よい言葉、見つけましたので、この一年も幸福であることを願い掲載いたします。
逆説的な表現が、何かよい感じです。
子育てで、大事なことが書かれてもいます。
「楽しい」、「好き」、「怠け(ゆとり)」が、なにより子どもにとっても大事です。
好きから入るのが、得策だと思います。
子どもの好奇心を伸ばせていけると、すごくいい。
乳幼児期から、その芽生えがあります。
人生の教訓@jinsei_kyoukun ·
【失敗する人の法則】
・目標も計画もない
・苦労、努力、頑張ること自体が目標
・自分の不得手なこと、嫌いなことを仕事にする
・効率の追及のみ
・勉強したことを使わない
・苦手分野を克服しようとする
・嫌な相手とつきあう
・言葉、態度が人によって違う
子どもの好奇心を伸ばせていけると、すごくいい。
乳幼児期から、その芽生えがあります。
人生の教訓@jinsei_kyoukun ·
【失敗する人の法則】
・目標も計画もない
・苦労、努力、頑張ること自体が目標
・自分の不得手なこと、嫌いなことを仕事にする
・効率の追及のみ
・勉強したことを使わない
・苦手分野を克服しようとする
・嫌な相手とつきあう
・言葉、態度が人によって違う
若者よ、君の20年後の飯の種は「今存在しない仕事だ」
NPO法人フローレンス代表理事 駒崎弘樹(6) (1/4ページ) 2013/11/26 6:30
→ http://www.nikkei.com/article/DGXBZO62980660S3A121C1000000/
ときどき、ものの見え方を変えてくれる文章がある。
今日であった、文章。
Ai tan@aitanTX
ネイティブアメリカンの人たちは、
木のことを「立っている人々」、
魚のことを「水を泳ぐ兄弟」、
鳥のことを「空を飛ぶ兄弟」、
動物のことを「四本足の兄弟」
と呼びます。
自分だけじゃなく、人間だけじゃなく
みんなで幸せになろうっていう
やさしい生き方。
今日であった、文章。
Ai tan@aitanTX
ネイティブアメリカンの人たちは、
木のことを「立っている人々」、
魚のことを「水を泳ぐ兄弟」、
鳥のことを「空を飛ぶ兄弟」、
動物のことを「四本足の兄弟」
と呼びます。
自分だけじゃなく、人間だけじゃなく
みんなで幸せになろうっていう
やさしい生き方。
元毎日新聞論説委員、経済ジャーナリスト北村龍行氏が、3月27日毎日小学生新聞「ニュースの窓」に、『東電は人々のことを考えているか』と題し、「東京電力というひとつの会社が、日本で暮らす人々の生活や、日本の経済を危なくしている。(中略)東京電力は、…地域独占で、競争がない。鉄道会社のようにお客さんの命を預かっているわけでもないし、お客さんから直接、文句を言われることもない。経営は安定している。そのためか、危険が生まれた時に、どうすればいいのかという訓練を受けていない。そんな会社に、危険もある原子力発電所や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」とコラムを書いた。
そのコラムを読んで、東京都内の小学校六年生「ゆうだい君」(仮名)が意見を寄せた。
「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です…」で始まる一連の文書は、小学生とは思えないほど、論旨も主張もはっきりとしており、感動を覚えさせるものであった。
編集部員は、ゆうだい君のご自宅にお邪魔して、ゆうだい君とそのご両親に面会をして書かれたときの様子をお聞きし、北村氏のコラムを読んで思うことがあったゆうだい君は、夕方のわずかの時間で自分の考えをまとめて書き上げ、そのまま投函したというお話をお伺いした。
毎日小学生新聞では、東電の社会的責任が避けられない段階になるのを見届けて、5月18日の毎日小学生新聞で手紙の内容を紹介するとともに、全国のこども達に意見募集をした。
翌日以降多数の手紙が届き、中にはクラスや学校単位で意見をまとめ送ってくれたところもあった。
それらをまとめて『僕のお父さんは東電の社員です』(毎日小学生新聞編、現代書館)が同年8月に出版されるにいたる。
***********************
ゆうだい君 、勇気ある手紙のメッセージをどうもありがとう。
この度の原子力発電事故災害は、ゆうだい君が書くように、東京電力一企業がすべて悪いわけではなく、ましてや、東電の社員が悪いわけでは毛頭ない。
