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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい

2013-11-12 19:08:15 | 読んだ本
森達也 2013年8月 ダイヤモンド社
最近読んだ本。
出版禁止だとか、差別だとか、タブーとか、政治とか人権に関わるセンシティブな問題とか、そういうのを読む機会がたまたま重なっちゃってるんだけど。
これもまた同じような路線といえるかもしれない。べつにムリして社会問題に取り組む気はないんだけどね、私には。
本書はタイトルが刺激的なんだが、サブタイトルの「正義という共同幻想がもたらす本当の危機」ってのが、まあ著者の言いたいことってことになるでしょう。
雑誌連載していたものをまとめたらしいんだが、そのせいでこれまで目にしたことのある主張の繰り返しって部分もある。
でも、たぶん、今の世の中では、著者の意見は多数派にはならないと思うけど。
簡単にいうと、誰かが右って言ったら右、左って言ったら左、一方向にみんなでワーっと走る、反対向いてるやつや立ち止まってる奴は排除、ってそういうことする前に、自分のアタマでちょっと考えてみたら、って言ってるだけなんだけどね。
人間は弱い、だから不安や恐怖があると、社会のなかで群れる。群れをつくると、さらに次には、外部に敵を探し、内部に異分子を見つけようとする。攻撃目標を設定して、それに対してみんなで群れて歩調をあわせる、そうやってくうちに、やがて共同体は暴走する。
そういう今の風潮、っていうと今が悪い時代みたいに聞こえちゃうけど、そうちゃなくて現在に限らず元々どの時代でもある人類の本能みたいなもんらしいけど、そういう動きしちゃうことへの危機感が繰り返し語られてんだが。
とくに、やっぱメディアの責任については、いつもよく言われてる。
非当事者なのに怒ってるひとの多さからくる「被害者の聖域化」とかね。
それでいて、政治家がちょっとプレッシャーかけてくると「過度な忖度」をするとかね。
ちなみに、今回これ読んで初めて知ったんだけど、逮捕された容疑者の手錠の部分にモザイクをつけるようになったのは、ロス疑惑の容疑者三浦氏が、容疑段階で手錠姿の映像を報道することについて裁判を起こし勝訴してかららしい。
でも、そのときの裁判は国・警察に対して提訴したもので、映したマスメディアが相手ではなかったんだけど。しかし、メディアはその判決に委縮して、手錠に(なんで顔ぢゃないんだろうねと私はずっと不思議だった)モザイクをかけるようになったんで、つまり、あれはメディアの過剰な自主規制だって。
また、ネット上で罵詈雑言がとびかいやすいことについて、「欧米ではこうした匿名掲示板的なサイトは、ほとんど定着しないと聞いたことがある」として、その理由をオランダの社会学者に訊いたら「私たちは匿名の情報に関心がないから」という答えだった、っていう話が紹介されてんだけど、そうだよなあ、やっぱこの国って変わってんだろうなあとは思わされた。
どうでもいいけど、私がいちばん同意したのは、つぎのような感覚。
>がんばれなければ生きてゆけない状況になった人に、がんばらなくても生きてゆける人が「がんばれ」と声をかける。そのグロテスクさに、なぜ多くの人は気づかないのだろう。なぜ臆面もなく「がんばれ」などと言えるのだろう。
こういう感じについて、あんまり詳しく言うと、冷たい目で見られちゃうことが多いんだけど、私なんかは『人々を勇気づけたい』みたいなこと大きな声で言ってるひとをみると、なんでそんな大それたこと言えるんだろうって疑問に思っちゃうもんで。
第1章 「殺された被害者の人権はどうなる」このフレーズには決定的な錯誤がある
第2章 善意は否定しない、でも何かがおかしい
第3章 「奪われた想像力」がこの世界を変える
第4章 厳罰化では解決できないこの国を覆う「敵なき不安」
第5章 そして共同体は暴走する
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2週ぶりの乗馬も、また動かせず

2013-11-11 16:37:15 | 馬が好き
2週間ぶりに乗馬にいく。
乗馬に行かないときは、べつにほかのことしてるわけぢゃなくて、やっぱりどっかしらに行って馬を見てたりすることが多い。

