北京五輪ほど、オリンピックについて考えたことはないかもしれません。
疑問に思うことが多く、単純に「世界最高の競技会」というわけにはいきません。
確かに運営組織であるIOCは、最大最強のスポーツ組織かもしれません。
例えば、五輪の協賛団体は莫大なスポンサー料を支払っているのですが、
競技会場には、広告が一切ありません。
世界選手権やW杯など最高ランクの競技会では考えられないことです。
五輪だからこそ可能になっていることです。
それだけの収益があるわけですね。
よく放映権料の話がでます。
さらにスポンサーが広告を制限されても契約を結びたくなる媒体であり、
広告代理店が「暗躍」するわけです。
暗躍するのは代理店だけではなく、スポーツ関係者、政治家、経済人、その他有象無象でしょう。
まさに既得権益の仲間に入りたいわけですね。
アマチュアのスポーツ大会からプロフェッショナルな大会に変貌させたことがこの原因であることは間違いありません。
この分岐点を曲がらなければ、どうなっていたか。
夢想してみるのも一興です。
現在のグローバル資本主義は、あったかもしれないアマチュアのスポーツ大会として五輪とどのように関わるのでしょうか。
どなたかSF小説や映画にしてもらえませんか。
続けて考えていきたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。