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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

イチからやりなおしのつもりで、乗馬にいく

2015-06-08 17:14:42 | 馬が好き
乗馬にいく。
っと、その前に、先週の試合のことか、やっぱ。

6月2日の試合では、80cm障害にゴールドパンサーで出た。
で、第4障害で止まってしまった。第3障害を飛んだあと左に角度ふってあって、その間6歩というラインだったんだけど。
下見のときから、ここ微妙で難しそうだなとは思ったんだけど、まさか止まるとは思わなかった。
まあ、以前だったら、止まった瞬間、前に投げ出されて落ちてただろうけど、落ちなかっただけよしとしよう。
ゴールドパンサーに乗るのは初めてだったんだが、いい馬だというのはわかってた。
「競技に出るんだったら、スーパーな馬貸してくれなきゃ、飛べないですよ」とは言ったんだけど、まさかホントに用意してくれるとは思わなかった。
んで、当日直前になってわかったことには、先生が下乗りして、そのまま試走(基準タイムを決めるため)をしてくれて、そこから私が乗って競技の1番手として出ていくというスケジュールになってた。
よく見たら、ほかの馬はほとんどが1競技のなかで2回は使うのに、私のゴールドパンサーだけ私の1回だけ、その代わり直前の試走つきってか。
もう、これは勝つために用意しましたよ状態ではないかと、そのときになって多大なる御配慮に気づいた。
朝まで、今日は出るだけってリラックスしてたのに、そのことに気づいて準備馬場で馬にまたがったとたんに、口の中が乾いた。
考えてもしょうがないし、時間ないので、アブミの長さを合わせたら(これテキトー)、すぐ駈歩。伸ばして詰めてを確認したら、垂直からオクサーと障害を4回くらい飛んで、さあ出番。
時間にして5分くらいだったろうか、確かめる時間。ちょっとコンタクトが心もとないが、まあ時間かけてもどうもならんし、行くだけ。
「飛んだあと、戻して」と言われて、出てく。んー、なんだかわかんね、と思いつつスタート。始まっちゃえば、意外と落ち着く。
1番、2番は低いし、ササーッと飛んぢゃう。あいだ8歩なんだけど、もう数えてない、そういうレベルぢゃない今回、飛べば御の字。
グルーッと180度回転してって、3番へ。出てるのか出てないのか、わからない、困ったなー、とりあえずこんなもんだろくらいのスピードで向かってく。
で、3番飛んだあと、4番に向けてジワーっと曲げるようにしてって、あれ?これ?って思ったときには止まって、馬が垂直障害に激突、ガラガラガラとバー崩しちゃった、ごめんなさい。
終わったー、と思った。3番の脇で障害を直してくれるのを待って、ベルが鳴ったので再スタート。さっきと同じラインを通るようにして飛越。
そのあとは、なんか悪いんだけど、なにをどうしようという意識もなく、サーっと走って回っちゃった。
あとは落とすことも止まることもなかったけど、まあたいした意味はない。
「飛んだあと戻さないと」と言われて、ふりかえってみれば、馬がのびたまんま向かっちゃったなと思う。それぢゃ飛べない。
なんでのびちゃってたかってことをさらに考えると、やっぱその前の3番向かうときに、ホントの意味で馬が前に出てなかったとこから敗因だなと思う。
飛んだあと戻すということについては、かなり迷ってしまっていて、基本的に私の障害は、飛んだあと体勢崩れちゃうんで、次の2歩で立て直すってのが、これまでずっと持ってたイメージなんだけど。
今回は、直前の2週くらいで障害練習をしたときに、飛んだあとの2歩くらいは前にスッと動くのに乗っていく、ってのを新たなテーマにしたんだが、まあその付け焼刃では通用しなかったということだ。
それにしても、優秀な馬を試走までして準備したうえで手綱わたしていただいたのに、それでもヘグッてしまったのは、もうしわけない、情けない。
そして、いちど止まったあと、ブン投げてしまって、残りを適当に済ませちゃったのも、終わってから、かなり反省した、スイマセン。最後の障害なんて、あいだ5歩のとこダラッと勢いついたまま4歩で突破しちゃったくらい、投げやりな走行して馬の調教破壊してしまいました、それはいけないことでした、ゴメンナサイ。