ゆうだい君が手紙で引用した箇所でもあるが、『東電は人々のことを考えているか』と題し、「東京電力というひとつの会社が、日本で暮らす人々の生活や、日本の経済を危なくしている。(中略)東京電力は、…地域独占で、競争がない。鉄道会社のようにお客さんの命を預かっているわけでもないし、お客さんから直接、文句を言われることもない。経営は安定している。そのためか、危険が生まれた時に、どうすればいいのかという訓練を受けていない。そんな会社に、危険もある原子力発電所や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」と、元毎日新聞論説委員、経済ジャーナリスト北村龍行氏が、指摘している。
「原子力」という得体のしれないものを一企業にまかせきりの状態にしてしまったことこそが、ことの発端であり、今回の原子力発電所事故の責任を負わなければならないのは、多量の電力を必要とする社会構造を作り出し、それを享受し、助長し、かつ、地震国日本に54基もの原子力発電所を稼働することの体制を許してしまった私たち大人ひとりひとりに責任がある。津波やそれに伴う電源確保対策は、「想定できる」はずのものであったにも関わらず、「想定外」と表現し、その責任までも回避しようとしては決してならない。
私たち大人が最大限に努力して、その責任に報いることは、すなわち、これからも進行するであろう被害を最小限に止める努力をすることと、同じ過ちをもうこれ以上繰り返さぬようにすることであると考える。
被害を最小限に止める努力をするためには、事故原発の炉心の把握や汚染の広がりの把握と除染(避難)、放射線被ばくによる健康影響の把握が欠かせない。
同じ過ちを繰り返さぬためには、今回の事故に至る原因を徹底的に検証されることが求められる。思考過程をたどるためには、事故直後の政府の原発関連会議議事録が重要であるが、それが意図的かどうかは別にしても、存在していないという最近の報道はとても残念に感じる。
事故検証後、原子力発電を選ぶか再生エネルギーにシフトするか、ゆうだい君が指摘するように徹底的に議論をすべきところである。他人事としてではなく、すべての国民が当事者意識をもって議論し、その考えを政治に投票行動としても反映していただきたい。日々の生活の中であれば、不買運動として行動するのもよい。現在、大阪や東京で原発稼働の是非を問う住民投票実施を請求する署名が実施されているが、エネルギー政策を考え直すよいきっかけを与えてくれるものと私は賛同する。
再稼働ありきで、議論が進められることを許しては絶対にならない。検証がなされないうちからの再稼働は私にとっては論外である。説明会のやらせの問題、審議会委員が電力会社から多額の寄付を得ているなど利益相反の問題、スポンサーである電力会社からの圧力に屈するマスコミ報道姿勢の問題などが繰り返されないように望む。学術団体は、各々の専門分野での提言を積極的に発信するとともに、学術団体がその専門分野を超えた学際的な協議ができる場が創設されることを期待したい。
ゆうだい君はじめ、将来の子どもたちには、三つの御願いがある。
まず、メディアリテラシーを身につけていただきたい。何が真実かを、溢れる情報の中から見いだせるようになってほしい。「先生が言ったから正しい。」というのではなく、「先生がどういう理由で言っているから、正しい。」と判断できるようになってほしい。大人も、「専門家が言ったから正しい。」とそこで思考停止をしてしまうことがよくあり、それは、「先生が言ったから正しい。」の域を超えることができていない。また、人脈やインターネットを駆使し、極力、「一次情報」に当たることで、バイアスがかかることを防ぐことができるであろう。
次に、それら情報から真実を見いだし得たなら、その真実と異なる方向に進んでいきそうな現実をみた時に、その場の空気や同調圧力に流されることなく、自分の意見をはっきりと述べることができるようになってほしい。まさに、東電の社会的責任が避けられず、東電バッシングのその最中に、ゆうだい君の「僕のお父さんは東電の社員です。」と述べたその勇気をこれからも持ち続けてほしい。
そして、最後に、東日本大震災であらためて私たち日本人の誇りとして確認し得た「思いやりの心」をこれからも大切に持ち続けてほしい。ひとつの企業の利益、ひとつのまちや地域の利益だけを追求するのではなく、相手や社会全体の利益になることまで思い巡らし、物事の判断を下せるようになってほしい。
ゆうだい君達に、復興した新しい日本として、二度と「想定外」の言い訳を繰り返さない日本として、バトンが渡せるように私たち大人がそれぞれの持ち場で責任を果たし続けます。
そのコラムを読んで、東京都内の小学校六年生「ゆうだい君」(仮名)が意見を寄せた。
「突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です…」で始まる一連の文書は、小学生とは思えないほど、論旨も主張もはっきりとしており、感動を覚えさせるものであった。
