ウォルター・アイザックソン 井口耕二訳 2011年10月 講談社I・II巻
ふぅ、やっと読めたよ、この本。11月のあたまに買って、しばらくおいといて、ボチボチ読んでたんだけど、なんかうまく読み進めなくて、時間かかっちゃった。
それほど、おもしろい!って感じの本でもなかったし、私にとっては。
なんでこんな時間かかるんだろうって、途中で思い始めたんだけど、登場人物が多くて、外国人の名前がたくさん出てくると、これ誰のことだっけ?って、リズムが止まっちゃうんだよね。
それは半分冗談だけど、あとは、なんだか読んでるときに、なんでもなさそうなとこで、はたして俺だったらどうなんだろう?とか、目で活字追うのやめて、いろいろ夢想・空想しちゃうことが多かった、この本に関しては。
で、なんでこの本を読んでみようかって思ったかっていうと、翻訳者のひとがラジオに出てて、ジョブズのことを言ってたのを聴いたとこから始まってる、私にとっては。
いわく、サイコーとサイテーしか評価をくださないような人で、100点がつくとサイコーと誉めまくるが、99まではサイテー呼ばわりでケチョンケチョンに言うとか。
社員とか部下が、「ほんとうにできない」のか「できない理由を言ってるだけ」なのか、見抜くし追究することができるとか。
だいたい、私はアップル製品を、いちども買ったことないし、ジョブズがどんな人か知らなかったんだけど、そのへんのとこに興味をひかれて、この伝記を読んでみる気になった。
最初に私がジョブズの名前を知ったのは、アスキーに連載中の「電脳なをさん」に登場したからで、それも一度アップルを追われて、その後復帰したときのことだったと思う。
だいたい私が自分のものとしてパソコンを使い始めたのは、たしか1993年からだったんで、1984年にマックが出たときの衝撃的なCMの話とか、全然知らないし。
読んでみると、「現実歪曲フィールド」と呼ばれる、ジョブズの独自のキャラクターがとんでもないなあってのは、なるほどすぐにわかったけど。
アップルの製品を使ったことないから知らなかったんだけど、ハードとソフトが一体となって完成されたものを求めて作ったってのは、よくわかった。
つまり、「どこの馬の骨ともわからないプログラマーが自分の作品をおかしな具合にいじってしまうのが耐えられない」とか「最初のマックから今度のiphoneまで、ジョブズのシステムは必ずかたく封印され、消費者がいじったり改造したりできない」とか、その理念のせいでマッキントッシュのケースはふつうのねじまわしで開けられないとか、そこまでするかと思わされるようなこと。
読んでくと、製品のユーザーが触れる部分だけがそうなんぢゃなくて、誰も開けてみないコンピュータのなかの基板の美しさとか、工場のなかの塗装とか、そういうとこにこだわってるらしい。見えないとこをキレイに作ることが大事というポリシー。
それって、中古車のレストアを仕事にしてた、父親(養父)の影響なんだけど、そもそもガレージでコンピュータの組み立てをし始めたころから一貫しているもの。
もちろん、見えるとこも大事で、「人は表紙で書籍を評価する」と信じてて、会社のロゴには、製品を作り始める前から、こだわって、ピリオドの位置についてまで徹底的に議論して配置している。
もっとも、そういうこだわりが、いまコンピュータで使われているフォントの基本線になってるらしい。つまり、等幅ぢゃなくて、文字によって幅が変わって、単語として並ぶと全体として美しく見えるってのは、どうもジョブズの趣味から導入されたものらしい。
思わず線を引いちゃったジョブズの発言も多いよ。
「個人に製品を売れない状況に、本当に気が滅入ってしまった。僕は、法人向けのエンタープライズ製品を売ったり、誰かが作ったぼろいハードウェアにソフトウェアをライセンスするためにこの地球に生まれてきたんじゃない。」
「考えもせずにスライドプレゼンテーションをしようするのが嫌でねぇ。プレゼンテーションをするのが問題への対処だと思ってる。次々とスライドなんか見せず、ちゃんと問題に向き合ってほしい。課題を徹底的に吟味してほしいんだ。自分の仕事をちゃんとわかっている人はパワーポイントなんかいらないよ」
「人類がなし遂げてきた最高のものに触れ、それを自分の課題に取り込むということです。ピカソも、『優れた芸術家はまねる、偉大な芸術家は盗む』と言っています。我々は、偉大なアイデアをどん欲に盗んできました」
とかね。
あと、ジョブズのハードに関するこだわりも、面白いってば面白い。必ずしもそれに賛同するかどうかは、それぞれによって違うけど。
CDをパソコンに入れるのに、トレイはだめで、スロットぢゃなきゃならないとかね。ipodとかipadの形とか。
ただ、個人的趣味の形のよしあしだったら、感性が違っちゃったら考えは平行線だけど、ほとんどできあがりかけた段階で、やっぱり不完全だから、あと数カ月で発表・発売しなきゃってのに、全部を作り直させるって情熱を読むと、やっぱその決断だけでも偉大だなーとは思わされる。
