陣内秀信 一九九二年 ちくま学芸文庫版
丸谷才一さんの「日本の町」を読んだときに、この本の話が出てきて、読んでみなくてはと思ったもので。
単行本が出たのは一九八五年のことだというので、いまからみれば、ずっと前ということになってしまう。
丸谷さんも刺激を受けたという富士山がランドマークって話は、江戸の町ってのは格子状につくるにしても、方角を東西南北の向きにあわせるんぢゃなくて、富士山とか筑波山を遠景として望む形に通りを設計するって、ある意味スケール大きいつくりのことである、なんかかっこいい。
まあ、あちこちに「富士見」(坂とか台とかつくこともある)って地名があったりするのは、関東地方では経験的に知ってることなんだけど、同時に「江戸時代から潮見坂と呼ばれていた坂は、東京に八つある」(p.182)というように、海のほうも見渡していたってことは初めて知った。
そうそう、主題は実は富士山ではなくて、東京は水の都だってことのほうで、
>江戸の場合には、豊かな水辺を都市の周縁部にとりこんでいたから、市民のだれもがこうした解放感に満ちた水辺の遊興空間を享受できた。(略)水辺には、同時に、高級な料亭から大衆的な水茶屋まで開放的なつくりの様々な建物が並んだから、どんな階層の市民も、風光明媚な水際の遊興施設の恩恵に浴すことができた。(p.154)
って江戸のすばらしさを説明してくれてるんだけど、それに比べて現在は川にみんなフタをしちゃって高速道路ばかりつくって、よかったものは失われちゃったってことに気づかされる。
そうだよねえ、渋谷とか有楽町とかどこに川があって橋がかかってたのかなんて、まったくわかんない。
そういう大都市ができる前に、そもそもどうやって江戸の町ができてきたのかっていうと、東京の地形は高台と谷がいっぱいあって、って話になると私なんかは中沢新一の「アースダイバー」をすぐ思い出したんだが。
高台や丘の上には大名の屋敷ができて、谷とか窪地のような部分には町人が住む家が広がってったんだそうで。
この屋敷づくりというもの、敷地を塀で囲んで、そのなかに門から入ってったとこに屋敷を置くという形が、のちのちまで街に影響したんだというのは解説されなきゃわかんなかった。
明治になって、江戸が東京になって、新しい役所とか企業とか学校とか作ってったときも、旧の屋敷を利用してったから、街並みが変わんない。
だからヨーロッパのような、中心から周囲へひろがる道路とかをつくるって都市計画にはなんないし、主要な建物が街路や広場に直接面しているってつくりになんない、町は格子状のままで、建物は柵のなかに引っ込んでいる。
>(略)敷地の形態やそのなかでの土地利用のあり方、さらには都市空間に対する意識構造といった、都市づくりの根幹に江戸からの連続性が強く働いていたことを見抜く必要があろう。(p.234)
ってのが、世界の他都市にはないユニークな東京の景観ができてった理由なんだと。
で、建物ばかり西洋で見てきたものを真似して、「塔」のようなものをつくるんだけど、なんかそこだけ唐突に立ってるだけで、都市の空間全体としては何か調和しない。
それでも計画的な広場がないなんてのは、そのうち自然に橋のたもとに広場がとられていくってスタイルで解消されていくんだけど。
そうやって江戸と東京は連続しているって説明をきくと、前になにかで(なんだっけ?)読んだ、江戸の持っていたものが消えちゃったのは関東大震災のせいである、みたいなことがよくわかる気がする。都市の歴史が断絶するような転換点だったんぢゃないかと。
それはそうと、私はやっぱ神話とか民俗信仰とかってほうに興味あるんで、
>こうして、高密な江戸の市街をはさんで北東の端に神田明神、南西の端に山王権現が置かれ、しかもそれぞれの氏子は市街の中央を流れる日本橋川筋によってほぼ二分される、というユニークな都市の空間構造が成立したのである。(略)この重要な二つの神社が両端に位置したのに対し、江戸の市街地の内部には大きな神社は全く存在しなかった。(略)
>このように江戸では、市街地の周縁部に、しかも自然の要素と結びつきながら宗教空間が成立したのである。すなわち、山の手では武蔵野台地の〈森(緑)〉が、一方、下町では海や河川の〈水〉が明らかに神聖な場所として考えられ、宗教空間を生み出した。(p.132)
みたいな、ひとの精神面と関わりのある空間の成り立ちみたいな話がおもしろく思えた。