編集部員は、ゆうだい君のご自宅にお邪魔して、ゆうだい君とそのご両親に面会をして書かれたときの様子をお聞きし、北村氏のコラムを読んで思うことがあったゆうだい君は、夕方のわずかの時間で自分の考えをまとめて書き上げ、そのまま投函したというお話をお伺いした。
毎日小学生新聞では、東電の社会的責任が避けられない段階になるのを見届けて、5月18日の毎日小学生新聞で手紙の内容を紹介するとともに、全国のこども達に意見募集をした。
翌日以降多数の手紙が届き、中にはクラスや学校単位で意見をまとめ送ってくれたところもあった。
それらをまとめて『僕のお父さんは東電の社員です』(毎日小学生新聞編、現代書館)が同年8月に出版されるにいたる。
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ゆうだい君 、勇気ある手紙のメッセージをどうもありがとう。
この度の原子力発電事故災害は、ゆうだい君が書くように、東京電力一企業がすべて悪いわけではなく、ましてや、東電の社員が悪いわけでは毛頭ない。
ゆうだい君が手紙で引用した箇所でもあるが、『東電は人々のことを考えているか』と題し、「東京電力というひとつの会社が、日本で暮らす人々の生活や、日本の経済を危なくしている。(中略)東京電力は、…地域独占で、競争がない。鉄道会社のようにお客さんの命を預かっているわけでもないし、お客さんから直接、文句を言われることもない。経営は安定している。そのためか、危険が生まれた時に、どうすればいいのかという訓練を受けていない。そんな会社に、危険もある原子力発電所や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」と、元毎日新聞論説委員、経済ジャーナリスト北村龍行氏が、指摘している。
「原子力」という得体のしれないものを一企業にまかせきりの状態にしてしまったことこそが、ことの発端であり、今回の原子力発電所事故の責任を負わなければならないのは、多量の電力を必要とする社会構造を作り出し、それを享受し、助長し、かつ、地震国日本に54基もの原子力発電所を稼働することの体制を許してしまった私たち大人ひとりひとりに責任がある。津波やそれに伴う電源確保対策は、「想定できる」はずのものであったにも関わらず、「想定外」と表現し、その責任までも回避しようとしては決してならない。
私たち大人が最大限に努力して、その責任に報いることは、すなわち、これからも進行するであろう被害を最小限に止める努力をすることと、同じ過ちをもうこれ以上繰り返さぬようにすることであると考える。
被害を最小限に止める努力をするためには、事故原発の炉心の把握や汚染の広がりの把握と除染(避難)、放射線被ばくによる健康影響の把握が欠かせない。
同じ過ちを繰り返さぬためには、今回の事故に至る原因を徹底的に検証されることが求められる。思考過程をたどるためには、事故直後の政府の原発関連会議議事録が重要であるが、それが意図的かどうかは別にしても、存在していないという最近の報道はとても残念に感じる。
事故検証後、原子力発電を選ぶか再生エネルギーにシフトするか、ゆうだい君が指摘するように徹底的に議論をすべきところである。他人事としてではなく、すべての国民が当事者意識をもって議論し、その考えを政治に投票行動としても反映していただきたい。日々の生活の中であれば、不買運動として行動するのもよい。現在、大阪や東京で原発稼働の是非を問う住民投票実施を請求する署名が実施されているが、エネルギー政策を考え直すよいきっかけを与えてくれるものと私は賛同する。
再稼働ありきで、議論が進められることを許しては絶対にならない。検証がなされないうちからの再稼働は私にとっては論外である。説明会のやらせの問題、審議会委員が電力会社から多額の寄付を得ているなど利益相反の問題、スポンサーである電力会社からの圧力に屈するマスコミ報道姿勢の問題などが繰り返されないように望む。学術団体は、各々の専門分野での提言を積極的に発信するとともに、学術団体がその専門分野を超えた学際的な協議ができる場が創設されることを期待したい。
ゆうだい君はじめ、将来の子どもたちには、三つの御願いがある。
まず、メディアリテラシーを身につけていただきたい。何が真実かを、溢れる情報の中から見いだせるようになってほしい。「先生が言ったから正しい。」というのではなく、「先生がどういう理由で言っているから、正しい。」と判断できるようになってほしい。大人も、「専門家が言ったから正しい。」とそこで思考停止をしてしまうことがよくあり、それは、「先生が言ったから正しい。」の域を超えることができていない。また、人脈やインターネットを駆使し、極力、「一次情報」に当たることで、バイアスがかかることを防ぐことができるであろう。
