かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ジャカルタ湊

2018年03月16日 | Singapore・Malaysia・Indonesia


今日は、ジャカルタから、北へ30分ほど行ったところにあるジャカルタ港の近くでお仕事。
これは、ランチのデザート。
何を、かたどっているのか?

そこらかしこに、デモェ積み上げられている。
クレーンなしで、6段まで、積める。



ただ工業地帯の、移動により、貨物類も、より郊外へ移りつつある。



遠くに港が見える。
夕方にかけて、雨が降ってきた。

明日は、早くも、最終日。



素晴らしいディナーで、飲みすぎた?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャカルタの渋滞

2018年03月15日 | Singapore・Malaysia・Indonesia


ジャカルタの渋滞は、有名だが、まだ、改善の兆しは見えない。

道路整備よりも、車の増加スピードが早いのだ。
市内に入れる車を、ナンバーで、制限したり、高速に入れるトラックの時間帯を制限したり。
高速の複線化」、二階建て化の工事も進んでいる。
もちろん、中心部の、MRTも。

中国が受注した高速鉄道は、間に合わないが、その他のプロジェクトは、来年の大統領選をにらんだ、スケジュールになっているという。



流石に車の増加スピードも落ちるだろうから、5年後は、もう少しましになっているかもしれない。
というより、そうでなければいけない。
駐在の人と話してたら、勤務時間の、80%は車の中という感覚だそうだ。
今日も、まさに、その通り。
近くても、車の混む場所にある居酒屋は、敬遠されているという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャカルタ

2018年03月14日 | Singapore・Malaysia・Indonesia


今日は、一年ぶりに、ジャカルタに来た。
空港のターミナルを結ぶ、MRTは完成。
都市部のMRTももうすぐだ。
しかし、渋滞ほ、ますます凄い。
今日は、ベトナムタイインドネシアのサッカーの試合で、ますます。



夜は、築地直送の刺身?

機内で、三本映画を見たが、一言感想。

オリエント急行は、豪華な俳優でのリメークだが、ストーリーに新味なく、リメークの必然性に?

今話題のシェイプオブウォーターは、話題通りで面白かった。
ただ、ウルトラQのラゴン、ETを思い出させるストーリーで、やや陳腐なスパイ映画的な要素もあり、凄いという感じでもない。

日本人が、メークアップ賞を受賞し話題になったチャーチルだが、三作の中では、一番、重みの感じられる作品か。
チャーチルが、首相になっていなかったら、違った世の中になっていたのか?
それはわからないが、当時のギリギリの判断を迫られたチャーチルのキャラクターが凄い。
学生時代、チャーチルのエッセイを読む勉強会をやっていたことがあったが、文学的にもすばらしいものだった。
スピーチの構成力の高さも、チャーチルが、頑張れた大きな要因であったと思う。

三作とも、面白くはあったので、念のため。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三陸の歴史未来学

2018年03月13日 | Books


本書は、先日、著者の久慈さんの講演を聞いた縁でゲット。
正直ややマニアック。

とにかく三陸に関する逸話を、局地的に掘り起こし、記録した本という感じ。
著者も、忘れ去られつつある三陸に伝わる話を記録に残しておきたかったというから、体系的な堂々とした大著にする気持ちはなかったのだろう。

掘り下げている部分の掘り下げ方は、凄い。元の本か、元の話があるのだろうが、知らない話がたくさん。
義経伝説がこんなに多くあるとは。江戸時代にこんなに一揆が多発していたとは。

読み進むと、三陸の特殊性(江戸や京より、北を向いている)、平泉に象徴されるように独立心が強い、庶民の力が強く、逆に、上に立つ者に恵まれなかった歴史などが、わかってくる。
沖縄ほどではないが、日本とは、一線を画した世界があった。

我が高校の先輩である井上ひさしさんの吉里吉里人も、この三陸の歴史と無縁ではない。
その他にも有名人多数。

東北新幹線ができた今も交通が不便なところで、3.11もあったことから、今後存続が難しい地区も出てくるだろう。
しかし、豊富な海産資源に恵まれた風光明媚な土地柄であり、温故知新で、国おこしを図って欲しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Tony Barrow

2018年03月12日 | The Beatles
今晩、飲み屋に行ったら、知り合い複数と遭遇。
同窓会会場ではないのだが。



Beatlesに関わって、数奇な人生を送った人は、山ほどいるが、Tony Barrowもその一人だろう。
彼の名刺をゲット。

1962年から1968年、NEMSのロンドンオフィスのトップだったから、まさにビートルズと共に生きた人と言える。

ビートルズがハンブルグで下積みをしている時代、Tonyは、リバプールからロンドンに出て、ビートルズが落とされたデッカで、ライナーノーツを書いていたという。それがビートルズのマネージャになったばかりのブライアンエプスタインの目に止まり、ビートルズについての記事を書くように頼まれたのが始まりという。
そして、ビートルズのメジャーデビューから、ビートルズと関わることになった。
何たる偶然というか必然というか。
ブラインは、デッカの2倍の給料の条件で、NEMSにリクルートしたという。
NEMSのロンドンオフィスの経営をさせながら、プロモートしているミュージシャンのプロモートをさせたのだという。

再販されたクリスマスレコードも、Tonyの発案という。
その後、世界ツアーにも同行し、星加さんが、ビートルズと接する機会を作ったのも、Tonyだ。
ブライアンの死後、独立し、イギリスのミュージシャンの世界デビューに大きく貢献した。
ただ、パンクなどにはついていけず、ジャーナリストになり、さまざまな著書を著した。



この名刺には、裏にTonyのサインがある。
NEMSの名刺だから、ビートルズが現役の1960年代半ばのものだ。

初めて見た珍品。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする