丸谷才一編著 1999年 中公文庫版
これ地元の古本屋で買ったのは二年前の五月だった、読んだの今年ほんの二、三ヵ月前か。
単行本は1983年だそうで、本書の「序」には、
>「現代かなづかい」と「当用漢字表」が公布されてから、四十年近くが経過した。それに対する反対が最後に激しくおこなはれたのは二十年以上も前のことである。しかし国語改革とそれに対する抗議は、もはや葬り去つて差支へない歴史上の事件では決してなく、現在も生きてゐる文化的な問題である。(略)われわれは新しくこの問題を再検討しなければならない。機は熟してゐる。(p.10)
と高らかに戦いを宣言するような調子があるが、なぜいま再検討かという理由のひとつが、当時出現した日本語ワープロだという。
よーするに国語改革ってのは、漢字減らそうよ・やめようよってことで、勉強して憶えんの大変・書けないとか、ひどいときには印刷・出版社が大変とか、理由をつけては使える漢字を制限したがるんだが、ワープロが発達すりゃあ使えるだろってことだ。
たしかに私なんかもこういう本を読むと、読めるけど書けない漢字多すぎ・そういう字はヤメちゃえ的な意見には、書けなくたって読めればいいじゃん・日本語入力ツールで変換選択ができるんなら使えばいいんだよ、って言いたくなる。
で、本書は六人による共著で、それぞれの流儀で国語改革批判をしているんだが、やっぱ私には丸谷さんの書いたものがいちばんおもしろい。
とはいえ、歴史なんかもあらためて教わると興味深いものあって、漢字やめちゃえとかアルファベット文字つかおうよとか言い出したのは、太平洋戦争で負けたショックのときからぢゃなく、明治のころからあったんだという、いちばん進んでのは西欧だからそれにならおうと考えた人たちいたとか。
でも、文字がどうこうではなく、日本人の言語能力がそもそもどうなのか、って話題が山崎正和さんのパートで示されていて、それはけっこう私には衝撃だった。
山崎さんは、戦後の国語改革について、
>(略)戦後の日本には国語改革への何らの努力も意欲もなかった、といはなければならない。そこに見られたものは、たんに国語にたいする投げやりな態度であり、極論すれば、国語を言語として意識したくない、といふ、怠惰な逃避の姿勢があるばかりであった。(P.293)
とダメだししているが、それにつづく章をあらためたとこで、
>しかし、私のとって何といっても気がかりなのは、根の浅い戦後の国語改革ではなく、むしろ明治の言文一致運動、さらに、それ以前の時代にまでさかのぼって病んでゐる、日本語の話し言葉の問題である。(略)現状の話し言葉が無残であることは、あまりにも明白である。今日、日本人の会話には文体がなく、修辞法の意識がないのはもとより、極端にいへば、文法さへないといふのがいつはらざる事実であらう。(p.293-294)
と指摘する。
話し言葉を文字に書き起こしてみれば、主語と述語がかみあってないようなこともあるって例をあげて、
>ひと言でいへば、これらの語り手には、発言の内容の全体を見渡さうといふ意識がなく、ひとつひとつの言葉をひきとめて、それを持続した全体に作り上げようといふ態度もない。(略)ここに欠けてゐるものは、たんに論理的な能力だけではなく、緊張を持続し、一定時間を目覚め続けてゐるといふ精神の基本的な能力だといへる。(p.296)
というように、スピーチのテクニックとかって問題ぢゃなくて、精神が眠ってて、ただ口から言葉をテキトーに吐いてるだけぢゃないの、みたいにバッサリいう。
同じようなことを、そのちょっとあとでも、
>(略)話し言葉を語るとき、私たちは他人の視線のもとで自己の内面の一貫性を保たなければならないのであって、半ば以上、外側に目を向けながら、自己の内部の持続性を維持しなければならないのである。
>日本人が話し言葉のなかでとくに混乱を見せるとすれば、それは、私たちがかうした意識の二重の操作に不得手なのであり、具体的には、他人との関係において自己を守る能力が弱いのだ、といへるかもしれない。(p.300)
みたいに言っていて、言葉のつかいかたどうこうぢゃなく、他人にちゃんと対することができない気の弱さみたいなもの、自我の薄弱さが、ちゃんと話ができない日本人にはあるんぢゃないかってんだが、すごいね、そこまで言う。
一般的な日本人の国語能力は低かったってことは、丸谷才一さんのパートにもある。
