たら忘れられない屏風だ。

 はじめに制作年代(景観年代)の決定に挑む。一般には「寛永期(1624-1645)」の作と見られている作品だが、著者はこれを正保(1645-1648)・慶安(1648-1651)年間から明暦3年(1657)の大火までに引き下げる。

 論拠は、まず風俗。「遊女歌舞伎」(寛永6年に禁止)と見られていたものが、俳優の髪形に「中剃(なかぞり)」があることから、「若衆歌舞伎」であると指摘する。より明瞭に景観年代の上限を規定するのは建築物である。著者は、これまで見落とされていた「浅草三十三間堂」の存在を指摘し、その創建年=寛永20年(1643)をひとまず景観年代の上限に設定する。浅草には、京都の三十三間堂を模した建築があって、元禄年間に深川に移築され、類焼・再建を繰り返しながら、明治初年まで残っていた。へえ~知らないことは多いなあ。そして、もしかしたら、まだ見落とされている建築が絵の中にあるかもしれない、と思うと、わくわくする。

 景観年代の下限を決定するのは難しいが、一例として、著者は「運送手段としての馬と牛」をあげる。運送手段としての牛は、特定の時期(寛永13年、江戸城外堀工事の際)に江戸へ導入された。歴博本『江戸図屏風』には、多数の騎馬、駄馬、乗掛馬が描かれているが、牛の姿はない。わずかに1頭だけが、農村風景の中に描かれているが、都市における物資の運搬は、馬でなければ人力で行われている。一方、出光本『江戸名所図屏風』には、荷馬・乗掛馬9頭に対し、牛3頭が描かれている。このことから、『江戸名所図屏風』は「牛の姿がある程度見られるようになった時期」の景観を描いていると著者は考える。なお、明暦の大火以降の江戸には「大八車」が登場する。19世紀の江戸を描いた『熈代勝覧』では、馬や牛車を押しのけて、大八車が活躍していた。なるほど!

 後半では、出光本『江戸名所図屏風』の注文主の特定に挑む。注目すべきは、海辺の武家屋敷「向井将監邸」である。絵師は、金雲をうまく使って周囲の風景を隠し、「向井将監邸」だけを際立たせている。そこには、注文主の意志が働いていると考えてよい。向井氏は伊勢国出身の水軍一族で、徳川秀忠に仕えた向井将監忠勝は、巨船「安宅丸」の造船と管理にたずさわった。安宅丸って三浦半島の三崎で造られたのか、等々、気になる新知識をいろいろ仕入れた。

 向井忠勝の嫡流は、いろいろあって断絶してしまい、海辺の上屋敷は正保4年に没収されて、他人のものとなってしまった。そこで著者は、この屏風は、向井忠勝の傍流であり、画面にあふれんばかりに描かれた「かぶき者」に共感を抱く人物が「虚構の向井将監邸」を描かせたものとして読み解く。ここがいちばん面白いので、敢えてさらっとした紹介にとどめよう。やはり「家紋」が重要な意味を持っていることは付言しておく。

 最後になるが、「プロローグ」で、著者が「若い人たちに」と記した箇所が印象的だったので、書きとめておきたい。博学である必要はない。大切なのは、どんな表現にも反応する柔軟な視線と探究心である。そして、疑問点については、それぞれの専門家の仕事に真摯に学ぶ姿勢が肝心である。気持ちのいいアドバイスだなと思った。結果的に、いつの間にか博学になっていくだろう、という言葉も含めて。
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この非合理的なるもの/感情の政治学(吉田徹)

