団鬼六 平成9年 幻冬舎アウトロー文庫版
こないだのつづき。
『棋士・先崎学の青春ギャンブル回想録』の最終章は、「将棋と酒ににじむ昭和の人情“団先生”こと団鬼六を悼む」だったんだが、その団先生の書いたもの。
真剣師というのは、賭け将棋を生業とするひとのこと。
小池重明は、真剣師として「新宿の殺し屋」と呼ばれたりして、ウラ(なんだろうな)の将棋界で最強と言われ、やがて周囲に持ち上げられオモテの世界のアマ名人を二連覇した。
プロにも何度となく勝ったことでも有名。
ただし、人間としては、ムチャクチャ。
アマ名人になったときの本人の回想として、「生活の基盤が何一つないアマ名人でした」って言葉がある。
ちなみに、一度目のアマ名人の東京都予選のときは、三日間とも徹夜で飲んで、そのまま会場に行って、勝ち上がってる。
酒飲んで暴れたり、人妻との駆け落ちは三回してたりするし、苦しくなるとお世話になってるひとの店の金を持ち出して逃げちゃうしで、ひどい。
でも、妙に人に好かれる面があったらしく、知り合いからは金を借りることはできたみたいだけど、返せるはずもない。
そんなわけでだろうけど、強いからって特例でプロ転向を認めてほしいって話がでたときは、却下されてる。
その後に、“子供将棋教室をエサに、寸借詐欺”という報道がなされて、アマ棋界から追放されちゃう。
しかし、平成四年に44歳で死ぬ、直前まで将棋だけは強かったらしい。
ムチャクチャな人の話は、読んでても面白い前に不快だったりすることが多いんだけど、ひさしぶりにこれ斜め読みで読み返してたら、けっこう面白かった。
真剣師ってのは、自分でカネ賭けて指すだけぢゃなくて、金主(賭け金を出すスポンサー)がついて、勝ったら儲けを折半って形でもやってたそうな。
小池重明が最初にやった真剣は、高校生のときに大学生相手だったんだけど、カネがないから同級生にカンパしてもらって、勝ったら出資額に応じた配当をつけて返すって約束で、みごと勝ったんだけど、遊ぶのに使っちゃって、そのうち退学になって、うやむや。最初っからムチャクチャだったんだなって話。
こないだのつづき。
『棋士・先崎学の青春ギャンブル回想録』の最終章は、「将棋と酒ににじむ昭和の人情“団先生”こと団鬼六を悼む」だったんだが、その団先生の書いたもの。
真剣師というのは、賭け将棋を生業とするひとのこと。
小池重明は、真剣師として「新宿の殺し屋」と呼ばれたりして、ウラ(なんだろうな)の将棋界で最強と言われ、やがて周囲に持ち上げられオモテの世界のアマ名人を二連覇した。
プロにも何度となく勝ったことでも有名。
ただし、人間としては、ムチャクチャ。
アマ名人になったときの本人の回想として、「生活の基盤が何一つないアマ名人でした」って言葉がある。
ちなみに、一度目のアマ名人の東京都予選のときは、三日間とも徹夜で飲んで、そのまま会場に行って、勝ち上がってる。
酒飲んで暴れたり、人妻との駆け落ちは三回してたりするし、苦しくなるとお世話になってるひとの店の金を持ち出して逃げちゃうしで、ひどい。
でも、妙に人に好かれる面があったらしく、知り合いからは金を借りることはできたみたいだけど、返せるはずもない。
そんなわけでだろうけど、強いからって特例でプロ転向を認めてほしいって話がでたときは、却下されてる。
その後に、“子供将棋教室をエサに、寸借詐欺”という報道がなされて、アマ棋界から追放されちゃう。
しかし、平成四年に44歳で死ぬ、直前まで将棋だけは強かったらしい。
ムチャクチャな人の話は、読んでても面白い前に不快だったりすることが多いんだけど、ひさしぶりにこれ斜め読みで読み返してたら、けっこう面白かった。
真剣師ってのは、自分でカネ賭けて指すだけぢゃなくて、金主(賭け金を出すスポンサー)がついて、勝ったら儲けを折半って形でもやってたそうな。
小池重明が最初にやった真剣は、高校生のときに大学生相手だったんだけど、カネがないから同級生にカンパしてもらって、勝ったら出資額に応じた配当をつけて返すって約束で、みごと勝ったんだけど、遊ぶのに使っちゃって、そのうち退学になって、うやむや。最初っからムチャクチャだったんだなって話。