丸谷才一 一九八八年 ちくま文庫版
この文庫は、去年七月に地元の古本屋で買ったもの、なんかむずかしそうなんで、ついつい読むの後回しにしてた。
なんとか全部読んだら、あとがきに、
>『コロンブスの卵』は『梨のつぶて』につづく、わたしの第二評論集です。
とあったんで、やっぱ評論集ってのはちょっと高尚な感じするねえと思ったんだが。
『梨のつぶて』が1966年(去年古本買って、持ってるんだけど、まだ読んでない)、これの単行本が1979年ってことで、そのあいだにもいろいろ評論を出してるはずなんだが、著者はあれもこれもちょっと違うんで、この本が第二評論集なんだという。
しかも、
>全集その他の解説として書いたものでも、ここにはわりあひ出来のいいもの、自信のあるものだけ集めることになりました。批評家としてのわたしの仕事は、さしあたり、『梨のつぶて』と『コロンブスの卵』で見ていただくのがいちばん好都合だ、と思つてゐます。
と自負しているようなので、エッセイが好きなだけで丸谷さんを読んでる私なんかにはむずかしく感じられるのもしかたないというものか。
シェイクスピアのなかの詩とか、ジョイスの文体とか、そういうのは知識も素養もないからわかんないんだけど、小説に関するはなしはおもしろい。
特に、「四畳半襖の下張り裁判」は、東京地裁で弁護側証人として読み上げたものらしいけど、文学とはなにかっていうことについてのすごくいい論文だとおもう。
これをわいせつだとか何とか起訴する側が常識がない、として、なんでこんな当たり前のことを言わなきゃなんないんだって調子で、堂々と述べ立ててる。
古今東西の名作といわれる小説を例にあげて、
>(略)とにかく、男たちも女たちも愚しい、それが小説だと言つてかまはないでせう。市井にうごめく凡夫凡婦の愚行を書きつづるのが、小説といふものなのであります。(略)
>しかも驚くべきことは、作家たちはみな実在の人物のことを叙したのではなかつたといふ事情であります。わざわざ手間暇かけて、かういふ何の取柄もない人物たちを考へ出し、彼らを動かし、せつせと愚行を演じさせるのが小説家の仕事なのである。(p.232-233)
なんて言って、小説が不品行ばかり扱ってなにがわるい、ひとびとの無意識の欲望を解消させ、別の人生を提供するという夢を見せるのが小説のいいところだと言ってのける、まことに痛快。
小説が、哲学とか思想とかってのを大上段にかまえてふりかざすもんぢゃないってことは、べつのとこでも書いていて、
>(略)イギリスの女流作家の作品を読んでゐると(略)ぼくはきつと、やはり小説といふのは女が書くのが本当なのかな、といふ、男の小説家としてははなはだ情けないことを考へてしまひます。
のようなことで始まる小説論で、
>小説といふのはもともと些事の連続によつて、あるいは積み重ねによつて、尨大な人生を提出する藝術であります。(p.314)
という見解を披露してくれているのは、たいへん勉強になる。
I歴史
徴兵忌避者としての夏目漱石
歴史といふ悪夢
II詩
ハムレットの小唄
III批評
退屈を教へよう
黒い鞄
詩学秘伝
IV小説
夜半の狭衣
四畳半襖の下張り裁判 1起訴状に対する意見 2弁論要旨
通夜へゆく道
一双の屏風のやうに
女の小説
問はず語り
維子の兄
この文庫は、去年七月に地元の古本屋で買ったもの、なんかむずかしそうなんで、ついつい読むの後回しにしてた。
なんとか全部読んだら、あとがきに、
>『コロンブスの卵』は『梨のつぶて』につづく、わたしの第二評論集です。
とあったんで、やっぱ評論集ってのはちょっと高尚な感じするねえと思ったんだが。
『梨のつぶて』が1966年(去年古本買って、持ってるんだけど、まだ読んでない)、これの単行本が1979年ってことで、そのあいだにもいろいろ評論を出してるはずなんだが、著者はあれもこれもちょっと違うんで、この本が第二評論集なんだという。
しかも、
>全集その他の解説として書いたものでも、ここにはわりあひ出来のいいもの、自信のあるものだけ集めることになりました。批評家としてのわたしの仕事は、さしあたり、『梨のつぶて』と『コロンブスの卵』で見ていただくのがいちばん好都合だ、と思つてゐます。
と自負しているようなので、エッセイが好きなだけで丸谷さんを読んでる私なんかにはむずかしく感じられるのもしかたないというものか。
シェイクスピアのなかの詩とか、ジョイスの文体とか、そういうのは知識も素養もないからわかんないんだけど、小説に関するはなしはおもしろい。
特に、「四畳半襖の下張り裁判」は、東京地裁で弁護側証人として読み上げたものらしいけど、文学とはなにかっていうことについてのすごくいい論文だとおもう。
これをわいせつだとか何とか起訴する側が常識がない、として、なんでこんな当たり前のことを言わなきゃなんないんだって調子で、堂々と述べ立ててる。
古今東西の名作といわれる小説を例にあげて、
>(略)とにかく、男たちも女たちも愚しい、それが小説だと言つてかまはないでせう。市井にうごめく凡夫凡婦の愚行を書きつづるのが、小説といふものなのであります。(略)
>しかも驚くべきことは、作家たちはみな実在の人物のことを叙したのではなかつたといふ事情であります。わざわざ手間暇かけて、かういふ何の取柄もない人物たちを考へ出し、彼らを動かし、せつせと愚行を演じさせるのが小説家の仕事なのである。(p.232-233)
なんて言って、小説が不品行ばかり扱ってなにがわるい、ひとびとの無意識の欲望を解消させ、別の人生を提供するという夢を見せるのが小説のいいところだと言ってのける、まことに痛快。
小説が、哲学とか思想とかってのを大上段にかまえてふりかざすもんぢゃないってことは、べつのとこでも書いていて、
>(略)イギリスの女流作家の作品を読んでゐると(略)ぼくはきつと、やはり小説といふのは女が書くのが本当なのかな、といふ、男の小説家としてははなはだ情けないことを考へてしまひます。
のようなことで始まる小説論で、
>小説といふのはもともと些事の連続によつて、あるいは積み重ねによつて、尨大な人生を提出する藝術であります。(p.314)
という見解を披露してくれているのは、たいへん勉強になる。
I歴史
徴兵忌避者としての夏目漱石
歴史といふ悪夢
II詩
ハムレットの小唄
III批評
退屈を教へよう
黒い鞄
詩学秘伝
IV小説
夜半の狭衣
四畳半襖の下張り裁判 1起訴状に対する意見 2弁論要旨
通夜へゆく道
一双の屏風のやうに
女の小説
問はず語り
維子の兄
