付け焼き刃の覚え書き

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「ライトノベル・スタディーズ」 一柳廣孝/久米依子 編著

2014-03-12 | エッセー・人文・科学
 ライトノベルと一般に呼ばれている小説群を題材にさまざまな角度から考察を加えた論文集。
 ライトノベルの歴史とか、海外に紹介されるときの翻訳の工夫から受け入れる相手国の文化、ライトノベルとして刊行された作品が一般向けにリライトされたときの修正点、マルチメディア化による再創造等々、ジャンルを越境するラノベの可能性やより深い作品読解を大胆に提示しようという意欲的な試み。
 ただし、雑学的な読み物としてではなく、論文として評価した場合、ちょっと合格点はつけかねます。各論は面白いけれど、総論があやふやに思えてなりません。

 つまり、そもそも「ライトノベルとは何か?」という根底の定義がきちんとできていないから。
 確かに「中学生や高校生といった青年期の読者を対象とし、作中人物をマンガやアニメーションを想起される「キャラクター」として構築したうえで、それに合わせたイラストを添えて刊行される小説群」と定義はしているのだけれど、した傍から『「ライトノベル」は、もはや成人読者向けに書かれた「キャラ立ち小説」との差異が折出できないような作品となっている可能性も否定できないのである』とか、「ラノベ論に適さない」ラノベもあると言いだしたり、少女向けのレーベルはこの定義に合わないからラノベに近づいているけれど別物だと弾き、その一方でお約束の展開でキャラクター中心の文芸は歌舞伎だって浪花節だって講談だって立川文庫だって昭和の娯楽映画とかサラリーマン小説とかにもあったけれど、「手触りが違う」ことを理由に関係性はないと言い切ってしまう。

 日本の文芸というか物語を語る流れの中で位置づけようとするのではなく、ライトノベルは特別なサブカルチャーであって欲しいという願望を前提にしているからきれいにまとまらない。
 「鳥は空を飛ぶものであるとして考察する。飛ばない鳥もいるし、鳥で無くても飛ぶ生き物はいるが、本論ではそれは鳥とみなさない」というようなもの。
 今日ライトノベル的と呼ばれるものの特徴の一部を歌舞伎など日本古来の作品群にも見ることもできるとわざわざ指摘するならば、「ご都合主義の偽史語り」をしたくないと一蹴するのではなく、どこがどう違うのか最後まで説明して欲しいわけです。
 歌舞伎に限らず、日本神話から江戸の艶本まで、作者や出版元がイラストにこだわるところとか、女装男子、義妹萌え、異能バトル、戦うヒロイン、名作のエロパロと今のラノベにあるようなものは一通りあって、それが江戸から明治、大正、昭和と続き、大衆文学から映画、テレビドラマへと波及していく流れが見受けられる中で、ライトノベルがそれらとは別に派生してきたというのであれば、それはどう違うのか、どういう位置づけになるのか、そこがいちばん研究としては要じゃないのかな。

 そもそも「ライトノベル」という言葉は、80年代にソノラマ文庫やコバルト文庫を代表とした、表紙やイラストにマンガ家やアニメーターによるイラストがふんだんに盛り込まれている文庫本を『ソノラマ・コバルト』と呼んでいたのを一言でまとめようとして「ライトノベルと呼ぼう」ということにしたのが広まったものだと聴きました(自分はNiftyには参加してなかったので当事者よりの伝聞)。
 なので、「少女小説はラノベではない」とした段階で、ぜんぜん勉強してない著者だなーと諦め。

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