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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

古本屋春秋

2016-12-21 21:20:47 | 読んだ本
志多三郎 1986年 現代出版
こないだ『街の古本屋入門』を読んだんだが、同じ著者のものをもうひとつ読んでみた。
って後日求めたんぢゃなくて、『街の古本屋入門』を古本屋で買ったときに、たまたま見つけたので一緒に購入しといた。
(えーい、ひとつもふたつも同じこと、というノリでそんな行動をとることがある、こと古本に関しては。)
カバー表紙には、サブタイトル的に「古本屋商売うらおもて」とあるが、なかの扉には「―続・街の古本屋入門」ってあるので、続編なんだろうと受けとってたんだが。
手に入れたときは、目次くらいしか見なかったんで、まあ古本商売のエッセイなんだろうくらいに思ってたんだけど、これ日記でした。
ロサンゼルスオリンピックやってるから、1984年の5月15日から翌1985年5月14日までの丸一年の日記。
いくら仕入れて、いくら売れたみたいなことも書いてあるけど、気になるのは、売れない、売れないっていうのが多いことである。
>「学術書がかなり多いんですね」
>とは別の初見の若い客、案の定なにも買わずに出て行く。ほめる客はまず買わないと、これは仲間の通り相場になっている。(p.73)
というとこなんかおもしろい。
その翌日のところに、
>来月の予定の即売展会議。若い人が実務的な力を発揮してきた印象、しかし意識の格差はどうしても残るようだ。なぜ古本屋なのかと、私は考え続けていきたいとおもう。(p.73)
とあって、会議あったことに触れるのは、この一年間は組合の理事長をつとめてたからってのもあるが。
意識の格差ってことについては、ずっと後のほうに、古本屋でバイト経験をした後すぐ独立してる者の店がまえについて、
>イージーに考えたかどうかは問わないが、軽く独立している。棚構成は当然バイト先と酷似し、悪くいえばコピーの域を出ない。もっと悪くいえば、なぜ古本屋なのかとの緊張感がない。もっと個性をと訴えるのは、ないものねだりというものであろうか。(p.133)
というくだりがあり、「なぜ古本屋なのか」という問いは、存在理由の根源にかかわる重要なもののようである。
そういえば、一日店番をしてても、何か探している客が来ないような日には、
>私を必要とする客は一人もいず、声を出す自動販売機と化した。(p.82)
なんて書かれてるので、ただ本を並べて売っているだけぢゃつまんないってことなんでしょう。
そんなこと思うだけあって、商売のあいまにも実にたくさん本を読んでいることが記されているが、
>まだまだ知らない書物が山ほどある。世の中を見るとそんな気は失せるが、本を見ていると何百年も生きていたくなる。(p.18)
という具合にすごい願望も表明もされてたりする。
コメント
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