次に、それら情報から真実を見いだし得たなら、その真実と異なる方向に進んでいきそうな現実をみた時に、その場の空気や同調圧力に流されることなく、自分の意見をはっきりと述べることができるようになってほしい。まさに、東電の社会的責任が避けられず、東電バッシングのその最中に、ゆうだい君の「僕のお父さんは東電の社員です。」と述べたその勇気をこれからも持ち続けてほしい。
そして、最後に、東日本大震災であらためて私たち日本人の誇りとして確認し得た「思いやりの心」をこれからも大切に持ち続けてほしい。ひとつの企業の利益、ひとつのまちや地域の利益だけを追求するのではなく、相手や社会全体の利益になることまで思い巡らし、物事の判断を下せるようになってほしい。
ゆうだい君達に、復興した新しい日本として、二度と「想定外」の言い訳を繰り返さない日本として、バトンが渡せるように私たち大人がそれぞれの持ち場で責任を果たし続けます。
朝日新聞の「斬新な」と言いましょうか、成人の日を祝っての社説です。
がんばって、若者に語りかけようとする努力がなされています。
上から目線は、いかがかという点はございますが、言わんとする趣旨には共感するところもございます。
*****朝日新聞 社説(2012/01/09)*****
成人の日に―尾崎豊を知っているか
ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。
キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長い長い列を作ったものだ。
新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。
彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。尾崎の歌は高校の教科書にも採用されたほどだ。
ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。
オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
尾崎豊はどこへ行ったのか。
あの時の尾崎と同じ26歳、気鋭の社会学者、古市憲寿さんには「オヤジよ、放っておいて」と言われそうだ。
近著「絶望の国の幸福な若者たち」では、20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で最高だ。
将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。
なるほどね。いくら「若者よもっと怒れ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。
でも、言わせてもらう。
私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。
だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。
ともあれ、おめでとう。
がんばって、若者に語りかけようとする努力がなされています。
上から目線は、いかがかという点はございますが、言わんとする趣旨には共感するところもございます。
*****朝日新聞 社説(2012/01/09)*****
成人の日に―尾崎豊を知っているか
ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。
キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長い長い列を作ったものだ。
新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。
彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。
その心象が、若者の共感を呼んだ。尾崎の歌は高校の教科書にも採用されたほどだ。
ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。
オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。
教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?
でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。
だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。
尾崎豊はどこへ行ったのか。
あの時の尾崎と同じ26歳、気鋭の社会学者、古市憲寿さんには「オヤジよ、放っておいて」と言われそうだ。
近著「絶望の国の幸福な若者たち」では、20代の7割が現在の生活に満足している、との調査結果を紹介している。過去40年で最高だ。
将来の希望が見えないなか、未来を探すより、親しい仲間と「いま、ここ」の身近な幸せをかみしめる。そんな価値観が広まっているという。
なるほどね。いくら「若者よもっと怒れ」と言っても、こんな社会にした大人の責任はどうよ、と問い返されると、オヤジとしても、なあ……。
でも、言わせてもらう。
私たちは最近の社説でも、世界の政治は若者が動かし始めたと説き、若者よ当事者意識を持てと促した。それだけ社会が危うくなっていると思うからだ。
だから、くどいけれど、きょうも言う。成人の日ってのは、そんなもんだ。
ともあれ、おめでとう。
以前も、掲載http://blog.goo.ne.jp/kodomogenki/e/f452514e855604f65e356006a00716d4致しましたが、成人になられた皆様を祝福することに合わせ、谷川俊太郎氏の詩を掲載させていただきます。
********************************
-成人の日に- 谷川俊太郎
人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ
*****以上、*******
********************************
-成人の日に- 谷川俊太郎
人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上がったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見にまどわされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ
*****以上、*******
クリニックには、一足早くサンタクロースがやってきました。
素材は、トイレットペーパーのロール部分。
よい子をお出迎えしています。
中央区教育委員会では、貴重な見解が出されることがあります。
それを大切に受け止め、教育の現場で生かせていければと考えます。
本日2011/12/8の教育委員会定例会では、区長への手紙で、「中学校にあがったら、女子野球部を作りたい」というご意見をいただいた話が出されました。
その質問に対し、どの中央区立中学校の野球部でも、女子も所属できる、実際に日本橋中学校では、野球部に女子部員も二名在籍しているという回答が教育委員会事務局から出されました。
教育委員のひとりが、「では、自分たちで作ることは可能か?」と問い、事務局からは、「自主性を尊重することが重要であり、活動の場所、教師の配置などを調整し、対応していく」旨の見解が出されました。
新たに中学校に入る皆さん、もし、行った中学校で、自分の希望していたクラブがない場合、自分たちでつくることは、可能です。
区長への手紙でいただいたその回答として、中央区立中学校に、「女子野球部」を、自分たちでつくることは可能ということです。
がんばって、自分たちで作ってみてください。
それを大切に受け止め、教育の現場で生かせていければと考えます。
本日2011/12/8の教育委員会定例会では、区長への手紙で、「中学校にあがったら、女子野球部を作りたい」というご意見をいただいた話が出されました。
その質問に対し、どの中央区立中学校の野球部でも、女子も所属できる、実際に日本橋中学校では、野球部に女子部員も二名在籍しているという回答が教育委員会事務局から出されました。
教育委員のひとりが、「では、自分たちで作ることは可能か?」と問い、事務局からは、「自主性を尊重することが重要であり、活動の場所、教師の配置などを調整し、対応していく」旨の見解が出されました。
新たに中学校に入る皆さん、もし、行った中学校で、自分の希望していたクラブがない場合、自分たちでつくることは、可能です。
