ロバート・B・パーカー/菊池光=訳 1992年 早川書房
スペンサーシリーズの、えーと、第18作。
原題は「Pastime」なんだけど、読んでみると、「え?『past times』ぢゃないの?」って思う内容。
邦題は、それをなぜか「晩秋」としている。
これは、シリーズの(かの名作)「初秋」の続篇的なもの、って理由からにほかならない。
というわけで、今回の相談者は、「初秋」でスペンサーに立ち直るきっかけを教えられた、ポール・ジャコミン。
両親にないがしろにされてて、人格的に欠陥をかかえた15歳の子どもだったポールも、25歳の立派なおとなになった。
そんな彼が、しょうもない、しょうもないけど放ってはおけない、実の母親が連絡とれなくなっちゃったんで、探してほしいと相談してくる。
ひとりぢゃ生きてけない母親は、新しいボーイフレンドと逃避行してんだが、それはしょうがないとしても、その男がろくでもない奴なんで、トラブルに巻き込まれちゃってる。
おなじみのギャングの親玉ジョウ・ブロズとやりあう破目になっちゃうんだが、タフなスペンサーは一歩もひかない。
ジョウの片腕であるヴィニイ・モリスが出てくるんだが、彼とスペンサーは認め合ったなかなので、通じ合ったものがあるし、ウソをつかない、やるといったことはやる、といった条約ができあがっているとこがいい。そのへんポールとかには理解できないみたいだけど。
で、事件はどうでもよくて、本作のおもしろいのは、スペンサーが過去を語っていることだと思う。
スーザンに、あなたは自分のこと、生まれ育ちとかを全然話してくれないと言われて、やおら語り出したりするんだけど。
自分が生まれるのとひきかえに母親が死んだこととか、そのとき父は二十歳で、二人のおじは17と18だったが、その男たちのなかで育てられたとか。
スペンサーの初恋、それは16歳のときで、彼女はフランス語のクラスで自分の前に坐ってたとか。
もっとおもしろいのは、ホークとスペンサーの出会い。ボクシングの前座試合で戦ったことから始まったってエピソードが明かされてる。
(ちなみに、スーザンは、ホークとスペンサーを指して、その行動規範の同じこととかから、「一つのさやの中のエンドウ豆二つ」と評している。)
それはそうと、ポールは、スペンサーに対してズケズケと踏み込んでいける立場にあるんだが、本作の終盤では、どうしてスーザンと結婚しないのかってダイレクトに訊いてる。
それに対するスペンサーの答は、「よくは判らない。たぶん、〈壊れていなければ直すな〉という領域に属しているのだろう」と答えてる。わかるような、わかんないような。
で、どうでもいいんだけど、この話には、どういうわけか、スーザンの前夫から譲られてしまった犬が出てくる。押しつけられたようなもんだが、スペンサーがそれをつれてまわることになる。
事件を追いかける、どんな場面でも犬をつれてるスペンサー。どうしてそんな状況つくんなきゃいけないのかわからないけど、とにかく全編を通じてそのことが描かれてるせいでユーモラスになってる。
物語のテーマは、ただ過去を振り返ってるだけぢゃなくて、大人になるためにどうしたらいいか、そのための各人にとっての通過儀礼って感じ。
スペンサーも、依頼は受けたものの、25歳になったポールに対して、子ども扱いしないで、自分自身で解決へ向けて行動するようにサポートしていく、そんな姿が読んでて、いいなあと思う、ちょっと独特な一篇。やっぱ「初秋」のつづきだ。
スペンサーシリーズの、えーと、第18作。
原題は「Pastime」なんだけど、読んでみると、「え?『past times』ぢゃないの?」って思う内容。
邦題は、それをなぜか「晩秋」としている。
これは、シリーズの(かの名作)「初秋」の続篇的なもの、って理由からにほかならない。
というわけで、今回の相談者は、「初秋」でスペンサーに立ち直るきっかけを教えられた、ポール・ジャコミン。
両親にないがしろにされてて、人格的に欠陥をかかえた15歳の子どもだったポールも、25歳の立派なおとなになった。
そんな彼が、しょうもない、しょうもないけど放ってはおけない、実の母親が連絡とれなくなっちゃったんで、探してほしいと相談してくる。
ひとりぢゃ生きてけない母親は、新しいボーイフレンドと逃避行してんだが、それはしょうがないとしても、その男がろくでもない奴なんで、トラブルに巻き込まれちゃってる。
おなじみのギャングの親玉ジョウ・ブロズとやりあう破目になっちゃうんだが、タフなスペンサーは一歩もひかない。
ジョウの片腕であるヴィニイ・モリスが出てくるんだが、彼とスペンサーは認め合ったなかなので、通じ合ったものがあるし、ウソをつかない、やるといったことはやる、といった条約ができあがっているとこがいい。そのへんポールとかには理解できないみたいだけど。
で、事件はどうでもよくて、本作のおもしろいのは、スペンサーが過去を語っていることだと思う。
スーザンに、あなたは自分のこと、生まれ育ちとかを全然話してくれないと言われて、やおら語り出したりするんだけど。
自分が生まれるのとひきかえに母親が死んだこととか、そのとき父は二十歳で、二人のおじは17と18だったが、その男たちのなかで育てられたとか。
スペンサーの初恋、それは16歳のときで、彼女はフランス語のクラスで自分の前に坐ってたとか。
もっとおもしろいのは、ホークとスペンサーの出会い。ボクシングの前座試合で戦ったことから始まったってエピソードが明かされてる。
(ちなみに、スーザンは、ホークとスペンサーを指して、その行動規範の同じこととかから、「一つのさやの中のエンドウ豆二つ」と評している。)
それはそうと、ポールは、スペンサーに対してズケズケと踏み込んでいける立場にあるんだが、本作の終盤では、どうしてスーザンと結婚しないのかってダイレクトに訊いてる。
それに対するスペンサーの答は、「よくは判らない。たぶん、〈壊れていなければ直すな〉という領域に属しているのだろう」と答えてる。わかるような、わかんないような。
で、どうでもいいんだけど、この話には、どういうわけか、スーザンの前夫から譲られてしまった犬が出てくる。押しつけられたようなもんだが、スペンサーがそれをつれてまわることになる。
事件を追いかける、どんな場面でも犬をつれてるスペンサー。どうしてそんな状況つくんなきゃいけないのかわからないけど、とにかく全編を通じてそのことが描かれてるせいでユーモラスになってる。
物語のテーマは、ただ過去を振り返ってるだけぢゃなくて、大人になるためにどうしたらいいか、そのための各人にとっての通過儀礼って感じ。
スペンサーも、依頼は受けたものの、25歳になったポールに対して、子ども扱いしないで、自分自身で解決へ向けて行動するようにサポートしていく、そんな姿が読んでて、いいなあと思う、ちょっと独特な一篇。やっぱ「初秋」のつづきだ。