2014-10-06 23:29:49 | 読んだもの(書籍)
○吉田徹『感情の政治学』(講談社選書メチエ) 講談社 2014.7

 政治学は社会科学の一分野である。「科学」というからには、どんな問題でも、十分に合理的に考え、捉えることができれば、適切な「解」を見出すことができるという確信が前提になっている。しかし、現実はさほど単純ではない。ということで、例にあがっているのが(嬉しいことにw)『スタートレック』シリーズ。理知的で合理的なスポック博士の指摘が、必ずしも正しい結果をもたらすとは限らない。さまざまな情報が飛び交い、主張や意見の行き違いが生じ、妬みや恨みも生まれる中で、限られた時間内で乗組員の感情を機敏に把握し、説得や懐柔という手段を通じて、船内の調和を図っていくのは、むしろ直感に優れた直情型のカーク船長の得意とするところ。それこそが政治である、って、たいへん分かりやすい比喩だ。

 「私たちは、一人一人が合理的に正しく考え、行動すれば世の中は良いものになるという思考にあまりにも慣れ過ぎてはいないか」と著者は問題提起するのだが、この「私たち」は、アカデミズムの世界に生きる政治学者だけではないか、とちょっと思った。ともかく、本書は、いくつかのキーワードをもとに、どのような「感情」が、人々の政治参加の駆動力となるのかを考えている。

 「化」の章では、投票行動における「選好」が、どのように作られているかを調査する。人々は、各党の政策を合理的に判断して決めているわけではない。家族やカップル、友人など「親密圏」の強い影響を受けながら、政治意識を形成していく。興味深いのは、アメリカの子供たちが、大統領を理想化することを通じて、母国の政治システムに信頼を置くようになるのに対して、日本の青少年は政治家にマイナスの印象を抱いている割合が高い。だから、日本の政治をよくするには、まず家庭内で政治をシニカルにではなく、好意的に論ずることだ、と著者は言うのだけれど、ううむ、現状では無理がありすぎる。

 「間」の章では、1980年代以降に台頭した新自由主義と比較しながら「政治的恩顧主義」を再考する。まず、新自由主義の最大の弊害は、格差の拡大や権威主義でなく、社会全体を他人に対する不信を前提に組み立てる「新自由主義モード」をもたらした点にある、と喝破する。これに対して、個人的な関係を基礎とし、政治的な支持の見返りに何らかの報酬を求める「政治的恩顧主義」は、前近代的な悪習と見做されがちだが、パトロンとクライアントには、長期的かつ持続的な関係が構築される。互いが互いを必要とすることによって、平等主義的な関係が形成され、共同体の強度を高めることもあり得る。

 「群」の章は省略。「怖」の章は、恐怖(平等な負の感情)が共同体の基礎となることを説く。同時多発テロに対する「不安」、経済不況や雇用不安に対する「苛立ち」「憤り」は、人々を集団化し、極端に暴力的な行動にさえ駆り立てる。このことに対して著者の考える処方箋は難しいのだが、情念を捨てて理性的になれ、と呼びかけるのではなく、情念の存在を踏まえた政治のあり方が模索されなければならない、とする。ここでホッブズが参照され、「平和が実現されて恐怖が消え去るのではない。(略)恐怖があるから人間は合理的に行動し、自分の欲求(※平和)を達成することができるのだ」と説明されているところは、正直、かなり難しかった。

 最後に「信」の章は、日本が他の先進国に比べて、異様に「増税しにくい国」である理由を、日本が政治に対しても、他人に対しても信頼を寄せない「高度不信社会」であるから、という説明から入っていく。この章は、頻繁に統計調査が参照されていて、とても興味深い。世界各国の調査によれば、福祉の度合いと他人への信頼度には明らかな相関関係がある。高度な福祉国家である北欧諸国は、国家に対する信頼も、他人への信頼度も高い。私は、今すぐ日本が「高度な福祉国家」になれるとは思わないので、「中程度の福祉国家」でいいんじゃないかと思うけれど、著者のいう、「他人の自由が増えることは、自分の自由が減ることを意味しない」くらいのコンセンサスを認め合う社会にはなってほしいと思う。
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民主政権崩壊以後/歴史を繰り返すな(坂野潤治、山口二郎)

