何か、最近チベットの記事がよく目につく。
朝日新聞で、"岐路に立つチベット”というシリーズがスタートした。
右にも左にも加担するものではないが、朝日のNHKに関する記事に対するクロージングに納得した知識人は、どこにもいないだろう。落ち度があったと言われて、反論もせず、うなずきもせず、謝りもせず。
変えるのが面唐ュさくて、購読を続けているが、戦争でひどい目にあっていて、情報調達手段の限られる親の世代では、朝日新聞の記事で、すっかり、安部、中川両氏が極悪人になっている。
ということで、このシリーズも、どういう方向になるのか、極めて疑問なのだ。現在のチベットは、日本が軍国主義に戻る可能性が極めて低いのと同じくらいのレベルで、チベット民族に自治権が認められ、ダライラマさんが帰国できる可能性は、低いと考えている。そういった意味で、何が”岐路に立つ”のだろうか。「このままでは、チベットの文化が失われてしまう」などというお茶を濁すような結論の記事では、まさにお手盛り記事と言われてもしかたがない。「本当の意味での岐路に、立ちようがない」というのが、チベットの悲しい現実ではないだろうか。
写真は、ポタラ宮と、その前に大きく掲げられたトウ小平氏生誕100年を祝う真っ赤な垂れ幕(2004年8月)です。