区長への手紙でいただいたその回答として、中央区立中学校に、「女子野球部」を、自分たちでつくることは可能ということです。
がんばって、自分たちで作ってみてください。
皆様ご存知かもしれませんが、感動のスピーチに出会いました。
はっきりいって、感動です。
このような名文に出会えて、感謝です。
スティーブ・ジョブスのスピーチです。
勇気を頂きました。
余計な要約ですが、以下3点、自分のメモとして書きます。
1.点と点は、いつか繋がる
私の親友も、自分が大学を中退し、医学部再受験に臨む際、はなむけの言葉としてくれたのを思い出します。
2.レンガで頭が割られるような困難があっても、愛する事を探し、それをやりつづけろ
3.今日が人生最後の日と思って頑張れ
スピーチその1:http://www.youtube.com/watch?v=0Sr2DY74ps4&feature=related
スピーチその2:http://www.youtube.com/watch?v=_ZLGlrTKSXw&feature=related
ピンチの裏側
作.山本良樹
神様は決して
ピンチだけを お与えにならない
ピンチの裏側に 必ず
ピンチと同じ大きさのチャンスを
用意して下さっている
グチをこぼしたり ヤケを起こすと
チャンスを見つける目がくもり
ピンチを切り抜けるエネルギーさえ
失せてしまう
ピンチはチャンス
どっしりかまえて
ピンチの裏側に用意されてる
チャンスを見つけよう
(夏の甲子園V 佐賀北高野球部の部室に掲げられた詩)
作.山本良樹
神様は決して
ピンチだけを お与えにならない
ピンチの裏側に 必ず
ピンチと同じ大きさのチャンスを
用意して下さっている
グチをこぼしたり ヤケを起こすと
チャンスを見つける目がくもり
ピンチを切り抜けるエネルギーさえ
失せてしまう
ピンチはチャンス
どっしりかまえて
ピンチの裏側に用意されてる
チャンスを見つけよう
(夏の甲子園V 佐賀北高野球部の部室に掲げられた詩)
いよいよ、まちにまった小学校ですね。
入学おめでとうございます。
こどものからだのおいしゃさんから、
いちねんせいのみなさんに
げんきなこころとからだをつくるおはなしをします。
げんきなこころとからだをつくるために、たいせつなこと。
5つあります。
【ひとつ】
<はやね、はやおきをしましょう。
そして、あさごはんをきちんとたべましょう。>
よるの9時には、ねるようにしましょう。
はやくねると、めざめもよいので、はやおきができます。
ねむっているあいだに、あたまとからだのつかれがとれます。
ねぶそくだと、つかれがとれずに、
びょうきになりやすい、よわいからだになります。
あさごはんは、きちんとたべて、がっこうにいきましょう。
ちゃんとたべないと、げんきがでません。
ちゃんとたべないと、あたまもかいてんしません。
それから、ごはんたべるときは、テレビを消してね。
【ふたつ】
<まいにち、がっこうがんばっていこう。>
ちいさいときに、いっぱいびょうきにかかってきましたよね。
小学校に、はいるみんなのからだは、
びょうきのもとのバイキンさんを、
やっつけることのできるつよいからだになっています。
まいにち、やすまず、がんばって学校いってね。
できれば、小学校がおわるまで、
やすまないでいくことに、
チャレンジしてみよう。
それは、“かいきん”といって、
ひとつのじしんになるよ。
でも、びょうきでとってもつらいときは、
むりせずに、やすんでいいからね。
【みっつ】
<げんきなあいさつをしよう。>
おはよう、いってきます、こんにちは、さようなら、ありがとう、
ごめんなさい、ただいま、こんばんは、おやすみなさい
げんきなこえであいさつしよう。
あいさつすると、きもちもよくなるよ。
あいさつがきちんとできる子は、
おともだちもたくさんできるよ。
あいさつは、かぞくのひとや、
おともだちどうしや、せんせいだけでなく、
きんじょのおじさん、おばさん、
おうだんほどうのおじさん、おばさんにもしようね。
【よっつ】
<げんきにそとあそびをしよう。>
みんなのいえにはテレビがあるかな?
テレビゲームやファミコンももっているかな?
テレビやゲームは、おうちのひとと、
きちんとおやくそくをきめて、やろうね。
ながいとけいのはりが、
ひとまわりするまえに、
やめようね。
テレビやゲームをするよりは、
げんきにそとであそぼう!!