大きな章立ては以下のとおり。
I 「山の手」の表層と深層
II 「水の都」のコスモロジー
III 近代都市のレトリック
IV モダニズムの都市造形
エイブラハム・S・ヒューイット/佐藤正人訳 1985年 サラブレッド血統センター
牡牝ともに無敗の三冠馬の誕生とか、GI通算8勝達成とか、めでたい話題がつづいた今年の秋競馬なんだけど。
そうなると、それにしても入場人員が極めて少数に限られるってのは、こういう歴史的イベントがあるっつーのに残念だあねという気がする。
(私自身は全然出かけてみたいなんて気にはならないんだが。)
もうここに並べてみせる競馬の本なんて持ってないだろうと思ったら、こんなのがまだ本棚にあったから油断ならない。
持ってんのは1991年の3刷だけどね、なんで当時の私がこういうの読もうと思ったんだか、もう憶えちゃあいない。
原著『THE GREAT BREEDERS AND THEIR METHODS』(偉大な生産者とその方式)は、1982年の出版で、元ネタは『ブラッド=ホース』とかの雑誌に発表したものだという。
著者は実際に生産者・馬主としてけっこう成功したひとだそうで。
競走馬の生産は、ゲノムをどうしたとか人工的に操作したりするもんぢゃないんで、生産者それぞれに理論というか信念のようなものがあって、そういうの読むのはおもしろいものではある。
ただ21世紀の今からすると、話は古いよ、ここでとり上げられてる研究対象は1835年から1982年までの生産馬だし。
でも古い時代の話のほうがおもしろかったりする、いろんな偶然に左右される要素が多いのかもしれないし、全体のレベルが高くなってないと思わぬところからヒーローが出たりする可能性があるから。
読んだのは私にとっても大昔だから、どんな内容かはおぼえてないんだけどね、この本。
やっぱフェデリコ・テシオとかには以前から興味あったし、おもしろいと思った。
「ある牝系に惚れ込んで身動きならなくなるのは愚の骨頂」だとか、自分トコの種牡馬はつけないでフランスやイギリスへアウトブリード求めて牝馬を送り込んだとか、そのへんが成功の秘訣だったらしい。
>テシオが牧場に新たな“血”を導入する際、一定の方式を守っていたことから判断すると、彼は私たちが「波動現象(ウェーヴ・モーション)」と呼ぶものを信じていた。競走能力が遺伝する場合には、上昇や下降が予想しうるというあの説である。テシオは、父から息子へというつながりで、イギリス・ダービー馬が3代を超えて続いたことはないと指摘している。(p.513)
ってあたり、なかなか重要な事実なんである。
コンテンツは以下のとおり。
第1章 アレクサンダー レキシントンを買った男
第2章 ダニエル・スウィガート ウッドバーンの実質的後継者
第3章 ベルモント 名馬は信念の外から
第4章 ジェームズ・R・キーン 成功の方程式
第5章 H・P・ホイットニー スピードによる生産とその限界
第6章 C・V・ホイットニー 袋小路からの出発
第7章 ジョン・E・マドン ターフの魔術師の魔術
第8章 E・R・ブラッドリー 職業ギャンブラー
第9章 ハンコック ビジネスとしての生産
第10章 ウィリアム・ウッドワード アメリカ的システムに抗して
第11章 グリーントリー 中庸的生産のジレンマ
第12章 カルメット その名はアメリカ・サラブレッドの代名詞
第13章 フィプス 名馬を持つゆえの悩み
第14章 E・P・テイラー 準一流国で成功する法
第15章 ジョン・ボウズ 孤独な成功者
第16章 サー・ヨセフ・ホーリー 繁殖牝馬、わずか8頭
第17章 ファルマス卿 輝かしき少数精鋭主義
第18章 ウェストミンスター公 3冠馬を2頭生産した貴族
第19章 ポートランド公 初心者の大いなる運
第20章 J・B・ジョエル 栄光の19年間
第21章 ホール・ウォーカー 偶然か必然か
第22章 ダービー卿 大躍進の3要素
第23章 アスター卿 3頭の牝馬とその子孫
第24章 アガ・カーン スピードを第1義にして
第25章 エドモン・ブラン 現代「フランス血統」の創始者
第26章 マルセル・ブサック 帝国の興亡
第27章 フェデリコ・テシオ マエストロの方法と意見
丸谷才一〈編〉 二〇一三年 講談社文芸文庫
前回のつづき、ってのは、これにも吉行淳之介が入っているから。
中古を買ったのは去年の夏ごろのはずだけど、ずっとほっといてしまって最近読んだ。