2014-10-04 23:25:02 | 読んだもの(書籍)
○坂野潤治、山口二郎『歴史を繰り返すな』 岩波書店 2014.8

 近代日本政治史を専門とする東大名誉教授の坂野潤治先生(1937-)の著書は、この10年くらい、私の愛読書リストに入っている。政治学者で今年3月まで北海道大学にお勤めだった山口二郎先生(1958-)の著書は、最近、注意して読むようになった。何度か講演も聴かせていただいたし、ツイッターのフォローもしている。そのお二人の対談というのは、なんとなく嬉しい。

 冒頭では、山口先生が北大を去られるにあたって、研究室の片付けをしていたら、2010年4月(鳩山政権の末期)坂野先生からもらった手紙が出て来た、というエピソードが語られているので、「対談」という形式を公にするのは初めてでも、専門分野の違いを越えて、お二人には長い交友関係のあることが分かる。

 民主党政権の失敗について、坂野氏は「山口さんも僕も、野党時代の民主党と結構長いこと付き合ってきて、かなりな手応えを感じていたうえでの政権奪取だったから、その分だけ失望も早く、また大きかった」と振り返る。そして「同じ罪を背負ったもの」として、それぞれの対処のしかたを説いている。山口先生には、近年の西欧社民の努力の紹介から「中福祉、中負担」論に援護射撃を行うことを勧め、自分は日本政治史を踏まえて発言し続けることを課す。トロツキーの「別個に進んで一緒に撃て」というのはいい言葉だな。そして、政治学者が経済音痴になり、経済学者が政治音痴になったのが、今の日本の「学界」の弊だ、という指摘を、重い共感をもって受けとめる。

 これから始まる「苦節十年」(憲政会の政権返り咲きを踏まえる)を待ち続ける忍耐力が自分にはある、と坂野氏はいうのだが、山口先生によれば、民主党の政治家はまだ打ちひしがれたままで、次に向かう態勢ができていないという。情けない。なぜ戦後の政党は、自民党を除き、かくも脆弱になってしまったか。

 という話を枕に、まさしく今の政治状況を考えるために「戦後」を振り返り、その対比として「戦前」の政治をおさらいする。「戦後民主主義」は、安倍首相がいうように「脱却」すべきものではないけれど、100パーセント理想的なものでもなかった。坂野氏は、戦後民主主義は平和ばかり言ってきたから駄目なんだと思ってきた、という。「平和」を唱えるだけでなく、「平等」の問題にもっと取り組むべきだった。

 格差是正を重視する社会民主主義がなぜ流行らなかったかは、本書の後半で詳細に検討されているが、自民党がつくった長期安定雇用の仕組みによって「ある種の平等」が達成されたことが、理由のひとつとされている。その反面では、自由に対する抑制が、企業社会における平等化と表裏一体であったことは否めない。このように「平和」「平等」「自由」などの諸価値は、必ずしも歩調をそろえて実現されるわけではなく、互いに相反する場合があることを、歴史は教えてくれる。

 それから「政治エリート」の問題で、ドイツの指導者はたいへんな悪行をしたけれど、個人としては意図が完結していて堂々と責任をかぶった。それに比べて、日本の戦犯たちは「反体制エリート」だから責任意識がない、という坂野先生の指摘は興味深かった。国家を動かす立場にあるものは、国際常識に反することはしないとか、全体を見渡して多大なコストは払わないとかいうマネジメント能力があってしかるべきだが、そういうエリートが1930年代には失われてしまった。かろうじて残っていたのが宮中、天皇側近だった、というのは、今の状況に似すぎている。実際、今の安倍首相も「反体制エリート」だとお二人は見ている。「反体制」は庶民の支持を得やすいが、国の将来を大きく誤る危険性が高い。

 とにかく全編おもしろかった本なので、うまくまとめられないが、最終的にお二人は「国内における社会改良」と「外に対する国際協調」という二本の柱を立てて安倍政権と対決していくことを宣言する。しかし、「国際協調」の最も肝要な部分は「日中友好」だという坂野先生の主張は、いまの日本社会に受け入れられにくいだろうなあ。残念ながら。

