山本さんの講演を聞くことができました。
知らぬ間に多くの著書が手元にあります。
3.11の写真集。もちろん吉沢さんの写真も。
そして、戦争の記憶。
佐々木秀嶺師の写真集(大型本のため買っていません)。
日本を含むアジアで活動されている。
2018年12月19日、岡山での講演のスライドを撮影させていただきました。
現在、長野県にお住まいです。浅間山です。
とっても分かりやすい問いかけです。
最初から、結論です。わかりやすい。
まずフィリピンの火山の話です。大噴火です。
クラーク基地も被害を受けました。この被害も米軍撤退の理由の一つです。
でも半年後にはたくましい農民は農業を始めています。
熊本の大地震です。
酪農も被害を受けました。
人間はどこから生まれるのか。お判りでしょう。
女性が安心して子供を産める環境を作ることが重要だし、我々の使命です。
60年以上前の話です。ビキニ環礁で水爆実験をしました。米国です。
日本の漁船が数多く被爆しました。
死者も出ました。
なのに、その後、日本は原発輸入を始めました。中曽根某と正力某が推進しました。
第五福竜丸です。
被ばくした船は1000隻近いとのことです。
日本列島にも放射能が降り注ぎました。アメリカはモニタリングポストを設置し測定しています。
「日本の原子力発電はそこから始まった。」
乗組員の話です。
フクイチは切り崩した低地に原発と電源を設置した。低費用優先でした。安全は置き去りにされた。
原発が爆発した直後、山本さんは現地に入っていた。
そして、生き地獄が現出した。
一時帰宅してもとても住めるような状態ではない。
仮設焼却炉、初めて聞きました。すべて焼却したら取り壊してしまうとのこと。
つづく。