カテゴリーを「丸谷才一」に入れちゃったんだけど、丸谷さんの作品は入っていない。
それどころか、この文庫が出版される前年の2012年10月に丸谷さんは亡くなってしまったので、当初予定されていた巻末解説代わりの対談も実現しておらず、丸谷さんはこの本に登場していない。
で、その解説を見て初めて知ったのだけれど、丸谷さんは編者として、1980年に集英社文庫で『花柳小説名作選』というのを発行しているそうだ。(見たことない、またどっかで見つけなくては。)
どうでもいいけど、以前読んだ『文学全集を立ちあげる』のなかで、丸谷さんは、里見弴の小説を採るなら短編のほうがいいと言ったとこで、「やっぱり花柳小説というものは限界があるんだねえ。僕は、芸者遊びの話に興味が持てないんだよ。」と発言してたので、花柳小説に興味がないのかと思ったんだけど、そうぢゃなかったんだ。
本書の杉本秀太郎さんの巻末解説によれば、先に出された「名作選」のほうに、「花柳小説」とはなにかということについて、
>丸谷才一の説を要約すれば、花柳界を舞台とする小説だけではなく、バーのマダム、女給が一働きも二働きもする小説も、私娼が暗い陰から現れる小説も含めるという簡単な話になる。
と広義の定義がなされているんだそうである、だから「日本の近代文学の主流であるとさえいえる」ということらしい。
ちなみに、花柳という言葉は「花街柳巷(かがいりゅうこう)」の略だって、知らなかった、特に柳巷のほうね。(日本語入力しても変換もされなかったりして。)
一読したなかでおもしろかったのは、アクバル大帝の芝居をやる若い劇団の話の「極刑」と、先斗町の面白い芸者の小梅のことを書いた「てっせん」かな。
(言っちゃ何だが、志賀直哉とかホントどうでもいい。)
コンテンツは以下のとおり。
娼婦の部屋 吉行淳之介
寝台の舟 吉行淳之介
極刑 井上ひさし
てっせん 瀬戸内晴美
一九二一年・梅雨 稲葉正武 島村洋子
一九四一年・春 稲葉正武 島村洋子
母 大岡昇平
蜜柑 永井龍男
甲羅類 丹羽文雄
河豚 里見弴
妻を買う経験 里見弴
瑣事 志賀直哉
山科の記憶 志賀直哉
痴情 志賀直哉
妾宅 永井荷風
花火 永井荷風
葡萄棚 永井荷風
町の踊り場 徳田秋声
哀れ 佐藤春夫
吉行淳之介 一九九〇年 講談社文芸文庫
丸谷才一さんが『雁のたより』のなかで、「これだけ短くてしかもこれだけ完璧な短編小説」とか、「奇蹟的な傑作である」とか評してるんで、読んでみたくなったもの。9月ごろ買った古本の短編集。
吉行淳之介って、有名なんだけど、私はほとんど読んだことがないと思う、なんでだかわかんないけど。
イメージとしては、村上春樹さんが「吉行淳之介という人は我々若手・下ッ端の作家にとってはかなり畏れおおい人である。」(『村上朝日堂』p.122)って書いてたのがすごく記憶に残ってんで、そういうひとなんだろうなって勝手に思い込んでる。
百目鬼恭三郎さんの『現代の作家一〇一人』では、「日本の自然主義文学は、事実を媒介にして、読者の感受性に訴える文学であった。吉行のは、現代絵画的なイメージによって、読者の想像力に働きかけようという文学である。」と、その手法を評されている、自然主義的ぢゃないよと、むしろ抽象絵画みたいなとこあるよと。
んで、表題作の「鞄の中身」は、文庫にして12ページとたしかに短い。
最初のとこに「夢の話である」ってことわってあるように、夢の話。
自分の死体が地面に倒れているのをみて、どこかに隠さなくてはと思って、そこにあった手軽に持ち歩ける大きさの鞄に、くにゃくにゃした死体を折りたたんで入れて、その鞄を提げて逃げる。
鞄を持っているのも自分、中身の死体も自分。
うーん、不条理系なんかをよろこんで読んでた若いころなら、おもしろいと思って、これはなんの象徴なのか心象なのかとか、理解してないままに、深くていいねえ、みたいに感じ入ったかもしれないが、最近あまりそういうの好みぢゃないというか、楽しめなくなってる気がする。
ほかの短編も、ちょっと不気味なテイストがあって、あー、こーゆの書くひとだったんだ、と初めて認識した次第。
コンテンツは以下のとおり。
手品師
家屋について
風呂焚く男
錆びた海
白い半靴
子供の領分
雙生
埋葬
曲った背中
廃墟の眺め
流行
紺色の実
蠅
古い家屋
百メートルの樹木
鞄の中身
三人の警官
ミスター・ベンソン
暗闇の声