おにごっこ、かくれんぼ、たんてい、
かんけり、なわとび、ボールあそび、たからさがし、
たのしいあそびは、やまほどあるよ。
おにいさん、おねえさんにおしえてもらおう。
【いつつ】
<ほんをよもう。>
まだ、はじめは、むつかしいことだけど、
ほんをよもうね。
いっぱい、よもうね。
よみかたは、としょしつのせんせいにも
そうだんするといいよ。
がっこうのせんせいは、
いろいろおしえてくださいます。
おしえてくださったものをどだいにして、
じぶんでほんをよんで、べんきょうすることを、
“がくもん”といいます。
これは、とっても、とっても、
たいへんなことです。
ちゅうがっこう、こうとうがっこう、
せんもんがっこう、だいがくと、
これからまだまだ、がっこうがあります。
“がくもん”をつんでおくと、
おとなになったときに、
きっとやくにたちます。
この5つのこと、
できるようになったら、
きっと、
こころとからだは、
つよくなるよ。
こまったことがあったら、
まわりのおとなにそうだんしようね。
おとうさん、おかあさん、
おじいさん、おばあさん、
おじさん、おばさん、
たんにんのせんせい、
ほけんしつのせんせい、
きんじょのおじさん、おばさん、
しょうてんがいのおじさん、おばさん、
みんな、きみのみかたになってくれるから。
こどものからだのせんせいのところにも、
いつでもそうだんにきていいからね。
さあ、がんばってね。
入学おめでとうございます。
こどものからだのおいしゃさんから、
いちねんせいのみなさんに
げんきなこころとからだをつくるおはなしをします。
げんきなこころとからだをつくるために、たいせつなこと。
5つあります。
【ひとつ】
<はやね、はやおきをしましょう。
そして、あさごはんをきちんとたべましょう。>
よるの9時には、ねるようにしましょう。
はやくねると、めざめもよいので、はやおきができます。
ねむっているあいだに、あたまとからだのつかれがとれます。
ねぶそくだと、つかれがとれずに、
びょうきになりやすい、よわいからだになります。
あさごはんは、きちんとたべて、がっこうにいきましょう。
ちゃんとたべないと、げんきがでません。
ちゃんとたべないと、あたまもかいてんしません。
それから、ごはんたべるときは、テレビを消してね。
【ふたつ】
<まいにち、がっこうがんばっていこう。>
ちいさいときに、いっぱいびょうきにかかってきましたよね。
小学校に、はいるみんなのからだは、
びょうきのもとのバイキンさんを、
やっつけることのできるつよいからだになっています。
まいにち、やすまず、がんばって学校いってね。
できれば、小学校がおわるまで、
やすまないでいくことに、
チャレンジしてみよう。
それは、“かいきん”といって、
ひとつのじしんになるよ。
でも、びょうきでとってもつらいときは、
むりせずに、やすんでいいからね。
【みっつ】
<げんきなあいさつをしよう。>
おはよう、いってきます、こんにちは、さようなら、ありがとう、
ごめんなさい、ただいま、こんばんは、おやすみなさい
げんきなこえであいさつしよう。
あいさつすると、きもちもよくなるよ。
あいさつがきちんとできる子は、
おともだちもたくさんできるよ。
あいさつは、かぞくのひとや、
おともだちどうしや、せんせいだけでなく、
きんじょのおじさん、おばさん、
おうだんほどうのおじさん、おばさんにもしようね。
【よっつ】
<げんきにそとあそびをしよう。>
みんなのいえにはテレビがあるかな?
テレビゲームやファミコンももっているかな?
テレビやゲームは、おうちのひとと、
きちんとおやくそくをきめて、やろうね。
ながいとけいのはりが、
ひとまわりするまえに、
やめようね。
テレビやゲームをするよりは、
げんきにそとであそぼう!!
