岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

フォトジャーナリスト山本宗補さんの講演。

2018-12-21 06:29:47 | 東日本大震災

山本さんの講演を聞くことができました。

知らぬ間に多くの著書が手元にあります。

3.11の写真集。もちろん吉沢さんの写真も。

そして、戦争の記憶。

佐々木秀嶺師の写真集(大型本のため買っていません)。

日本を含むアジアで活動されている。

2018年12月19日、岡山での講演のスライドを撮影させていただきました。

現在、長野県にお住まいです。浅間山です。

 

とっても分かりやすい問いかけです。

最初から、結論です。わかりやすい。

まずフィリピンの火山の話です。大噴火です。

クラーク基地も被害を受けました。この被害も米軍撤退の理由の一つです。

でも半年後にはたくましい農民は農業を始めています。

熊本の大地震です。

酪農も被害を受けました。

人間はどこから生まれるのか。お判りでしょう。

女性が安心して子供を産める環境を作ることが重要だし、我々の使命です。

60年以上前の話です。ビキニ環礁で水爆実験をしました。米国です。

日本の漁船が数多く被爆しました。

死者も出ました。

なのに、その後、日本は原発輸入を始めました。中曽根某と正力某が推進しました。

 

第五福竜丸です。

被ばくした船は1000隻近いとのことです。

日本列島にも放射能が降り注ぎました。アメリカはモニタリングポストを設置し測定しています。

「日本の原子力発電はそこから始まった。」

乗組員の話です。

フクイチは切り崩した低地に原発と電源を設置した。低費用優先でした。安全は置き去りにされた。

原発が爆発した直後、山本さんは現地に入っていた。

そして、生き地獄が現出した。

一時帰宅してもとても住めるような状態ではない。

 

仮設焼却炉、初めて聞きました。すべて焼却したら取り壊してしまうとのこと。

つづく。


最新の画像もっと見る