2005年 日本映画 塩田明彦監督作品
主人公は12歳の少年少女。
カルト集団の中で育った光一(石田法嗣)と、崩壊した家族から自由な由希〈谷村美月)の道行を描く。
塩田監督が映像にしたかったのは、「洗脳で壊されたものと恢復」だったのかもしれない。
カルト集団はオウム真理教そのもの。
光一の母親は、幹部であり子ども2人を連れてサテリアンのような施設に入る。
光一の妹は幼児といっていい。
家族は分離される。
光一はそのことに怒り、反抗的な行動に走る。懲罰を受ける。
やがて、彼への洗脳が進む。
同世代の子どもたち、教師役の青年と疑似家族ができる。
カルト集団の崩壊後、光一たちは現場から遠い関西の児童相談所に収容される。
母親は逃亡したままだ。
彼は唯一洗脳から自由になれない。
光一の祖父は、妹のみ引きとる。
光一は児童相談所の施設から脱走する。
そして、妹を取り戻しに東京へ向かう。
もう一人の主人公由希は、たくましく生きる関西の少女だ。
少女趣味の男たちから金をもらうことも行う。
光一は寡黙だが、由希はまことに多弁。関西のおばちゃん予備軍といったところ。
光一は逃亡中に偶然、由希を載せた車と遭遇し、結果的に由希を助ける。
由希は光一に恩義を感じ、一緒に東京へ行くことになる。
監督は、光一にしゃべらさない代わりに、由希にとにかく話させる。
だから、由希はよくしゃべる。それは私たち、こちら側の人間のカルトに対する思いだ。
洗脳が解けない光一の教条的な言葉とは対照的だ。
東京への旅はやはり心の旅でもある。旅の効用がある。
二人の女性にあった光一と由希は、この女性たちの喧嘩に付き合うようになる。
他人の人間関係に無関心だった光一だが、自分の存在が認められたことに少しずつ心が開かれていく。
東京に入った二人は偶然、元信者の青年と出あう。
元信者グループは、リサイクルセンターをつくって働いていた。
ここで二人は旅の疲れをいやす。ともに働く。
しかし、妹を取り戻す思いは変わらない...。
光一の寡黙な態度には、性格とともに選民思想があるように思う。
選ばれたものが、選ばれなかったものたち(すなわち私たち)と違う。
非選民の話は聞かない。
由季が痛烈に批判する。
子どもを洗脳する時代は、今も続く。
私たちはこの問題に敏感でなくてはならない、と監督は訴えているように思う。
最後に救いが待っている。