教育というものは、科学的な思考を尊重するものだと思っていたが、
そうではないらしい。
メンツが論理や筋に優先するらしい。
出版社が申請した教科書が、修正指示されて、再提出した教科書が
国民に拒否された。
政治的判断もあって、再修正することになったが、
やり方が意味不明だ。
出版社が最初の申請に近い教科書を再提出し、
再審査を受けるという形にする。
最初の審査と再審査が違った結果になるである。
審査経過も不透明なら、初回審査と再審査の違いが何かわからない。
説明責任はあるはずだが、当然説明できない。
それでも、メンツが通るというのだろう。
これが、教育行政を進めている官庁の仕事だ。
こんな論理なき仕事が通る官庁を信じることはできない。
今、説明できない政治が多すぎる。
福田政権の方向転換においても一切説明がなされていない。
政治は突き詰めれば「言葉」である。
言葉で説明できることが条件なのである。
論理が通らないなら、通らないことを説明しなくてはならない。
論理が崩壊して、政治や行政が進むなら、
その民主主義は崩壊を始める。
そうではないらしい。
メンツが論理や筋に優先するらしい。
出版社が申請した教科書が、修正指示されて、再提出した教科書が
国民に拒否された。
政治的判断もあって、再修正することになったが、
やり方が意味不明だ。
出版社が最初の申請に近い教科書を再提出し、
再審査を受けるという形にする。
最初の審査と再審査が違った結果になるである。
審査経過も不透明なら、初回審査と再審査の違いが何かわからない。
説明責任はあるはずだが、当然説明できない。
それでも、メンツが通るというのだろう。
これが、教育行政を進めている官庁の仕事だ。
こんな論理なき仕事が通る官庁を信じることはできない。
今、説明できない政治が多すぎる。
福田政権の方向転換においても一切説明がなされていない。
政治は突き詰めれば「言葉」である。
言葉で説明できることが条件なのである。
論理が通らないなら、通らないことを説明しなくてはならない。
論理が崩壊して、政治や行政が進むなら、
その民主主義は崩壊を始める。