かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

マカオその1 ベネティアン・マカオ

2008年10月06日 | China・Mongolia



マカオには、初めて行った。
マカオといえば、カジノ。何と、ラスベガスを抜いてしまった。
その原動力となっているのが、一年前にオープンした世界一のカジノであるベネティアン・マカオだ。

ここで、ちょっと説明が必要かもしれない。

歴史の話をすれば、ポルトガル人がインド、マラッカから、マカオにやってきたのは、16世紀始めのこと。そして、16世紀半ばに、ポルトガルが、マカオの居留権を得た。そして、生糸や、銀の交易で、莫大な利益を得たのである。イエズス会の本拠地として、東方への布教活動も積極的に行われた。ところが、江戸幕府が鎖国したため、その繁栄に陰りが見え始め、日本から追放されたキリシタンが、マカオに来るようにもなった。マラッカがオランダに占領された後、結局東チモールと、マカオを除いて、ポルトガルの亜細亜の拠点は失われた。その後は、マカオは、中国と西洋の窓口に変容したのだ。そして、イギリスが、アヘン戦争で、香港を手に入れてからは、西洋の中国との貿易窓口という特権も、失われていった。

地理の話をすれば、マカオは、大きく二地区に分かれる。一つは、半島部で、中国本土とつながっている。そこから三本の橋で結ばれているのが、タイパ島とコタイ島で、その二つの島の間を埋め立てて、一つの島にしたところに、ベネティアン・マカオはある。
いわば、半島部が旧マカオで、島の部分が新マカオ。ポルトガル領だった時代のマカオは、旧マカオが中心だった。新旧マカオに多くのカジノが存在する。従来は、怪しげなカジノが多かったらしいが、最近は、ラスベガスの資本が多く流入し、近代的なカジノに衣替えしてきた。
港は、新マカオ、旧マカオ双方にあり、そこで、カジノへの無料送迎バスが出迎えてくれる。空港は、新マカオにある。香港、深センへ空港は、港からフェリーで直接行けるが、荷物類もマカオでチェックインできるので、極めて便利である。



これは、ベネティアン・マカオの内部。カジノそのものは、撮影禁止だが、階段の陰にちょっと台が見えるかもしれない。とにっかく壮大。見渡す限りカジノで、東京ドームの観客席を含めた面積なのだそうだ。この写真は、朝のもので、人影がないが、夜は、いたるところで、ゲームに集中している人々と、それを見ている野次馬であふれかえっている。



このカジノは、全てが華美だ。客の気分を高揚させる仕掛けになっている。高級ブランドショップが延々と並んでおり、仮に、カジノで買っても、お金を自宅までは持って帰れないようにする仕掛けも万全である。



名前の通り、イタリア風の装飾が隙間なく、なされている。



これは、ベネティアン・マカオの三階にめぐらされた運河?の街?である。屋内であり、空に見えるのは、天井に描かれた空。



もちろん船に乗ることもできる。ピーク時は、行列になっていたが。



キンキラのパフォーマー?もいる。



朝食ビュッフェ用レストランまで豪華である。



シルクドソレイユのショーもやっていた。Avrilさんのコンサートや、プロテニスマッチも予定されていた。Avrilさんのは、もう終わったかな?





その回りには、同様の高級ホテルが所狭しと建設中なのである。

ということで、ラスベガスに20年近く前に行って以来のカジノだった私にとって、この巨大カジノは、筆舌に尽くしがたい虚構の豪華さだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする