あまり、政治的な話題には、触れたくはないのだが、亜細亜人の立ち場から、一言触れなければなるまい。
戦争で亡くなった方に対し、国家が何らかの儀式を行うことは、どこの国でも行われていることであるし、8/15に戦没者追悼式が行われているのが、それに当たるかもしれない。それで、なおかつ靖国に参拝するのは、やはり、軍国主義時代の流れを汲んでいると、亜細亜の国々を始めとした諸外国から、疑いの目で見られるのはやむをえない。A級戦犯まで奉られてしまっている。
亜細亜の国々は、第二次世界大戦時の日本の行動はとりあえず横において(忘れた振りをして)、経済的なパートナーとして共存共栄を図ろうとしている。その中で、日本のTOPが靖国参拝にこだわるのは、奇異に写る。亜細亜の国々が忘れた振りをしてあげようとしているのに....
シンガポールも、日本に占領され、その圧政下で数万人の犠牲者が出ており、日本が侵攻した日には、駐在日本人は、今でも、行動を控え目にしている。シンガポール建国の父リークァンユーも、日本は、正式に謝罪していないと理解し公言している(自伝によると、彼の命も危なかった)。でも、日本とは、外交上うまくやっている。国内では、国民に対しては、日本占領時代の悲惨さを忘れさせない教育を未だに続けている(対日というよりは、防衛の重要性理解と国家のidentity維持のため)。それが政治というものだ。
戦後処理が、敗戦のドサクサの中、主体的に行えず、ここまで来てしまった中(本来は、戦後処理の中で、日本としての、しっかりした外交、主張ができていれば、こんな混沌とした事態は避けられたであろうが)、戦後60年の歴史を踏まえた現実的な対応が必要なのではないか。
中国も、経済発展を続けざるをえない宿命にある中(10億を越える民の生活を維持するのは、至難の業なのである)、日本とのパートナーシップは、引き続き重要であり、この件は触りたくない事象であるのに、触らざるをえなくさせる行動を、国家のTOPが、繰り返す必要はない。
これは、外交上の敗北でも何でもなく、日本国民にとっての首相靖国参拝の意義の大きさと、やはり日本国民にとっての世界の国々との協調関係の重要性を天秤にかけた、政治的な判断の結果としての対応と思うのだが。