ということで、立ち直れないくらい、へこんでしまったのだが、乗らないでいても何も解決しないので、また今日から乗りにいくことにした。
(6月12日付記)
それでも、3回くらいしか障害練習しないで、初めて乗った馬でサッと競技に出て行って、まあ無事にまわって帰ってこれたんだから、実力のわりには上出来の部類に入るのかもしれない。
それにしても、今回は馬場馬術のつもりで経路まわってみよう、って思ってたんだけど、準備馬場で障害飛んでるうちに、その意識がどっかトンぢゃってたのは、ダメだなあ、俺。
(以上)


きょうの馬は、パトリオート、初めて。日本スポーツホース種の11歳、遠野っ子だ。
それはいいけど、ふだん私なんかが触ることのない馬たちがいるエリアにいるよ、いいのかな、ホントに乗っちゃって。
高級車はねえ、敏感で微妙なタッチが必要だからなあ、私みたいなガシャガシャした動きをするやつには難しいよ。

馬場に入って、皆がそろうまで10分くらい、ずっと常歩する。うーん、特段問題はなさそう。
そしたら、部班の先頭に立てというのはいいけど、「その馬、わるいことはしないけど、すこし暴れることがあるかも」とか先生は言うし、「えー、巻き込まれたくない、その馬の後ろに付きたくない」とか他のひとも言うし、待て待て待てーい、どんな馬だぁ?
それでも、初めてだから知らぬが仏を決め込んで、かまわず普通に乗っていくことにする、他のひとのことまでは知ったこっちゃないし。
速歩スタート、オホホッ、反撞いいなあ、こりゃ大変だ。
先週の試合のときに、うまいひとの乗ってた馬場馬術のイメージを思い出す。前に出る馬に乗ってくってのは、あのくらい人間も動かなきゃいけないんだなって。

だいたい動いてきたら、軽速歩と正反撞を繰り返す。
軽速歩から正反撞にしたときに、ブレーキかけないように。手ぇ前に出す、腰からそこへ近づいてくくらいの意識、前に自分のカラダを動かしてく。
そしたら、逆に「正反撞から軽速歩にしたときに、前に出る勢い、スピード落ちてる」と指摘される。軽速歩にする前に脚使う、ポンとキック。
軽速歩のときのほうが、人間が上で遅れちゃうというか、ときには後ろにドスンと座る感じになっちゃう。前に乗ってかなくては。
アブミ上げもする。何度か「その速歩は、良くない速歩」と言われて、もっと馬を前に動かす。
前に動いてる馬は軽い、軽い馬に乗ってくほうがラク、軽い馬をつくるのは自分の乗りかたである。
それにしても、人間が安定しないので、馬の口も安定させることができない。
人間が安定しないのは、動いていないからである。わかっちゃいるけど、それはむずかしい。
馬にアタマ上げられちゃうだけぢゃなくて、巻き込むようにしてハズされちゃうこともある。
そのたびに「手綱が長い」と言われる、「コンタクトをしっかり」と。
馬のクビを短くしてはいけない、長いまま前においておかなくては。

そしたら、速歩と常歩の移行もする。
速歩から、「常歩進め」で常歩にして、常歩から5歩目で速歩を最スタートする。常歩がダメだと、速歩が一歩目から出ない。
歩度を詰めたときとか、速歩から常歩へとか、駈歩から速歩へとかシフトダウンしたときに、人の動きが止まってしまう、これ今後しばらくのテーマだな。
こんどは輪乗りで駈歩。
ハネたりするとしたらここかと警戒したけど、なんもしない、反応もよろしいのでホメて、駈歩を前に出す。前に出るときは自分もカラダを思い切って動かせるんだけどね。
ふつうに駈歩してくれるんで、あまり内に向けようとか過剰な意識はしない。輪をきれいにすること、馬の真上にいて耳のあいだから前を見ることだけ意識する。
そうこうして、部班おしまい。ちょっとアブミが長すぎて、脚使おうとするたびカカトあがる私としては、何度もアブミ踏んづけられずに脱げちゃったけど、まあ馬がハネたりせずに動かせてよかった。

どうでもいいけど、馬には、顔に水かけられるのとても嫌う派と、シャワーヘッド大好き派の二種類があるのではないかと思う。パトリオートは後者みたい。
遠野っ子なんで、もちろんリンゴは大好き。

触ってもだいじょうぶだ、ってわかった馬が増えたのは、うれしい。
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オカザキ・ジャーナル