しかし、月曜が祝日だと、その週の私の乗馬練習は休みになっちゃうんで、私の乗馬ライフとしてはちっともハッピーマンデーなんかぢゃない。
なんか週に一度くらい行ってると、日曜日のおわりには「あー馬乗りてー」みたいになって、それなりに楽しいんだけど、二週に一度だとやる気が出ない。モチベーションとかなんとかカッコイイものぢゃなく、私の場合乗馬は単なる習慣というか惰性で続いてきたんぢゃないかという気がしてる。
さて、それはそうと、きょうは日本のあちこちで雪予報も出てるようだが、東京は16度くらいの予報らしい。まあ乗馬にはちょうどいいか、手入れのときに風が冷たいとヤなんで、それ用にだけウインドブレーカーの薄いの持ってく。馬に乗るときは当然着ない、シャツの袖をまくってく。

きょうの馬は、おなじみの天蓬。
他人が乗ってると、とてもいい馬に見える。自分では動かせないんだから、困ったもんだ。
馬場に入ったら、いつものようにウォーミングアップ。
常歩はいいんだよ、わりと前出てる感じになるし、ひょいと拳をつかえば、すぐゴメンナサイって馬がいうこときくし。
速歩になると何かかったるい、それでいて前出してから抑えようとすると、馬がイーってぶら下がってくる感じで、バトルになる。
駈歩は全然ダメ、前進気勢もなにも、パランパランしちゃって、なんもギアが入ってない感じ。
おっかしいなあ、ドンって脚入れたりすると、たまにハネそうになる。これは、きっと私が邪魔(アクセルとブレーキを同時に踏んで、しかも背中の上でグラグラ)してるにちがいない。

困ったなあ、ぜんぜんスタート地点に立てない。しかたないんで、とりあえず、アブミをあげて輪乗りする。
速歩で詰め伸ばししたいんで、悪いんだけどムチをちらつかせると、とたんに反応する。あー、そーですか、いままでの通じてませんでしたね。とにかく、だんだん馬がそれなりのやる気をみせてくれる。
アブミあげたまま駈歩、さっきよりは、まし。すこし長蹄跡で勢いよく走らせるとかしてから、あれこれしてみる。
「馬がもたれるようなとこあって、支えてやる必要ありそうなんだけど、馬が『人が支えてくれる』と思ってるふしがあるんで、そうぢゃなくて、いいバランスのところでかえしてやるようにしてやってください」というアドバイスをもらう。
いやー、うけるとか譲るとか言う前に、今日は馬を前に出せてませんって。
アブミはいて、しばらくやる。ほら、動いてよ、前、前!とかブツブツしゃべりながら乗ってんのは、私くらいなもんだ。
常歩してるとこは、「まるくなって、いい感じの形になってる」と言われたんだけど、速歩以降は、ダメだな、まるで。

どこが一番いいんだろうってやってると、なんか手綱がぜんぶ伸びてっちゃう。
ナマイキにも私は、わりと馬を起こしたイメージを勝手につくって、そういうカッコさせたがるようなとこあるんだけど、馬にとっての動きやすい姿勢って、それぞれの馬によって違う。意外とアタマの位置が低いように感じても、それでどんどん前に出てってくれる馬もけっこういる。
そういうわけで、馬のアタマが下のほうになってもいいから、前に前にいくうちにハミにぶつかってくるとこないかな、なんて思って試行錯誤してみるんだけど、ただクビが下がって伸びてっちゃうだけなんだもん。
とにかく動いてるとこが一番いいはずなんだけど、天蓬の場合、ちょっとわからない。そういう手応えを私が感じられない。
でも、長蹄跡上で速歩を伸ばしたときなんかの姿勢が、わりとラクに動いてそうな感じなんで、これかなあという気もした。ただし、そのあと隅角で、ちょいと詰めようと思ったりしても、うまくいかないんだけど。
何にもできないうちに終了。小一時間ウォーミングアップしてただけのようなもんだ。
馬が動いてきて軽く感じられるようになって、「さあ、これからが練習だ」と思えるようになったところで終わり、ってのは往々にしてあることなんだけど、今日はそこまでもたどりつかなかった。

こないだまで暑いくらいだったのに、急に気温が下がったりして、体調に気をつけなきゃいけないのは、馬も同じ。
まあ、馬の毛の生えかわりのほうが、つねに季節を先取りしてるような気はするけど。
朝馬房から出したときとおなじように、馬着を着せてやる。

私が満足してもしなくても、乗せてくれた馬には、ごほうびのリンゴやる。
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自由死刑

