藤沢秀行・米長邦雄 平成11年 祥伝社文庫版
前回のつづき。
というのは、先崎八段のエッセイのなかで、藤沢名誉棋聖の訃報について書かれてる一節(平成9年5月)があったんで、何かなかったかなと本棚から探し出したもの。
この文庫は、藤沢秀行名誉棋聖(囲碁)と米長邦雄永世棋聖(将棋)の対談。まえがきによれば、二日二晩にわたって語り合ったもの。副題は「人間的魅力の研究」。
(もとの単行本は平成9年3月「勝負の極北」として出版された。)
同じまえがきで、米長は「私は読者の代表としてさまざまな質問を発してみました。神さまが、藤沢秀行の何をよしとしているのか、少しでも引き出すことに成功していれば幸いです。」
神さまが云々というのは、藤沢秀行の周囲には人が集まってくるんだけど、聖人君子かというと違う、「飲んでは禁句を連呼し、博打を打っては大借金を作る。そのうえ、幾人もの女性と親しく付き合って、子どもが七人。一般的な常識からみれば、やりたい放題の人生です。それでいて、碁石を持てば天下一品、六〇を超えてタイトルを手にし、二度のガンにも負けない」ということから、「これはもう『神さまに好かれている』としか思えません」と米長が評していることから始まっている。
ちなみに、先ちゃんのほうは、「藤沢名誉棋聖というのは、私より上の世代の棋士―すべての碁打ちと将棋指し―にとってカリスマ的存在だった。無頼な私生活があまりにも有名で、棋士として異形であったかのように錯覚されがちだが、その実、棋士としては完璧な存在だった。求道者と勝負師、棋士という人種があわせ持つややもすれば矛盾するこのふたつの要素を、最高に表現しつくした人生だったと思う。それにしても、寒空の競輪場で、いつもトボトボ歩いていたオジサンが、実は世界中の囲碁関係者から最大級にリスペクトされていた人だなんて、なんと素敵なことだろう。碁打ちは、よい先輩を持って仕合わせである。」と讃えている。
本書では、5歳のときから72歳までずっと碁を打ってきて、いまだに碁がわからない、とか言うとこがカッコいい。「碁の神さまがわかっているのが一〇〇だとしたら、私にわかっているのは、せいぜい五か六か、あるいはもっと下です」とか。
でも、そのいっぽうで、四文字ことば(オの字ともいう)が連発されてたりするんで、ちょっと簡単に引用はできないですね(困) 読めばわかりやすいんだけど。
前回のつづき。
というのは、先崎八段のエッセイのなかで、藤沢名誉棋聖の訃報について書かれてる一節(平成9年5月)があったんで、何かなかったかなと本棚から探し出したもの。
この文庫は、藤沢秀行名誉棋聖(囲碁)と米長邦雄永世棋聖(将棋)の対談。まえがきによれば、二日二晩にわたって語り合ったもの。副題は「人間的魅力の研究」。
(もとの単行本は平成9年3月「勝負の極北」として出版された。)
同じまえがきで、米長は「私は読者の代表としてさまざまな質問を発してみました。神さまが、藤沢秀行の何をよしとしているのか、少しでも引き出すことに成功していれば幸いです。」
神さまが云々というのは、藤沢秀行の周囲には人が集まってくるんだけど、聖人君子かというと違う、「飲んでは禁句を連呼し、博打を打っては大借金を作る。そのうえ、幾人もの女性と親しく付き合って、子どもが七人。一般的な常識からみれば、やりたい放題の人生です。それでいて、碁石を持てば天下一品、六〇を超えてタイトルを手にし、二度のガンにも負けない」ということから、「これはもう『神さまに好かれている』としか思えません」と米長が評していることから始まっている。
ちなみに、先ちゃんのほうは、「藤沢名誉棋聖というのは、私より上の世代の棋士―すべての碁打ちと将棋指し―にとってカリスマ的存在だった。無頼な私生活があまりにも有名で、棋士として異形であったかのように錯覚されがちだが、その実、棋士としては完璧な存在だった。求道者と勝負師、棋士という人種があわせ持つややもすれば矛盾するこのふたつの要素を、最高に表現しつくした人生だったと思う。それにしても、寒空の競輪場で、いつもトボトボ歩いていたオジサンが、実は世界中の囲碁関係者から最大級にリスペクトされていた人だなんて、なんと素敵なことだろう。碁打ちは、よい先輩を持って仕合わせである。」と讃えている。
本書では、5歳のときから72歳までずっと碁を打ってきて、いまだに碁がわからない、とか言うとこがカッコいい。「碁の神さまがわかっているのが一〇〇だとしたら、私にわかっているのは、せいぜい五か六か、あるいはもっと下です」とか。
でも、そのいっぽうで、四文字ことば(オの字ともいう)が連発されてたりするんで、ちょっと簡単に引用はできないですね(困) 読めばわかりやすいんだけど。