2015-06-04 22:20:08 | 岡崎京子
岡崎京子 2015年1月 平凡社
こないだのつづきで、岡崎京子関係の新刊。
この時期にいろいろと掘り出してくるねえ、ふしぎなことに。
マンガぢゃなくて、エッセイ。
『朝日ジャーナル』に1991年1月から1992年5月まで連載してた「週刊オカザキ・ジャーナル」と、『広告批評』に1992年6月から1993年12月まで載ってた「植島啓司と岡崎京子のFAX通信 コトバのカタログ」を完全収録ってことなんだが、私はどっちも読んだことなかった。
朝日ジャーナルは、この連載終了と同時に休刊しちゃったらしい。(←因果関係逆か?)
>悪いけど、あたしゃ今までなん誌の休刊に立ち会ってきたか。
とヲカザキは書いてるけど、小さいマンガ誌ならともかく、朝日ジャーナルまで終わるとはショックだったみたい。
その半年前くらいの1991年10月のところにも、
>ところで今秋、私の知っている限りで三つの雑誌が休刊する。した。『03』『モンパン』『やるまん・コミック・ギガ』の三誌。
って書いてあるけど、いずれも私は知らない。
同じ章に、
>私もまんが界のフリーター、紙業界のプーとして生きてきて早九年。いろんな雑誌が終わってゆくのを見てきたわ。(略)
>私が一番、個人的にココロ痛みフクザツな心境になったのは『平凡パンチ』及び『パンチザウルス』休刊のときです。
とも書いてる。んー、パンチザウルスは、名作「pink」も連載してたしねえ。
で、雑誌の休刊だけぢゃなく、この連載されてた時代、80年代が終わって90年代が始まったばっかのときってのは、湾岸戦争は始まるわ、ソ連は崩壊するわで、どうなっちゃうのと思う一方、なんかが終わってしまった感がいっぱいだったようだ。
終わっちゃったものは、たぶんにバブル的だった80年代なるものなんだが、そのかわりに素直に新しくて違う希望にみちた90年代が訪れるかというと、訪れてくれる保証も展望もなんもない、という感じだろうか、だったろうか、個人的には忘れちゃったな。
当時の風俗について、雑誌の特集とか、商品の宣伝とか、テレビとか新聞雑誌の報道とか、そういうもののバックにある資本主義的なものというか論理について、ヲカザキは何これ?おかしくない?と疑問を持っていたようだ、そんな箇所がいっぱいある。
80年代については、一度ハッキリと、
>この時代に生きようとする以上、「悪しき八〇年代的なもの」はすべてゴミ箱に廃棄するべきだと私は持っている。(略)
>今、世の中をうさんくさくさせているものは悪しき八〇年代の亡霊だ(と、思う)。(略)(p45)
と断じている。
おかしくなりはじめてる日本の大衆については、
>へんな感じ、と思うのがこの戦争を「良い」「悪い」という二元論で判断し語ってしまう人々のことである。(略)
>結論を常に用意しないと安心できないというどんかんさ。「良い/悪い」という道徳の時間的二元論でまずものごとを「解釈」してしまうお目出たさ。(略)(p22-23)
と見抜いてる。なんか西部邁さんとつながるものあるように感じるなあ。
バカに限って、自分で考えられないやつに限って、説明が足りないとか分かりにくいとか言うんだよなー、そんな簡単に分かるもんぢゃないよ複雑な世の中の事象。
その他、気になったとこをいくつか引用しちゃう。
たとえば、
>(略)私はかねてから「ヤンエグ」という言葉が良くわかんなかったので勉強した。結局、資本主義の忠実でいいコな奴隷、とゆうことが分かった。(略)
>「ヤンエグ」ってビデオ・モニター的だと思う。自分の姿をいったんモニターに映さないと自分を確認できないような…(略)(p86-87)
とか。
慣れない作詞をひとつやったときは、
>それにしても今、人のココロを本当に打つ歌というのはどこにあるのでしょう?(略)
>(略)関係なくて知らない世界でもとどく音と歌とことば。
>「共感」という想像力なき感覚が充満する時代がずっと続いていて、「自分とは関係ない何か」をキョヨーする体力ってとんと落ちてて。(略)(p.98-99)
と言ってる。鋭いと思う。このころから歌だけぢゃなくて文学でもマンガでも文化って、受け取り手には想像力がなくなって、その感じ分かるーって安易なものだけしか受け入れられなくなっていったね、きっと。
ところで、ヲカザキは、本業のマンガを書くのはわりと速いのに、このエッセイはたいした分量でもないのにすごく時間がかかることを正直に明かしてるけど、そこから、
>(略)マンガって、ある種の舌たらずな、言葉にうとい、分裂的な人間にとって「治療的な」役割を果たすのではないか、と。
>それが言いすぎだとすれば、ある種のマンガ(略)などは、感覚は分裂していてあたりまえ(分裂こそがキモチイイ)ということを私たちに教えてくれているのではないか、と。(p.130)
などということを言ってます。
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1拒止、減点4

