丸谷才一 二〇〇四年 講談社文芸文庫版
暑い、ことしの夏は暑い。でも、これが10年続いたら、それが平年になってしまうのかと思うと怖いよね。
こういうこと言ってると「言うまいと思えど今日の暑さかな」って句がいつも頭に浮かぶんだが。
こうも暑いと本なんか読んでらんない、ってのは毎年言ってるような気もするが。
前に読んだ『男のポケット』のなかに、
>暑いですね。暑いときにはどうすればいいか。銷夏の法として一番しやれてゐるのは、
> 思ひかね妹がりゆけば冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり
>といふ歌をくちずさむことである。この和歌を唱へれば夏のさかりにも冬の心地がする、と鴨長明が言つてゐた。
なんてことが書いてあったな、なんて思い出したわけでもないが、丸谷才一である。
ちなみに丸谷さんによれば、勅撰和歌集には「暑くて困る」という歌は極めてまれにしかないんだそうで、
>(略)いくら夏が暑い暑いと言ひ暮したところで何にもならないのだから、そんなことは考へないで、涼しい歌でも読んで気をまぎらすほうが賢い、とさう判断したのではないか。(『男のポケット』p.213)
と和歌傑作集の編纂を命じた天皇の意図を推測してたりする。
この文庫は、去年の10月だったか、街の古本屋で買ったもの、前からあるのは知ってたんだけど、文学史みたいなものに興味あんまりないんで、手を出してこなかった、読んだのはごく最近。
文学史ってのは、幕府が変わったからとかって政権の歴史にあわせて何々時代の文学とかってとらえるもんぢゃないでしょ、という丸谷さんは、勅撰詞華集が歴代の天皇の命によって多く編まれてきたのが日本の特徴だってことで、日本文学史の時代区分を提案する。
第一期 八代集時代以前 9世紀なかば平安遷都後約五十年のころまで
第二期 八代集時代 9世紀なかば菅原道真誕生のころから13世紀はじめ承久の乱のころまで
第三期 十三代集時代 13世紀はじめ承久の乱のころから15世紀すゑ応仁の乱のころまで
第四期 七部集時代 15世紀すゑ応仁の乱のころから20世紀はじめ日露戦争の直後のあたりまで
第五期 七部集時代以後 20世紀はじめ~
ということで、第五期は「宮廷文化の絶滅期」としてる、天皇が恋歌を詠まなくなっちゃったからね。
天皇が恋歌を詠むことは国ほめの歌を詠むのと同様に重要なことだっていう丸谷さんの意見はこれまでいくつもの著作でみてきたんだけど、
>(略)色好みは古代日本人の理想で、天皇とはすなはちこの理想を実現する者――国中の最も優れた女たちを選んで求婚し、彼女らを後宮に養ひ、彼女らの才能と呪力によつて国を統治する人のことであつた。天皇の色好みは神の心にかなひ、国を富ませ、人を豊かに、そして華やかにすると信じられてゐた。(p.35)
と本書でもいってます、やたら天皇を神格化しようとしてそういう方面はやめさせてしまった明治政府の連中は伝統を知らんバカだってことでしょう。
伝統ってことでいえば、七部集の時代、徳川期にあっても俳諧とか和歌とか漢詩なんかで撰集を編むのが大はやりだったのは、
>それはずいぶんの盛況だつたが、どうしてかうなつたかを考へるためには、教育の普及とか木版印刷の進歩とか、そんな方面ばかり注目してはいけない。もつと根本的に、徳川時代の精神風俗が重要なのである。わたしの見るところ、あれは民間にあつて宮廷文化に憧れる時代であつた。(p.63)
って見抜いてるとこも非常に興味深いですね、どこかで勅撰集にあやかったものをつくり続ける文化だったと。
べつのとこでは、江戸期の文化というか文学趣味の基本は『新古今』であったとも言ってます。
>ここで思ひ出されるのは例の『小倉百人一首』で、あれは藤原定家が『古今』から『新勅撰』まで九つの勅撰集から秀歌を選んだものだが、大切なのは、その選び方が『新古今』時代の趣味によつてなされてゐるといふことである。王朝和歌が江戸の文明と密接な関係を持つたのは『百人一首』のよつてであつた。ところがその『百人一首』は極めて特殊な角度――『新古今』的な角度で切り取られた、王朝和歌なのである。(略)江戸時代の文学者にとつては、『新古今』は現代文学の出発点――ちようどわれわれにとつての明治文学のやうなものであつた。(p.118)
ということなんだそうで、こういうのは古今と新古今の違いなどわからぬ身としてはそうですかと承るしかないんだけどね。
で、その後の宮廷文化の絶滅期に入っちゃうと、共同体的なものが失われてしまった。個人の詩集とか歌集は出るかもしれないけど、勅撰集のことどころか詞華集一般をみんなして忘れてしまった。
>非常に図式的な言ひ方をすれば、横の方角に共同体があり、縦の方角に伝統があるとき、その縦と横とが交叉するところで詞華集が編纂され、そしてまた読まれる。といふのは、われわれは伝統を所有する際に、孤立した一人ひとりの力で持つことは不可能で、共同体の力によつて持つからである。孤立した個人にさういふことができるといふのは、ロマンチックな妄想にすぎないだらう。(p.85)
みたいにいってますが、文学ってのは共同体の表現であってよいって丸谷さんの意見は他のところでも何度か読んだ気がする。(いま思い出すのは『ゴシップ的日本語論』)
そんで、詞華集を忘れちゃったところへちょうど入り込んできたのが小説なんで、なんか個人的なものばかりをとりあげて共同体的なもの失う方向に拍車がかかってしまったんだが、これまた丸谷さんがいつも言うように、日本の私小説ってのはおもしろくないとケチョンケチョン。
>しかし、日本自然主義と私小説によつて成立つ日本「純文学」といふのは、なんと特殊な文学だらう。それはたとへば趣向を軽んずることによつて、単に江戸文学と対立してゐるだけではなく、人類の文学史全体と対立してゐるやうにぼくには見える。(p.161)
とか、
>自然主義文学は直前の硯友社文学を否定した。あるいは、さうすることによつて江戸文学を否定した。そのことの意義はたしかに大きいかもしれない。この文学的革命によつて近代文学はからうじて成立したと考へられるからである。しかしこの結果、失つたものもすこぶる多い。そのうち今さしあたり注目すべきものとしては、文学がむやみに生まじめになり、深刻になり、遊戯性と笑ひが失はれ、人生の把握のしかたが単純になつた、といふ局面がある。(p.175)
とかって意見、傾聴に値するなあと、いつもながらに思ってしまう。
本書のコンテンツは以下のとおり。
薄い文庫本なんだけど、本編終わったのに残りのページ数がけっこうあるみたいだなと思ったら、付表とか、わりと長めに思えるあとがきあって、大岡信の巻末解説のあとに、丸谷さんによる「著者から読者へ 二十八年後に」ってさらなるあとがきみたいのがあって、実はこれ読むのが本書のねらいいちばんわかりやすいんぢゃないかとまで思ってしまった。(28年後にというのは「日本文学史早わかり」の「群像」初出が1976年だからということらしい。)
I
日本文学史早わかり
II
香具山から最上川へ
歌道の盛り
雪の夕ぐれ
花
III
趣向について
ある花柳小説
文学事典の項目二つ
風俗小説
戯作
夷齋おとしばなし
最新の画像[もっと見る]