>(略)戦前の日本人の読み書き能力が総体として低かつたことは事実だし、それにあのころの文章は概してむやみにむづかしかつたから、事情はいつそうひどかつた。いや、単に読み書きだけではなく、話す能力も聞く能力も乏しかつたのである。今となつては信じにくいかもしれないが、戦前の日本は伝達といふことをあまり重んじてゐない社会であつた。(p.331)
という状況分析なんだが、そっから国の国語政策とはなんぞやってことにいくのだが、
>明治維新以後、日本政府の企てた国語政策は、精神と言葉と文字との、この切つても切れない関連に心を用ゐず、大衆の精神は徹底的に抑圧したままで、従つて彼らの言葉の能力は低いままで、それにもかかはらず文字の能力を高めようといふものであつた。そしてこれは、それなりに筋が通つてゐる。読み書きの達者な奴隷を大勢つくりたいといふのが国家の願望だつたのである。軍隊内務令や歩兵操典や作戦要務令をちやんと読める、営兵日誌もきちんとつけられる、しかし余計なことは考へない、そんな兵隊がほしい。(略)しかし、そんな虫のいいことはできるはずがない。そこで次善(?)の策として、文字をやさしくすることを考へたのである。(p.365-366)
というように解説してくれると、目を覚まされる感じもあるし、なんだかトホホという気もしないでもない。
そんでそんな大日本帝国が敗れた戦後に、やっぱり国語改革はおこなわれるんだが、そのときも国民の精神はいかにあるべきかはほっぽっといて、ただひたすら文字だけに焦点をあてた政策がとられた。
>大衆の教育のため文字をやさしくするといふのは乱暴な話だつた。かう言へば、この三十余年のうちに日本人全体の言語能力は大きく上昇したのだから、これが国語改革の成果ではないかと言ひ返す人もすこしはゐるかもしれないが、これは、前にも述べたやうに、民主主義の徹底のせいで日本人の精神がずつと自由になつたとか、教育が普及したとか、その他かずかずの原因によるもので、国語改革のもたらしたものではなかつた。(略)昭和二十一年の「現代かなづかい」と「当用漢字表」にはじまる一連の改革は、日本語に対して重大な過失を犯し、われわれの文明を無残にゆがめることになつた。(p.367-368)
って、なんか怒りをかくしてないよね。
現代かなづかいについては、いろいろダメなとこあげてるんだけど、語源をわからなくしたってのもその理由のひとつで、
>かなりの多くの数の言葉の由緒があやしくなつたことによつて、日本語の体系はずいぶん曖昧になり、ゆがみ、関節がはづれ、つまり日本語は乱雑で朦朧としたものになつたのである。言語は認識と思考のための道具だから、これはわれわれの世界がその分だけ混乱し、秩序を失つたことを意味する。動詞アフグ(扇ぐ)がアオグになり、名詞アフギ(扇)がオウギになつて、表記上、両者の失はれたとき(すなはちオウギ、アオグの語源がはつきりしなくなつたとき)、日本語で暮らしてゐて夏になればオウギでアオグわれわれは、ちようどこの表記が非論理的であると同じだけ、ぼやけて狂つてゐる世界に住むことになるのだ。(p.371)
というように、語源を示すかな表記をしてないと、ものの関連というか意味がわからんだろうがと嘆く。
当用漢字についてもけちょんけちょんで、日本語の語彙を貧しくしたといい、
>とにかく、当用漢字はわれわれの言語を、不便なものにし、底の浅いものにし、平板にし、醜くした。漢字制限のせいで文体が冗長になり、締りがなくなり、読みにくくなり、字面が醜悪になつたことは言ふまでもない。(p.391)
と、テッテ的な悪口の言いようである、ふむ、まあそうなんでしょうとは思うが。
こうやって丸谷さんが声を高くして叫ぶのは、
>しかし今ならばまだ打つ手がある。国語改革といふ国家的愚行を廃棄することがそれである。(略)現在ならばまだ、日本人全体に正しい仮名づかひを教へ、大和ことば(和語)と漢語との区別を教へ、そして、漢字の専門家の協議によつて出来あがつた新字体を教へることは、短時日で可能なはずである。このことを断行しない限り、破局はいつの日か、確実に襲ひかかるであらう。(p.400)
みたいな思いに駆られてのことなんだけど、それからもう四十年経っちゃったもんねえ。
コンテンツは以下のとおり。
国語改革の歴史(戦前) 大野晋
国語改革の歴史(戦後) 杉森久英
現代日本語における漢字の機能 岩田麻里
国語改革と私 入沢康夫
「日本語改革」と私――ある国語生活史 山崎正和
言葉と文字と精神と 丸谷才一
(ちなみに文庫版解説は、『お言葉ですが…』シリーズの高島俊男さん。)
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