2015-06-02 17:07:25 | 馬が好き
あかん!
4番目の障害で止まってしまった。
(ガラガラとバーを崩して大迷惑。)
中途半端なことしたなー。
ほかの落とさなかった障害も、かなり中途半端ー。
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試合前日、軽い運動だけ

2015-06-01 15:37:07 | 馬が好き
乗馬にいく。
(※以下、2015年6月8日追記)
先週28日の木曜日は、朝練に行って、マイネルレコルトに乗った。

障害やんなくてもいいやと思って行ったんだけど、やらせてくれるというので、フラットワークを相当念入りにやる。
マイネルレコルトは私にとっては、どっちかっていうと、エキサイトして止めるのに苦労するタイプなので、ブレーキかかること確かめる準備する。(おさえて、ゆずってくれたら、かえして、ホメる。)
そのせいか、馬の機嫌がいいせいかは知らないが、コンビネーションの練習やったんだけど、落ち着いて通過していくことができた。
「よかったですよ」とホメられて、その気になってしまうのは、私の精神構造が馬とたいして変わらないからだけど。
(※ここまで)
あしたは試合で、80cm障害に出るけど、いまさらやることは何もない。
ただ、恒例で、大会前日にいくと、屋外で乗らせてくれたりするんで、それを楽しみに行く。

きょうの馬は、コメット。はじめて。
7歳の牝馬、標茶っ子だ。日本スポーツホース種って、知ってるよ、要は乗馬用の雑種でしょw
コメットは、あしたの試合は何に出るんだろう? 最近ほかのひとの乗ってるの見てると、馬場馬術かな。私が乗っておかしなことにならないように(暴走しちゃうとかね)、そーっと乗ろうっと。

さて、予期したとおり、屋外の馬場で乗ることにはなったが、きょうは試合前日だから超軽めの運動だけだって。
あー、いいんぢゃないですか、私なんかきょうヘタに障害やってへぐったら、立ち直れなくなっちゃうだろうし。
私は二鞍目だけど、二人あわせて40分程度で終わるよということで。
周囲をみると、遠来の参加人馬たちも来てて、障害の練習なんかしてるが、わたしたちはその脇でサラッと乗る。
それでも、私が乗り替わったときには、なんか馬はスイッチ入れればすぐ行く状態みたいで、元気、元気。
常歩して、軽く速歩して、輪乗りで駈歩する。
だいたいの動きをたしかめたら、横木を駈歩でまたぐ、馬場の真ん中に置いた一本だけだけど。
駈歩で真っ直ぐ向かってきて、またいだら真っ直ぐ行く。横木またいだ後、馬に勝手に回転されないこと。
しかし、元気だねえ、まるで障害の経路走行してるくらいの勢いがある。
「ブレーキかけて、そのあと自分で前に出す、真っ直ぐ。こないだの練習と同じ、コーンの間を通過したときのように」ということで、だらーっと走られないようにブレーキかけて、そのあと脚つかって次があるかのように走らせる。
とはいえ、きょうはあくまで軽く乗るだけなので、数回やったとこで、おわりにする。

なんかすごい敏感というか、繊細なタッチの必要な馬だなあ、私の手には余る。
拳つかうとすぐガツンとぶつかっちゃいそうだし、なにか、たぶん脚ぢゃなくて、馬の背中を私がヘンにゴリゴリ圧しちゃってんだと思うけど、走れスイッチに触ってしまってるらしく、思ったより動かれてしまう、ちょっと苦手だな、こういう高級車。
常歩で馬場を一周してから帰る。いろんな障害置いてあるけど、ホントにこんなの飛べるのかな、俺。飛ぶのは馬だけど。
手入れして、リンゴやって、おわり。いつもより1時間くらい早く終わっちゃった。
明日の準備もいろいろあるみたいだけど、手伝えることないので、さっさと帰る。

あした乗る馬の馬名は、先週聞いたけど、いちども乗ったことない馬。ほかの人が乗ってんのも見た記憶がない。
準備馬場で直前に乗るだけしか感じつかむ機会はないが、そのとき自分になにができるのか、それはそれで楽しみ。貸与馬で試合するって、そういうことだから、いいんだ。
まあイイ馬だってのはわかりきってるんで、心配は何もない。2,3回飛んだら、あとは馬に任せて出ていくだけ。
(「イイ馬用意してやったのにヘタ乗りやがって」とか言われないだろうな、そこだけプレッシャー。)
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