 それから「反体制エリート」ではなく「対抗エリート」を育てる必要性。その意味は、明治新政府を作った人たちは、体制エリートでも反体制エリートでもなく、真の「対抗エリート」だったという一言が示している。逆にいうと、山口先生が自分の同世代(私もそうですが)について、会社に入って30年もすると、世の中に対する問題意識がなくなって、ひたすら成長戦略ばかり論じている、と語っているような状況は危うい。

 最後に、坂野先生の短い「あとがき」は、アカデミズムにおけるお二人の「異端」な立場を語っていて感慨深かった。これからも、それぞれの著作に刺激を受けながら、ご活躍を見守りたい。
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君子の交わり/女子の人間関係(水島広子)

2014-10-03 22:02:51 | 読んだもの(書籍)
○水島広子『整理整頓 女子の人間関係』 サンクチュアリ出版 2014.4

 「女子校育ち」の私は、10代、20代の頃、男性が苦手だったはずなのに、気がついたら、どちらかというと「同性(女性)が苦手」にシフトしていた。どうしてこうなったのか、自分でもさっぱり訳が分からない。本書のオビの背表紙側には「女性の9割は”女”のことが苦手?」というキャッチコピーが踊っていて、え?ほんとかしら、と疑りながら読み始めた。結局「9割」という数字の根拠は、本文中にはなかったような気がする。

 しかし、全体としては共感できる部分が多かった。まず冒頭に、いわゆる「女」の嫌な部分を挙げてみる。裏表があって、男性の前では「かわいい女」を演じたがるとか、すぐに群れたがるとか、自分とは違う意見やライフスタイルを持つ相手を尊重できず、「自分が否定された」と感じ、そういう人を「敵」とみなしやすい。自分の「敵」はとことん感情的に攻撃する、等々。

 このような、いわゆる「女」の嫌な部分を、本書ではカッコつきの「女」で表現する。うまいな、この手法。「これは女性そのものを意味するのではなく、いろいろな女性に見られる、一連の困った特徴のことを呼ぶと理解してください」という。

 そして、さまざまな個別ケースにおいて、どうすれば「巻き込まれず」「自分を守り」「『女』を癒す」ことができるかを考える。最後の「『女』を癒す」というのは、困った相手の中の「女」であると同時に、自分の内面で疼く「女」の癒し方でもある。全体として、自分の「女」度を下げたほうが生きやすく、女性のエンパワーメントになる、という結論に至るのだが、「女」にカッコをつけておくことで、現実の女性を貶めたり、女性らしさを全否定して男性のように生きることを奨めているわけではない、という言い訳がつけやすくなる。よく考えたものだ。

 私は、なぜ「女」(女の嫌な部分)が生まれるかという説明を、とても興味深く読んだ。伝統的に、そしていまだに一般的に女性は「男性から選ばれる性」である。選ばれた人がいれば、一方に選ばれなかった人が必ず存在する。誰かがほめられるということは、自分はほめられない、という相対評価の世界に女性たちは生きている。それだから女性たちは、「自分がどうしたいか」ではなく「どうすれば相手に好かれるか」という基準を外れることができない。つねに相手の顔色を読んだ行動を求められていることが、「自分も察してもらって当たり前」「察してもらえないと腹を立てる」という態度につながる。これは、かなり納得のいく分析だと思った。

 そして、この「女」の行動・思考パターンというのは、ある種の男性、「選ばれる側」に属する、社会的に弱い立場の男性にも共通するものだと思う。たとえ選ばれなくても、あなたの価値は揺るがない、ということをしっかり伝え、相手を否定しないこと、安心と信頼を与えることが、コミュニケーションの要諦であることは、たぶん男女を問わないだろう。いや、日本社会以外では、少し違うかもしれないな。

 「自分がどうしたいか」ではなく「どうすれば相手に好かれるか」を基準にするというのは、いかにも日本人の好む「美徳」である。私はむしろ、自分に「自分の領域」があるように相手には「相手の領域」がある、という原則が好きだが、多くの日本人には、「冷たい」と見做されそう気がする。
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