2013-11-07 22:27:25 | 読んだ本
島田雅彦 2003年 集英社文庫版
こないだ読み返した著者の小説がおもしろかったんで、また本棚探して引っ張り出して、これまたひさしぶりに読み返した小説。
なんだか理由はわからないけど、自分自身に死刑を宣告して、一週間後に自殺することを決めた男の話。
残された一週間で何をしようか、一応考えるんだけど、持ってるカネは百万あまり、酒池肉林をすることと、なにか一つ世のためひとのためになることをする、その程度の覚悟で街へフラフラと出ていく。
で、偶然とそこからつらなる導きで、次々と人に出会う。
映像制作が本業らしいタダモノではない説教好きでおせっかいな男、元ポルノ女優、自殺未遂四回の女、虚無に憑かれたタクシー運転手、野垂れ死ツアーの老夫婦、保険屋と臓器売買の姉弟、自分をふって今は高級住宅街の主婦におさまってるらしい以前の失恋相手、十年来隠れファンをやってるアイドル、謎の殺し屋。
あまりの色とりどり目くるめくばかりの展開に、死ぬの思いとどまるかと思いきや、男の意志は固くて揺るぐことない。
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月と六ペンス

2013-11-06 21:58:18 | 読んだ本
サマセット・モーム/中野好夫訳 昭和34年発行・昭和63年改版 新潮文庫版
だいたい私の読書傾向ってのは、かたよってると思うんだけど、ときどきポツンと単発で持ってる本があったりして、これはそのひとつ。
単発でってのは、ある作家なりシリーズなりを追っかけて、いくつも読んだり続編もとめたり、ってんぢゃなく、それひとつしか読んでないだろうな、って意味。
当然、いまとなっては、何故にいつ読んだのかとかも忘れてたりする。
持ってるのは、平成4年の65刷だ、この文庫。
モームは、ほかに読んでないよ、たぶん。いや、まちがいなく、これひとつだな。
いわゆる世界文学の定番の名作って、意外と文庫でも持ってない、私。
これは、実際に読んでないってのがひとつと、学校通ってた時代に図書館で借りて済ましちゃってたってのがひとつの理由だと思うんだが。
しかし、これ平成4年に読んだ意味がわかんない、自分でも。
まあ、私の気まぐれな本の読み方はどうでもいいとして。
どんな話だか忘れてたんで、読み返してみた。
いつの話だか知らないけど、なんか退屈な出だしだな、なんて思ってたんだけど、主人公チャールズ・ストリックランドが家族をほっぽって家を飛び出したあたりから、俄然おもしろくなって、あとは勢いで読んぢゃった。
そうそう、ゴーギャンをモデルにしたって話だった。
株式仲買人が、あるとき憑かれたように、それまでの人生を投げ出して、絵を描かずにはいられないってことになるんだが。
ひょんなことからそれに関わりあっちゃった作家が語り部の役をつとめる。
で、主人公の描く絵ってのが、ちょいと変わった物の形の描き方や色づかいをしてるんで、どう見ても人生の選択間違ってんぢゃないのって言いたくなるんだが、自分の描く絵は凡庸だけど他の画家の才能を見抜くことについては卓見に富んでるパリに住む男が、これを支持する。
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赤レンガ

2013-11-05 18:59:37 | 横浜散策

横浜の港のとこには、赤レンガ倉庫ってのがあるんだが。

(↑大桟橋から見ると、こんな感じ。)
もともとは古い古ーい建物で、むかしむかし私なんかが学生だったころは、危ないんで立ち入り禁止区域だった。
なんかテレビドラマのロケとかには使ってたようだけど。
私の友人のひとりで地元のやつは「あー、フェンス越えて、なか入って遊んだりしてたよ」なんて言ってたと思うけど、私はべつに近所でもないし何の縁も必然性もないから、そのころ行ったことはなかったなあ。

(↑これは象の鼻パーク辺からかな?)
その後、私は函館に仕事で行ったときに、そこぢゃ同じような倉庫をビアホールなんかにしてんのを見て、横浜もすこし手を入れて、こうやって何かに使えばいいのに、なんて思った。
で、それから、いつのことか私が知らないあいだにではあったけど、横浜の赤レンガ倉庫も、どうにかそれなりに再生して使うようになってたのは、よかったよかった。
技術的にはどんなご苦労があるのかわからないけど、古い建物はなかなか風情があったりするんで、壊して建て替えたりしないで、なるべく使ってやったほうがいいんぢゃないかと思う。
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