ふぅ、やっと読めたよ、この本。11月のあたまに買って、しばらくおいといて、ボチボチ読んでたんだけど、なんかうまく読み進めなくて、時間かかっちゃった。
それほど、おもしろい!って感じの本でもなかったし、私にとっては。
なんでこんな時間かかるんだろうって、途中で思い始めたんだけど、登場人物が多くて、外国人の名前がたくさん出てくると、これ誰のことだっけ?って、リズムが止まっちゃうんだよね。
それは半分冗談だけど、あとは、なんだか読んでるときに、なんでもなさそうなとこで、はたして俺だったらどうなんだろう?とか、目で活字追うのやめて、いろいろ夢想・空想しちゃうことが多かった、この本に関しては。
で、なんでこの本を読んでみようかって思ったかっていうと、翻訳者のひとがラジオに出てて、ジョブズのことを言ってたのを聴いたとこから始まってる、私にとっては。
いわく、サイコーとサイテーしか評価をくださないような人で、100点がつくとサイコーと誉めまくるが、99まではサイテー呼ばわりでケチョンケチョンに言うとか。
社員とか部下が、「ほんとうにできない」のか「できない理由を言ってるだけ」なのか、見抜くし追究することができるとか。
だいたい、私はアップル製品を、いちども買ったことないし、ジョブズがどんな人か知らなかったんだけど、そのへんのとこに興味をひかれて、この伝記を読んでみる気になった。
最初に私がジョブズの名前を知ったのは、アスキーに連載中の「電脳なをさん」に登場したからで、それも一度アップルを追われて、その後復帰したときのことだったと思う。
だいたい私が自分のものとしてパソコンを使い始めたのは、たしか1993年からだったんで、1984年にマックが出たときの衝撃的なCMの話とか、全然知らないし。
読んでみると、「現実歪曲フィールド」と呼ばれる、ジョブズの独自のキャラクターがとんでもないなあってのは、なるほどすぐにわかったけど。
アップルの製品を使ったことないから知らなかったんだけど、ハードとソフトが一体となって完成されたものを求めて作ったってのは、よくわかった。
つまり、「どこの馬の骨ともわからないプログラマーが自分の作品をおかしな具合にいじってしまうのが耐えられない」とか「最初のマックから今度のiphoneまで、ジョブズのシステムは必ずかたく封印され、消費者がいじったり改造したりできない」とか、その理念のせいでマッキントッシュのケースはふつうのねじまわしで開けられないとか、そこまでするかと思わされるようなこと。
読んでくと、製品のユーザーが触れる部分だけがそうなんぢゃなくて、誰も開けてみないコンピュータのなかの基板の美しさとか、工場のなかの塗装とか、そういうとこにこだわってるらしい。見えないとこをキレイに作ることが大事というポリシー。
それって、中古車のレストアを仕事にしてた、父親(養父)の影響なんだけど、そもそもガレージでコンピュータの組み立てをし始めたころから一貫しているもの。
もちろん、見えるとこも大事で、「人は表紙で書籍を評価する」と信じてて、会社のロゴには、製品を作り始める前から、こだわって、ピリオドの位置についてまで徹底的に議論して配置している。
もっとも、そういうこだわりが、いまコンピュータで使われているフォントの基本線になってるらしい。つまり、等幅ぢゃなくて、文字によって幅が変わって、単語として並ぶと全体として美しく見えるってのは、どうもジョブズの趣味から導入されたものらしい。
思わず線を引いちゃったジョブズの発言も多いよ。
「個人に製品を売れない状況に、本当に気が滅入ってしまった。僕は、法人向けのエンタープライズ製品を売ったり、誰かが作ったぼろいハードウェアにソフトウェアをライセンスするためにこの地球に生まれてきたんじゃない。」
「考えもせずにスライドプレゼンテーションをしようするのが嫌でねぇ。プレゼンテーションをするのが問題への対処だと思ってる。次々とスライドなんか見せず、ちゃんと問題に向き合ってほしい。課題を徹底的に吟味してほしいんだ。自分の仕事をちゃんとわかっている人はパワーポイントなんかいらないよ」
「人類がなし遂げてきた最高のものに触れ、それを自分の課題に取り込むということです。ピカソも、『優れた芸術家はまねる、偉大な芸術家は盗む』と言っています。我々は、偉大なアイデアをどん欲に盗んできました」
とかね。
あと、ジョブズのハードに関するこだわりも、面白いってば面白い。必ずしもそれに賛同するかどうかは、それぞれによって違うけど。
CDをパソコンに入れるのに、トレイはだめで、スロットぢゃなきゃならないとかね。ipodとかipadの形とか。
ただ、個人的趣味の形のよしあしだったら、感性が違っちゃったら考えは平行線だけど、ほとんどできあがりかけた段階で、やっぱり不完全だから、あと数カ月で発表・発売しなきゃってのに、全部を作り直させるって情熱を読むと、やっぱその決断だけでも偉大だなーとは思わされる。