おにごっこ、かくれんぼ、たんてい、
かんけり、なわとび、ボールあそび、たからさがし、
たのしいあそびは、やまほどあるよ。
おにいさん、おねえさんにおしえてもらおう。
【いつつ】
<ほんをよもう。>
まだ、はじめは、むつかしいことだけど、
ほんをよもうね。
いっぱい、よもうね。
よみかたは、としょしつのせんせいにも
そうだんするといいよ。
がっこうのせんせいは、
いろいろおしえてくださいます。
おしえてくださったものをどだいにして、
じぶんでほんをよんで、べんきょうすることを、
“がくもん”といいます。
これは、とっても、とっても、
たいへんなことです。
ちゅうがっこう、こうとうがっこう、
せんもんがっこう、だいがくと、
これからまだまだ、がっこうがあります。
“がくもん”をつんでおくと、
おとなになったときに、
きっとやくにたちます。
この5つのこと、
できるようになったら、
きっと、
こころとからだは、
つよくなるよ。
こまったことがあったら、
まわりのおとなにそうだんしようね。
おとうさん、おかあさん、
おじいさん、おばあさん、
おじさん、おばさん、
たんにんのせんせい、
ほけんしつのせんせい、
きんじょのおじさん、おばさん、
しょうてんがいのおじさん、おばさん、
みんな、きみのみかたになってくれるから。
こどものからだのせんせいのところにも、
いつでもそうだんにきていいからね。
さあ、がんばってね。
今年の1/4、産経新聞の「正論」にて、
作家の曽野綾子氏が、子ども達への年賀状として、
優しい英雄になるために6つの提案を書いた。
それをすることによって、
力も徳も備わる人になることとは?
どのようなことをお考えになりますか?
①日曜日に、朝食と昼食を抜いてみる。
(水分はきちんと飲みながら。)
⇒世界中には、今日のご飯がまともに食べれない
こどもが、何億といる。どこにも食べ物がないことの
つらさをはじめてわかります。
②一家でご飯を食べる時には、テレビを消す。
⇒食事はたべるだけでなく、お話しすることも目的。
③毎日少しずつでも本を読む
⇒漫画だけではだめで、活字が脳を発達させる。
④うちのお手伝いをする。
⇒掃除、洗濯、簡単なお料理を少しずつ学ぶ。子どもも
毎日の生活の責任を、出来る分だけ担うこと。
⑤荷物をもってあげること。
⇒アフリカ、南アメリカ、アラブの子どもは、
5km10km時には重い水の容器を頭に乗せて、
時には燃料を持って歩きます。
肉体の強さを、生活の中でつくる。
⑥優しい同情の心を持てる人になること
⇒自分のもっているものー
物質、力、お金、労力、時間などを
差し出せる人こそ、人間。
以上のような、提案でした。
なるほどと、新春の心新たな時期に、
思ったことでしたので、
新年度を迎える
心新たな時期に、子ども達に提案してみたい。
私自身、思い出す意味もこめ、
ここに掲載いたしました。
この6つの提案の取り扱いで、注意していただきたいのは、
これらは、子ども達の主体的な行動でやることであり、
親が強制すべきことではない点です。
難しいですが。
文責:小坂和輝
作家の曽野綾子氏が、子ども達への年賀状として、
優しい英雄になるために6つの提案を書いた。
それをすることによって、
力も徳も備わる人になることとは?
どのようなことをお考えになりますか?
①日曜日に、朝食と昼食を抜いてみる。
(水分はきちんと飲みながら。)
⇒世界中には、今日のご飯がまともに食べれない
こどもが、何億といる。どこにも食べ物がないことの
つらさをはじめてわかります。
②一家でご飯を食べる時には、テレビを消す。
⇒食事はたべるだけでなく、お話しすることも目的。
③毎日少しずつでも本を読む
⇒漫画だけではだめで、活字が脳を発達させる。
④うちのお手伝いをする。
⇒掃除、洗濯、簡単なお料理を少しずつ学ぶ。子どもも
毎日の生活の責任を、出来る分だけ担うこと。
⑤荷物をもってあげること。
⇒アフリカ、南アメリカ、アラブの子どもは、
5km10km時には重い水の容器を頭に乗せて、
時には燃料を持って歩きます。
肉体の強さを、生活の中でつくる。
⑥優しい同情の心を持てる人になること
⇒自分のもっているものー
物質、力、お金、労力、時間などを
差し出せる人こそ、人間。
以上のような、提案でした。
なるほどと、新春の心新たな時期に、
思ったことでしたので、
新年度を迎える
心新たな時期に、子ども達に提案してみたい。
私自身、思い出す意味もこめ、
ここに掲載いたしました。
この6つの提案の取り扱いで、注意していただきたいのは、
これらは、子ども達の主体的な行動でやることであり、
親が強制すべきことではない点です。
難しいですが。
文責:小坂和輝