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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

白昼への意志

2015-06-09 17:54:20 | 読んだ本
西部邁 1991年 中央公論社
副題は「現代民主政治論」、と言っても、もう20年以上前のものになってしまったか。
外では、ソ連がなくなっちゃったりしてる一方、国内では、消費税はけしからんとか、リクルートに関係したやつはけしからんとか、首相の女性スキャンダルはけしからんだとか、バカ騒ぎに明け暮れてた時代のもの。
日本の民主主義が衆愚政治に堕落しちゃって、このあと失われた時代が長く続くことになるのは、今からみたらむべなるかなという感じ。
これまでの著作でも繰り返されてきたとおり、右往左往するばかりの世論形成に対して、良き言論は大事ということを説いている。
マスコミやそれに踊らされるままの人たちは、ひとをこきおろしておいて、他にいい人物がいないとか嘆くようなまねをすんのはやめようとかね。
あと民主主義ってのは、いま生きている多勢の(バカな)ひとたちの多数決で何でも決めていいわけではなく、過去に死んでいってしまった人たちの作ってきたものや、これから生まれてくる人たちへ残すものを守ること、そういう決定に責任もつことも大事ってことは、ふだん忘れてしまいがち。
それと、あんまり、人間という生きものが善いものだとか、社会はいいほうに向かうとか、自由とか平等とかは当然のことだとかって前提にたつのはよして、自分たちは判断を間違うかもしれないし、ルールの範囲内でしか自由は認められないものだし、そもそも不平等の真っただ中に生まれて不平等のうちに死んでいくってのが現実だとわかったうえで議論をしましょうよという話もあちこちにある。
読んでみて、いくつか今回気になったフレーズを抜いておきますか。(そのときどきで、読んだとき引っ掛かる場所に違いがある?)

>自分らの意見が間違っているかもしれない、という自省を民衆が手放さないかぎりにおいて、民衆の形づくる世論は民主主義の成熟のための基礎となりうる。(p.7)

>しかし通常の状態にあって、政治から遠ざかることを知識人の採るべき方針として打出すのは、それもまた政治の一種ではあろうが、悪しき政治である。ましてや、政治へのコミットメントから逃走した上で、政治を外部から監視しようなどというのは、知識人の傲慢であるだけでなく、知識人の誤謬でもある。(p.20)

>自分らのことを、「言論の自由」といううるわしい理想に率いられる反権力集団であると、意図的にか無自覚のままにか、誤認している。マスコミのこの誤った自己認識こそが、大衆社会をますます泥沼へと引きずり込むのである。(p.44)

>(略)それ以上に、マスコミは物事をできるだけ単純化し、そうすることによって、平均化され均質化され画一化されたものとしての世論を形成しようと励んでいる。ところが、この単純化が案外に難しい作業なのだ。彼らはそのことを知らない。(p91-92)

>二者択一もしくは両断の論理がますます世にはびこりつつある。(略)ともかく是か非かの議論が多すぎるのだ。そうなってしまったのは、おそらく、私たち現代人が、とくに繁栄の絶頂にいる私たち日本人が、莫迦になったせいであろう(。(p.145)

>自由が歴史的秩序の上に展開されることに注目するなら、自由主義は、凡百の自由思想家の主張するところとは異なって、実に歴史主義的なものだということがわかる。(p.156)

>繰返せば、欲望を権利と錯覚するのは悪しき民主主義であり、そういうものとしての権利を振回すのを自由と誤解するのは悪しき自由主義である。(p.229)

第一章 権力から逃避する知識人
第二章 民主主義を破壊するマスコミ権力
    思想を喪った原論
    クウェート事変にみる新聞の愚昧
第三章 保守革命のすすめ
    保守二党体制の進路
第四章 民主主義のペレストロイカ
    社民幻想からの覚醒
第五章 「日本国憲法」改正私案
    「昭和憲法」への葬送
    人間平等論への反駁
補章  「マドンナ」この苦笑すべきもの
コメント
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