かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

デヴィッド・ボウイ 幻想と素顔の狭間で

2025年01月21日 | Music


今日は、日中、家事に集中し、夕方から映画。
本当に久しぶりのムービル。
かなり古くなって、建て替えが決まっているが、映画館自体は、109が運営していて、綺麗だし、整備もしっかりしている。
シネコン全盛で、苦労は、していると思うが。
近くは、若者の歓楽街で、若い時、飲みにいくのは、いつも近くの五番街だった。
ムービルだけ立て替えてもという感じもするが。



まぁマニアックな映画。
ボウイの、デビューからグラムロック時代までを、ドキュメンタリータッチで、関係者が語る。
特に、最初の奥さんのアンジーの証言が貴重。
ナッシングから、スーパースターになった過程を、当事者として語ってくれる。

元々歌の独創性は際立っていたが、それをどうスーパーにするか。
ジャンルもフォークなのか、ロックなのか。
バンドをどうするのか。
そして、バンドメンバーが登場するが、その楽曲の制作過程が興味深い。
最初のアイデアは、ボウイが持ち込むが、その場で、どんどんアイデアが加わり、でもテイクは、マックス3回という。
当時の流行りとは、違う手法だったが、ラッキーなことにスターダムにのし上がった。

ツアーも、回を重ねる毎に、巨大化。
日本のツアーも、チャレンジングだったそうだが、当時の日本では、大人気ミュジシャンの来日として、大きな話題になっていたと記憶する。
みな、ビートルズの次のスターに飢えていた。
同級生のお姉さんが、仙台から武道館に行って、大感激したという話も聞いた。
それに続くアメリカ公演も、大成功だった。

ところが、ピークに達したところで、ツアーメンバーを突然解雇してしまう。
給料も支払われなかったという。

ボウイだけではなく、ほとんど4人で作り上げてきた世界なのに。
アメリカのドラッグのせいだと言うが、そうなのだろう。
最初の奥さんのアンジーが言うのだから、間違いない。
でなければ、こんな薄情なことができるはずはない。
NYのスター達との派手な交流が報道されたのも、この頃だったと記憶する。



映画は、ここで唐突に終わる。
その先は、まったく別のボウイが、別の世界を作っていくのだが。
私は、幸いなことに、その最終形のボウイを見れた。
早逝したが、その歳に私も近づきつつある。



何故か、ミュージシャン絡みの映画が次々リリースされる。
本コンサートのBDは、ゲットしているのだが、まだ見れていない。
映画が先行しそう?



謎に満ちたディランのドキュメンタリー・タッチの映画も封切り予定という。
ミネソタから、私の住んでいた近くのイリノイ州にしばらくいたとされていたが、どうもニューヨークに直接行ったらしい。
どう映画で描かれているか、興味深々なのだが、行けるかな?

ということで、初期のボウイを、当時の映像と、関係者のインタビューにより、リアルに感じることができた。

ボウイファンは、マスト。
コメント
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